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ハレー彗星8

 地平線の彼方へと続く一直線のコース。それを見下ろせる最も高いスタート地点に私は立っています。有終の美を飾るせっかくの舞台ですが、あいにくの曇り空。灰色は濃く、今にも雨が降り出しそうな天気です。


 周囲のドールに合わせたレオタードのようなレース衣装は私のボディラインがはっきりしています。普段はゆったりとしたメイド服ばかり着ていたせいかどこか落ち着かなくてそわそわしてしまいます。本当は最先端のファッションに身を包んで、またはヨギリのようなドレスが好ましかったのですが、最低限空を飛ぶことを考慮すれば贅沢は言えませんでした。


 コースを左右から挟んで席を埋め尽くす観客の声援はスピーカーからのアナウンスをかき消すほどで、私たちドールでなければ聞き取ることも難しいでしょう。


「旦那様……」


 旦那様が眠っている病院の方へと視線を向けます。ここからは病院の最上階が見えるくらいですから、空に上がれば旦那様の病室も見える事でしょう。


 昨晩、私が自室へと戻ってスリープモードへ移行した後、旦那様の持病が悪化し、ナースコールを聞いてメイド長が迅速に対処してくれました。そのおかげで、病室で眠る旦那様の容態は安定しているようで、メイド長とシイナが傍についてくれています。


 もし、昨晩に旦那様が私に命令を下していれば、旦那様を看病していたのは私だったでしょう。レースなどどうでもよくて、旦那様の命を優先に手を握り続けていたでしょう。


 過去のレースと違って細々とした手続きにてこずりましたが、それを見たヨギリが業を煮やしてすべてやってくれました。


 この後に控えるファーストクラスのレースの前座、本来は地方レースでの成績優秀なドールのために用意された席であるセカンドクラスレースの記念枠にねじ込まれた私のことを知っている人はいないに等しいです。耳をすませば、あのドールはなんだという声がいくつも聞こえてきました。


 スカイドールにはそぐわない体型をしている異質な存在、そもそもスカイドールかすらも疑われる声、アナウンスでは私の過去についての説明が流れていますが、ほとんどの人が聞いていませんでした。


 スタートライン付近に横並びで待機する二十機のスカイドールには軽く挨拶と、敵対意思はなく、最下位でもゴールすることだけが目的であることを伝えてあるので、妨害の心配はありません。ヨギリのアドバイスで根回しは完璧です。


 このレースを主催する団体のオーナーさんが、私の意思をくみ取ってくれて、私専用のスタート地点を用意してくれていました。スタートラインより後方、特別に設置してもらった高台に私はいます。


 旦那様が事前に話を通してくれていたみたいです。


 スタート前の残り僅かな時間、最後の点検を済ませる他ドールと違って、私はヨギリと作戦の確認を行っていました。


「いい? あんたはスタートしたら高度を保ちなさい。他のドールの巻き添えを食らわないように離れた位置で飛んで、ゴールが近くなったら残りのバッテリーと相談して滑空しながらゴールを目指しなさい。最悪落ちても地面はぬかるんだ土だから、……死ぬことはないと思うわ」


「やはり、ヨギリは優しいのですね。“あの子”の面倒を見ていた時もそう」


「う、うるさいわね! せっかくアドバイスしてあげているのだから、静かにお聞きなさいな」


 朝から不機嫌なヨギリに地団太を踏まれ、余計な思考は捨ててヨギリに向き直ります。


 旦那様の容態は安定しています。このレースを終えてすぐお見舞いに行けば……。


「私は――」


「なによ?」


 これから自分が民衆を相手に魅せるための飛行をしようという時に、見える景色はすべて、あの旦那様の豪快に笑う姿でした。


「私はまだ、……死にたくないのですね」


「はあ? 何言ってんの? 死ぬ気満々でここに立って、わたくしにもあなたなりの魅せ方を教えてくれるって約束したじゃない! 適当なもの見せたら承知しないわよ!」


 私の肩を抑えて、叫ぶヨギリに、周囲のドールが何事かとこちらを見る。ファーストクラスに所属するヨギリの知名度は相当なもので、そのドールとケンカしているらしき私は大いに目立ってしまいます。悪目立ちは避けたいのでヨギリになだめるように掴む手を撫でました。


「ヨギリは過去のレースを見たことがありますか? それもスカイ・ハイ・インパクト開催初期のレースです」


「そんなの、記録にないから見たことないわ。噂に聞いたことだけど、お遊びみたいに空をふらふら飛んでいただけだったそうね」


「当時のスカイドールには推進エンジンが積まれていませんでした。そのため、空を飛ぶには風を読み切る必要があります」


「だからふらふらしていたと?」


「はい。滑空しながらゴールを目指す、ゴールできればみんなが勝ち、みたいな感じではありました」


「……あなた、そんな飛行で民衆の目を惹けるのかしら? 落ち行く姿に悲鳴が上がりそうだわ」


「そうかもしれません。現代のレースでは信じられない飛行を披露しますし、ヨギリ、それゆえにあなたの求めているものをお見せできます」


 強気に出た私にきょとんとした様子のヨギリが、しばらくしてハッとして私に背を向けます。時間的にもそろそろです。他ドールの関係者も次々にスタートラインから降りていきます。


「……楽しみにしているわ」


「はい。楽しみにしていてください」


 背の高いブーツをコツコツと鳴らし、この場から去ろうとしたヨギリが足を止めました。


「ごめんあそばせ、ハレー。あなたのこと、気にくわないことも多かったけど、……嫌いじゃなかったわ」


「やはり、あなたは優しいのですね。旦那様とシイナのこと、よろしくお願いします」


「……ふん、あなたの飛行次第ね」


 今度こそこスタートラインから去ったヨギリの背中を見送った私は、歯車の回転数を上げるために大きく息を吸い込みます。人間でいう深呼吸に近い意味があります。


 不純物を取り除くフィルターの稼働音が聞こえそうなほど自分自身のことが見えています。


「ヨギリ、シイナ、最後にあなたたちと過ごした毎日の記録は私にとって宝物です。ドールにも魂があるというのであれば、魂の行く先の場所でお会いしましょう。……それと、旦那様」


 病院のある方へ向いて、深々とお辞儀をします。これが旦那様に仕える私ができる最後のお勤めでございます。


「さようなら。私の最愛の人」







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