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25 わたし

「今日はとてもいい日だったのです~!」


 万理華は歩きながら大きく伸びをした。


「カフェにも行けましたし、それに、手袋の効力も発見したのです。……お兄ちゃん、はいどうぞ、なのです」


 妹はいぶきとおそろいの手袋を脱ぎ、俺に差し出す。


「なんだ? 要らねーよ」


 あいにくレースの手袋をする趣味は無いし、そもそもサイズが合わない。


「お兄ちゃんにお貸しするのです。色々な女性にこの手袋を身に着けてもらって、手を繋いでもらうのです。そうしたらきっと女性に慣れるのです」

「やだよ。変態じゃないか」


 強面の男がやってきて「この手袋をはめて手を繋いでください」なんて言い出したらトラウマになりかねない。


「お兄ちゃんは、色々な女性の味を知るべきなのです」

「いちいちきわどい言い方をするな」

「お兄ちゃん。お兄ちゃんは万理華の『推し』なのです。お兄ちゃんのアクスタを持ち歩きたいくらいに『推し』なのです」

「本当に作りそうだよな、おまえ」

「はい。でも二メートル近いアクスタを作ってもらうとなると、きっと金額もはね上がるし送料もかかるのです……」

「実物大を作る気なのかよ」


 約二メートルのアクリルの板なんてもはや凶器だ。


「万理華は、推しであるお兄ちゃんの良さを全世界の人に知ってもらいたいのです。お兄ちゃんはとってもとっても、とーっても優しいのです。お兄ちゃんの優しさを知れば、みんなお兄ちゃんと仲良くしたいと思うはずなのです。蕁麻疹のせいで女性と関われないなんて、そんなの勿体ないのです」


 妹はいつになく真剣な顔で語った。


「……いいんだよ。そもそも蕁麻疹は『原因』じゃなくて『結果』だ」


 根本的なことを解決しなければこの体質は治らないのだ。


「蕁麻疹が出ようが出まいが、全人類と仲良くするなんて無理だ。すぐ近くにいる人間とだけ平和にやってりゃいいんだよ」


 妹なりに俺を心配しているということはわかっている。だからこそ、俺は真剣に取り合わず笑い飛ばした。

 彼女も微笑んでみせたが、


「いぶきさんはもうすっかり、お兄ちゃんの『すぐ近くにいる人間』ですね」


 と真面目な声で言ってきた。

 否定することはできなかった。


「……そうだな」


 女は苦手だ。

 でも確かに、いぶきとは平和にやっていきたいと思う。



 *




 洗濯機からネットを取り出す。中に入れていた水色のワンピースや下着、手袋は二階の自分の部屋で干すことにした。「おしゃれ着モード」で洗ったから乾くのに時間がかかるけれど、繊細なレースやフリルが傷まなくて済む。

 ワンピースや小物を全て干し終わると、部屋中に柔軟剤の香りがふわりと広がった。お気に入りのその香りに癒されながら、私はベッドに倒れ込む。


 今日は慣れない靴を履いて歩いたし、久しぶりに電車にも乗ったから、もうくたくただった。

 ナイトテーブルの上のスマホに手を伸ばし、万理華ちゃんが送ってくれた画像を見返す。

 今日訪れたカフェは本当に素敵だったし、ケーキも美味しかった。幸太郎のおかげで充実した時間を過ごすことができた。

 阿久津先輩がいたのは驚いたし、すごく焦ったけど、私だとはバレていなかったはず。幸太郎はすごくかわいそうだったけれど、先輩がすぐに奥に行ってくれたからよかった。

 部屋の電気を消して目を閉じる。


――また明日。


 ドア越しに聞いた彼のセリフを思い出したらなんだか居た堪れなくなり、ベッドの脇に置いていたぬいぐるみをぎゅうっと胸に抱いた。


 あの低い声が好き。

 彼の声を録音させてもらえたらいいのに、なんて考えてしまう。


 大きな手も好き。

 彼の手の大きさと温度をずっと覚えていられたらいいのに。


 そんなことばかり考えるから、疲れているのに、いつまでも眠りにつくことができなかった。

 


――小学生のわたしは一人で電車に乗っていた。

 学習塾の体験レッスンへ参加するためだ。

 両親のすすめもあって、中学受験することに決めていた。だから、今からたくさん勉強しないといけない。わたしはとても張り切っていた。

 長くのばした髪は勉強に集中できるようにポニーテールに結って、お気に入りのキャミソールのワンピースも着て、気合はばっちり。


 違和感を覚えて、よく冷房の効いた電車の中を見回す。平日のお昼過ぎだ。それなのに車内はかなり混んでいる。

 でも日常的に電車に乗っているわけではないから、「こんなものかな?」と思った。

 それにしても、やたらに大人の男の人が多いような気がする。

 ……いや、「多い」んじゃない。男の人「しか」いない。

 そう思ったときだった。


 声が出せなかった。

 息すら上手くできていなかったと思う。


 男の人の


 ごつごつして汗ばんだ手が、わたしの






 わたしの、






「……………………………………っ!」


 弾かれたように起き上がる。

 全力で走った後のように息が荒く、パジャマの上下が汗でびっしょり濡れていた。


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