24 簡単なんかじゃない
阿久津を見上げる。
目が合ってしまった。彼女は汗だくの俺を見下ろし、ふんと鼻を鳴らす。
「なにその顔。……ゆっくりしていきなよ。私、キッチンの手伝いするから、今日はもうホールに来ないし」
ギャル店員はそれだけ言い残すと、再び店の奥へ消えた。
「やっと行ってくれたか……」
ほっと息をつくが、食欲が失せてしまい目の前のケーキに手をつける気になれない。
「あれ? いぶきは?」
万理華の隣に座っていたはずのいぶきの姿が無かった。
「あの人、もう行った……?」
「うわっ」
テーブルの下からいぶきが頭をのぞかせた。いつの間にか下に潜り込んでいたらしい。周囲を確かめて、彼女は椅子に座り直す。
「もうホールには来ないって言ってましたなのです」
「よかった。私、あの人昔から本当に苦手で」
「昔からって?」
「あっ、え、えっと」
「ああ、そうか。いぶきと阿久津は中等部から一緒なのか」
「そ、そうそう! 中等部のときから目立つ先輩だったから! さ、気を取り直して食べようヨ! ……わあ、すごくオイシイ~!」
彼女はぱくぱくとケーキを口に運ぶ。
なぜか、口調が宇宙人になりかけていた。
西の空が赤い。帰路を辿りながら、いぶきも万理華もごきげんだった。
「今日は本当にありがとうね。思わぬ人と会ってドキドキしたけど……、でも本当に楽しかったよ」
「万理華も楽しかったのです。帰ったら撮ったお写真を送るのです~。いぶきさん、またおしゃれなカフェを探しておいてくださいなのです」
「また? でも、もうお礼は十分してもらったから……」
「お礼なんかじゃないのです。万理華はまた、いぶきさんとお出かけしたいのです。カフェでもカフェ以外でも、行きたいところがあったらどんどんリクエストするのです~」
無邪気な万理華にいぶきが微笑む。
「わかった。探しておくね。投稿で見かけた古民家カフェとか、アフターヌーンティーとかも行ってみたくて。あ、あとは浴衣着て夏祭りとか、制服デートとかもすごく憧れ……」
彼女ははっと振り返って俺を見上げた。
「あ、あの、制服デートって、幸太郎と制服着てデートしたいって意味じゃなくて一般論っていうか」
みるみる赤くなっていく顔をいぶきは両手で隠してしまう。
「なんでなのです? お兄ちゃんと制服デートすればいいのです。万理華がお邪魔なら、万理華は潔きよく遠慮するのです~」
「お邪魔なわけないよー! 三人でお出かけしようよっ」
いぶきは声を荒らげてから、こほんと一つ咳ばらいした。
「……また予定合わせようね、幸太郎」
気を取り直した彼女が柔らかく口角を上げた。無防備な笑顔だ。俺の性別を忘れているのではないだろかと心配になる。
こんな笑顔を向けられたら、誰だって。
「……俺は、邪魔じゃないのか?」
「邪魔? 幸太郎が? どうして?」
出しぬけの問いに彼女はきょとんとしてしまう。
「幸太郎が一緒にいてくれたから、今日だって電車に乗ってお出かけできたんだよ?」
「俺は男なのに、おまえのそばにいていいのか?」
「……」
ちょうどいぶきの自宅前に到着し、彼女は立ち止まる。ぱちぱちと瞬きをした後、きっぱりと言った。
「幸太郎は、信じられるから」
よどみなく、彼女はそんなことを言う。真っ直ぐ放たれた言葉に、こちらのほうが言葉に詰まってしまいそうだ。
「そ、そんなに簡単に他人を信じていいのかよ」
「簡単じゃないよ」
彼女は静かに首を振る。
「簡単なんかじゃない。簡単なわけないよ。……男の人はすごく苦手。すごくすごく苦手。変な人ばかりじゃないってことはわかってる。でも、私に近寄って来る男の人は変な人ばかり。近寄られただけで、目が合っただけで、すごく怖い。……逃げ出したくなるほど怖いんだよ」
「じゃあ、なんで俺を信じられるんだよ」
俺だって、本当はわかっている。女がみんな悪人であるわけがない。阿久津みたいな救いようのない性悪のほうが少数なのだ。
それなのに俺は、女という生き物が信じられない。
女が怖くてたまらない。
蕁麻疹ができるほどに。
彼女は男が嫌いでありながら、なぜ俺のことを信じられるのだろう。
「……幸太郎は私を助けてくれたから」
「助けたって……」
耳の奥で、トラックのクラクションが鳴った。
「目の前に轢かれそうなやつがいたら、誰だって助けるだろ」
「それもそうだけど……、でも」
「でも?」
「……やっぱり、覚えてないんだね」
いぶきはぽつりと言った。
彼女が浮かべる表情は、なんとも形容しがたい複雑なものだった。
落胆、喜び、安堵、諦め。
それら全てが入り混じっているように見えた。
「お、覚えてないってなにを?」
「ううん、なんでもない。……じゃあ、また明日。今日は本当にありがとう」
彼女は自宅の門扉を開け中に入っていく。水色のワンピースの裾が翻った。
「……また明日」
閉まったドアに声を掛ける。




