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18 泣いていた同級生

「定期券です。令涼学園と我が家の最寄り駅の間で使えます。半年経って期限が切れたらまたうちで購入させていただきますわ」

「て、定期券? 僕にですか?」


 俺は頭の中で半年分の定期代をざっくりと計算する。


「こんな高価なもの受け取れません」

「本当は交通費の他にお手当をお渡ししたいくらいですわ」

「いえ、本当についでなんですから」


 俺は丁重に断ろうとしたが、母親は首を振る。


「受け取っていただけないのなら、娘との通学は許可できませんわ。母親として心苦しいですが、娘にはこれからもずーっと自転車通学をさせます。雨の日も風の日も、雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ……」

「宮沢賢治じゃないんですから」


 有無を言わせぬ母親の態度に、俺は渋々と定期券を受け取った。

 涙ながらに見送られ、俺といぶきは駅へ向かう。


「……しかし、広瀬の親ってすごいな。あんな大きい家に住んでるなんて」

「よく言われるけど、あれはおじいちゃんが建てた家なの。私の家は庶民派だと思うよ。それに毎年かなりの額を令涼に寄付してるから、むしろ結構カツカツかも」

「寄付金って、強制じゃないんだろ?」


 年度末に寄付金の案内があると入学説明会で言われたが、任意だったはずだ。


「するしないも、寄付する額も自由だよ。でも私は中等部のときから特別にスラックスを穿かせてもらっているし、高等部でも男の子たちとは教室を離してもらってるから」

「袖の下、ってやつか」

「うーん、まあ、そういうことかな。だから両親には申し訳ないよね……。あはは……」


 いぶきはマスクの下で苦笑いをした。

 二人で話しているうちに駅が見えてきた。さっき受け取った定期券を出す。いぶきは足を止め、大勢の人間が行き交う改札を睨んでいる。


「やっぱり、怖いか?」


 彼女ははっとして俺を見上げた。


「う、ううん」


 思い出したように歩き出すが、やはり不安そうだった。

 俺たちの横を高校生の男女のペアが通り過ぎ、改札の中へ入っていく。楽しそうに会話しながら手をしっかり握りあっていた。

 俺は異性に触れれば蕁麻疹が出てしまうし、いぶきと付き合っているわけでもない。だから彼女と手を繋いでやることはできない。できないが……、


「いいか、絶対に俺から離れるなよ。少しでも不安になったら一緒に下車するからな」


 俺はいぶきの目を真っ直ぐ見て言った。彼女は幾分か安心してくれた様子で、大きく頷く。


 改札を通り、ホームへ向かう。

 いぶきは男装しているので女性専用車には乗れない。

 とくに混雑するであろうエスカレーターの前を通り過ぎ、なるべく人がいない場所を探して電車を待つ。

 電車がホームに滑り込んできた。窓から見える車内は会社員や学生でぎゅうぎゅうになっている。先に乗っていた乗客たちが下りていくのを見送り、俺たちも乗り込む。満員のはずなのに、やはり俺が乗るとみなスペースを確保しようとする。

 ドアと椅子の間にいるいぶきの体を覆うように、俺は彼女の前に立つ。幸い、令涼の最寄り駅に着くまでにこちら側のドアは開かない。だから、ずっとこうして彼女を守ることができる。そばに俺がいるのにも拘らず下心を剥き出しにする人間が現れたら、むしろ見上げた根性だ。


「大丈夫か?」


 殺気立ったような朝の車内で、俺は声を潜めて訊いた。彼女はこくこくと頷く。


「……から」


 なにか言った気がするが、小さい声は電車の走行音に負けていて聞き取れなかった。


「なに?」

「えっと」


 俺の体の陰に隠れるようにして、彼女はマスクをずらした。ふっくらした花びらのような唇が動く。


「幸太郎がいるから、大丈夫」

「……そ、そっか」


 内容が伝わって、彼女はまたすぐにマスクを直す。

 それから駅に到着するまで、俺たちはお互いに顔を赤くしたまま、一言も口を利かなかった。





「世界が変わって見える……」


 改札を抜け、駅構内を出たいぶきがため息をついた。彼女は数年ぶりに電車に乗り、何事もなく目的地にたどり着くことができたのだ。


「私、今日という日を忘れないと思う」

「大袈裟だなあ」


 空を見上げているいぶきを俺は笑ったが、彼女は真面目なまなざしをこちらに向けた。


「大袈裟なんかじゃないよ。幸太郎、ありがとう……」


 彼女の目から大粒の涙がこぼれた。


「な、泣かなくてもいいだろ」

「だって、嬉しくて……」


 彼女はミニタオルを取り出して目元を抑える。駅から出てくる学生や会社員が俺たちをじろじろと見ていた。


「俺が泣かせてるみたいじゃん。ほら、大丈夫だから」


 無意識のうちにいぶきに手を伸ばし、すぐに我に返った。妹が幼かったときにしていたように、彼女の頭を撫でてしまうところだった。危ない危ない。


「……電車にも乗れたことだし、保留になってた約束も実現できるな」

「保留になってた約束?」

「ほら、ワンピース着てカフェに行くって約束しただろ。中間テストが終わったあたりにでも行こうな」

「いいの? 一緒に通学してくれるだけでも有難いのに」

「ああ、約束だからな」

「嬉しい……」


 頬を濡らす彼女を見ていると、なぜかまた昔のことを思い出しそうになる。

 こんな風に泣いていた同級生を、俺はなんと呼んでいたのだっけ。


「幸太郎じゃないか」


 名前を呼ばれ振り返る。

 人ごみの中でも目立つイケメン、神宮寺翔がこっちに手を振っていた。


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