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ハレー彗星9

 関節部分の駆動チェックに、ぼろぼろの全身は相変わらず体内でガタガタと不協和音を奏でています。しかし今すぐ動作不良に陥るような故障はありません。これでも六十年間以上も動作を続けてきた頑丈物です。ちょっとやそっとの無茶で壊れるほど柔ではありません。


 先ほどよりもボリュームを上げたアナウンスがレース開始の合図を出します。すると観客は呪いにでも掛ったように誰もが口を閉ざしました。


 スタートの合図、かつてはスターターピストルによって一斉に飛び出しましたが、現代では、高台に構える私たちドールの正面、斜め下で横向きに設置された三つの丸いパネルがすべて点灯した瞬間がスタートとなります。一つひとつ点灯と共に音がなる仕組みらしく、色を識別できない私でも出遅れることはありません。


 私を除くドールたちがスタートラインぎりぎりに各々飛び出しやすい態勢で静止し、翼に搭載されている推進エンジンを徐々に稼働させています。


 一つ目の音がなります。軽快な電子音ですが、緊張感は先ほどと比べ物にならないほどに跳ね上がります。


 二つ目の音が鳴る瞬間に、推進エンジンがいつでも動き出せる準備が整った高い音を発し始めます。


 さらに高まる緊張感の中、私はスタートラインを前に、十歩ほど後ろへ下がってクラウチングスタートの姿勢を保っていました。


 レースを撮影する大きなカメラを持ったスカイドールが私の近くにやってきます。何事かと思ったのでしょう、でも、これが私の知っているスカイ・ハイ・インパクトのレーススタートの最適解なのです。


 ――パーン!


 レーススタートを合図する破裂するような大きな音と共に、観客の弾けた声援に押されてドールたちが一斉に飛び出します。私も地面を蹴ってスタート地点を駆け抜け、崖から飛び出します。それを撮影していたドールの驚愕の声が後ろから聞こえます。


「え? 翼出してないよ!」


 観客からも悲鳴じみた声が聞こえます。飛び降り自殺にも似た行動に動揺したのか、先に飛び出したドールのほとんどが後ろを確認したため、縦に大きな差が開いていました。


「ふふ、あははは!」


 たったこれだけのことで観客が私を見てくれる。ずっと私の中で眠っていた本能が目を覚ますような、すべての歯車が震え出すような感覚に襲われます。


 私は練習の時は義翼を使用していましたが、本番の今日は“自分の翼”を展開します。


 落ちて地面が近づく中、私の背中が開いて銀色の翼を一気に展開しました。


「また、自由に飛べるのですね!」


 推進エンジンなんて最低限しかなく、滑空しながら長距離を移動する当時のスカイドールに革命を起こすべく、開発陣は血迷ったかのように発明したのがこの翼です。


 スカイドールの機能を重視した無骨な翼と違い、モデルドールは鳥のごとく羽が集まって出来た翼であり、一枚一枚がすべて金属でできた銀色の翼は、伸ばせば私の身長を遥かに超え、地面に大きな影をつくります。


 私の身体が他のドールよりも大きい理由であり、これだけのものを体内に仕舞うにも誰かの手伝いが必要なのです。


 銀翼を大きく広げ、角度を調整、わずかな推進エンジンのブーストと共に一気に上昇します。太陽の光によく映えるはずの銀翼は、曇り空によって鈍い銀色にしか見えないでしょう。それでも光沢を放つ銀の羽は翼からこぼれるたびにキラキラと光りながら観客席へと舞い落ちていきます。


 かつて、人は私のことを天の使いと呼びました。天使の羽が空を舞い、最高速度に達すれば羽が青紫に燃えることもあったために、私は“空駆ける彗星”として、……地へと堕ちました。


 人々の空への憧れは魅了を持って叶えられ、そして、飽きを伴いながら地へと堕ち、再度空へと掬い上げます。


「エネルギーがまるで足りませんね……」


 朝一の動揺に無駄なエネルギーを使いすぎてしまったようで、このままではゴールはおろか、コース半分のあたりで地に足を付けてしまいそうな勢いでした。


 私がゴールできる条件に、滑空している間に太陽光で回復することが前提でしたが、しかし曇り空に太陽の姿は隠れてしまっています。


 人を魅了するために他に出来ることは何かと思考すれば、この前のヨギリの言葉を思い出しました。


 墜落して人の視線を集めるという話。私はヨギリらしいと褒めましたが、これはヨギリ以上に私らしくもあるのではないでしょうか?


