13 手袋
着替えと会計を済ませたいぶきが店から出てくる。手に提げている紙袋はやたらと大きい。
「ワンピース一着にしては買い物袋がでかくないか?」
「実は、四種類全部買っちゃったんだ」
「全部!?」
「久しぶりにお店でお買い物できたから嬉しくって。パンプスも可愛いのがあったから買っちゃった」
彼女は照れくさそうにしながら、「家の中で着て自己満足するだけだから、ちょっともったいないんだけどね」と付け足す。
店に入る前とは比べ物にならないほど、彼女の纏う雰囲気は明るい。
「そうだ。これ、よかったら万理華ちゃんに」
彼女は紙袋の中を漁った。
「万理華にですか? 何をいただけるのです?」
妹がいぶきから受け取ったのは、一組の手袋だった。白い総レースで、実用性は無いだろうが彼女が購入したワンピースによく似合いそうだ。
「手袋も買ったのです?」
「ううん。もらったの。キャンペーンのノベルティで、さっきのワンピースを二着買うと一組ついてくるんだって。だから、一組は万理華ちゃんにどうぞ」
「とっても可愛いのです! 嬉しいのです~!」
万理華は目をキラキラさせて、いぶきからもらった手袋を眺めている。
「でも、いいのですか? フリマサイトに出品すれば購入なさる方がいるかもしれませんよ?」
「いいのいいの。二人がいなかったらワンピースを買うどころか試着すらできなかったもん。本当にありがとう。他になんてお礼したらいいか」
「もっと礼をしなくちゃいけないのはこっちのほうだ。今日は妹を助けてくれたんだから」
「そうなのです。お買い物につき合っただけなんて、全っ然、お礼した気になれないのです」
「いや、でも」
「いいことを考えたのです!」
万理華がぴんと人差し指を立てた。
「このワンピースを着て、一緒にお出かけしましょう。今日のようなことが無いように、お兄ちゃんにも護衛でついてきてもらうのです!」
「確かにな。そのワンピースだって外で来てくれたほうが嬉しいだろ」
「あ、有難いけど、でも私とお出かけなんて本当にいいの……?」
「ちょうど世間はゴールデンウィークなのです」
「どこか行きたいところはあるか? できれば他人と肩が触れ合うレベルの人ごみは避けてほしいんだが」
うっかり誰かに触れてしまえば、俺は即体調を崩してしまう。この体質ではなかったとしても、人ごみは騒がしくて苦手だ。
急な提案にいぶきは「うーん」と数秒考え込む。
「……じゃあ、カフェなんてどうかな? 気になるけど行けてなかったお店、いっぱいあるんだ。幸太郎は男の子だから、つまらないかもしれないけど」
「カフェですか! 行きたいのです! おしゃれな写真をいっーぱい撮りたいのです!」
「女子はほんとカフェ好きだよなあ。まあ、いいぜ。いつにする?」
好都合なことに、明日は三人とも予定が無かった。
家族以外の女子とカフェ巡り。普段なら誘われても気乗りしないどころか断固拒否する案件だが、広瀬いぶきは妹の恩人だ。
彼女だって異性が苦手なのにも拘らず、妹のために奮闘してくれた。だから、カフェなんて十軒でも二十軒でも付き合っていいくらいだ。
それに……。
ワンピースを着て、素顔を晒したいぶきの姿を思い返す。
あの姿をもう一度見てみたいと思う自分がいるのだった。
「じゃあ、また明日。この駅に集合で」
俺たちは駅ビルの前で別れた。
いぶきは電車に乗れない代わりに自転車で来たらしく、駐輪場のほうへ歩いて行く。小さな体が駅の雑踏の中に消えた。
万理華はその反対、俺たちの家がある方へ向かってスキップを始めた。
「お兄ちゃんの奢りでカフェに行けるなんて、万理華はハッピーなのです!」
「その身長でとび跳ねるなっ。それに奢りだなんて言ってないし!」
「でも、万理華はお邪魔ではないのでしょうか?」
「奢りだなんて言ってない」のくだりは無視して、彼女は話題を変えた。
「邪魔って? なんでだ」
「だって、お兄ちゃんは優しいしイケメンなので」
「おまえ、視力検査で引っかからなかったのか?」
「いぶきさんは、きっとお兄ちゃんのことが好きになってしまうのです。万理華がいたらきっと邪魔なのです」
「あのなあ」
突拍子もない妹の発言に、俺はうんざりとした気分でため息をつく。
「俺は優しくないしイケメンでもない。それにあいつは男が苦手なんだ。あいつが俺を好きになることは絶対に無い」
「男が苦手?」
「ああ。男とはろくに話もできないくらいにな。……あ」
そこまで言ってしまってから口を噤んだ。
「広瀬いぶきは男が苦手」。
こんなこと、べらべらと喋っていいものなのだろうか。万理華に「どうして男の人が嫌いなのです~?」なんて訊かれても理由は答えられない。
「それはおかしいのです」
妹はきっぱりと言った。予想していなかった反応だ。
「別におかしくはねえだろ。男が嫌いなやつなんて珍しくもなんともない」
多分。
「確かに異性が苦手、という方は少なくないのです。現にお兄ちゃんだって女の人が苦手なのです。万理華が言いたいのは、いぶきさんはどうしてお兄ちゃんとは話せたのか、ということなのです」
「……」
「いぶきさんは、まともにお話ができないくらい男性が苦手なのですよね? それなのに今日はお兄ちゃんとお話しして、お買い物まで一緒にしたのです」
「……確かに、な」
俺に手作りクッキーを渡すことさえ、彼女はがちがちになっていた。でも、緊張しながらもなんとか会話してくれた。今日だって服屋の中についていくことを拒まなかった。
男が苦手と言っていた割には、俺に心を許すスピードが速すぎないだろうか。しかも俺はこのような、人が寄り付かないような見た目をしている。
まあ、心を開いてくれたのはいいことなのかもしれないが。
「幸太郎!」
考え込んでいると、ついさっき別れたはずのいぶきの声がした。
俺を追いかけてきた彼女は、つかんでしまった。
半袖から伸びた俺の腕を。
「お互いに連絡先を知らないの、すっかり忘れてた。教えてもらえるかな?」
すべすべして柔らかい手の感触に感じ入ったのは、ほんの一瞬だ。
血の気が引いたかと思うと、体温が急上昇した。
万理華も緊急事態に気付き、隣で「あっ」と声を漏らす。
「もし遅刻したときに不便だから……。ん? どうかしたの?」
俺の顔を見上げ、彼女が首を傾げる。
「いや、気にすんな」
思わずそう言って顔を伏せた。
「気にするなって……?」
俯く俺の顔を、彼女は不安そうにのぞき込もうとする。自分の顔がすでに赤らんでいるのがわかった。じきに腫れあがって、別人のような顔つきになるはず。お守りは無い。万理華に助けを求められ、慌てて家を出てきたからだ。
こんな顔を他人に見せたくない。
とくに、広瀬いぶきには見られたくなかった。
そう思うのは、彼女が特別きれいな顔立ちをしているからだろうか。
「いぶきさんっ、スマホを貸してくださいなのです!」
「え? う、うん?」
万理華はいぶきのスマホをひったくるように借り、凄まじい速さで画面をタップする。
「とりあえず万理華の電話番号を入れておいたのです! 今日のところは、おさらばなのです! では~っ!」
今度は万理華が俺の腕を引っ張る。俺は妹に腕を引かれるがまま走った。
いぶきはきっと動揺しているだろう。
しかし、振り返ることすらできなかった。