「残エネルギー……墜落……、魅了……」


 条件を設定、私の目的を、いえ、“願い”を叶える条件を検索します。


 ここから滑空したところでゴールには届きません。勢い付けてこのまま墜落したところで、観客の悲鳴と顰蹙を買うだけです。なにか……、ここに魅了というパズルのピースを当てはめる追加条件は……。


「あ……、そこに、ありました」


 私の思考を具象化しているかのように広がっていた頭上の厚い雲ですが、偶然にも目の前に一瞬の晴れ間を見せました。


 推進エンジンをフル稼働させて私の身体よりも狭い晴れ間に潜り込みます。分厚い雲に頭を振られ、翼が折れそうになり、体内の歯車がいくつか壊れる音が響くほどの気流に揉まれる。雲の中は進み辛く、全身が左右に揺られながら一気に突き抜けると、待っていたのは静寂と、灰色の世界でも変わらぬ光を放つ太陽の姿でした。


 滑空体勢に入り、太陽光を間近に浴びます。残り残量僅かな推進エンジンとエネルギーを使い果たしてしまった私の身体は非常に重く感じ、雲の上を漂っているだけの時間が長らく続きました。


 大きく息を吸い込んで、太陽光の充電で半分ほど復活した推進エンジンを一気に稼働させます。翼を下向きに、雲を薙ぎ払う勢いでこのままゴールまで――。


「え? ――キャッ!」


 突然強い風が吹き荒び、ねじれるように私の身体を更に上空まで運んでいきます。目を瞑って風が落ち着くのを待ち、体勢を整えてゴールの場所を確認、あまり遠くまで吹き飛ばされていなければいいのですが……。


「雲が……晴れて」


 先ほどの風が分厚い雲を押しのけて、はるか上空にいるここからは指先ほどに小さくなったレース場が見えました。限界まで視力を上げると、カメラを持ったスカイドールが頑張って空を駆けあがり、小さくなった私の姿をカメラに収めていました。


 観客の声も聞こえない空はまるで神の領域のようで、最後に太陽を拝んでみようと振り返ってみると、頭の中の歯車が限界を迎えた。


 ガシャンガシャンと音を立てて壊れる音と逆に歯車が噛み合う音が連続しました。


 そして、壊れた歯車が見せた世界は――


「青い。空が……青い」


 真っ白な太陽が置かれたキャンパスは感嘆のため息を漏らすほどに鮮やかな青色です。灰色しか知らない世界に突如現れた色彩に、メモリーカードが限界を超えて世界を記録し始めます。


 容量を超えて、黒く四角い媒体が弾け飛ぶのが見えます。メモリーカードはドールが活動するための心臓です。これがかなければドールはすぐに活動を停止します。だから、自分で自分のメモリーカードを目にすることはできません。だから、…………どうして?


 過去の記録が目の前に広がります。幼い頃の聡明な旦那様、奥様とアイナ様が微笑む姿、レイナ、メイ、ユイゼル、クミ。旦那様が購入して、私がお世話したドールたち、そして、シイナ、ヨギリの二人はすぐそばで私の翼に触れて褒めてくれます。


「――――」


 もう声も出ません。だけど、私はなぜ活動できているのでしょう? とっくにメモリーカードは弾け飛んでいるのに。


『――――』


 私の知らない少女の声が聞こえます。まだ幼くて、弱々しい声音です。


『――空を、飛んでみたい』


 少女の好奇心はいつも空で、すぐ側にいる誰かは大きな手で少女の頭を撫でます。


 ……流れ込んできた記憶はここまでです。これが一体何なのか分かりませんが、気がつくともう目も見えません。暗闇に青い空が映るだけ。


 長い活動にお別れを告げるには十分な最後です。


 最後に、綺麗な世界をありがとう。願いと共に私の死に様をご覧ください。








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