ハレー彗星3
「何よ、まったく練習にならないじゃない!」
「申し訳ありません。何せ空を飛ぶのは六十年以上ぶりのことでありますゆえ」
私は今、ヨギリの練習に付き合い、“空を飛んでいました”。記録があるので空を飛ぶことは造作もないのですが、やはりそこからスピードを求められ、激しいぶつかり合いに発展すると、私はヨギリの攻撃になす術もありませんでした。
旦那様がこの時期お忙しい技師様を呼び出して私の背中に練習用の翼を装着もらい、ヨギリと共に崖から飛び降りました。
何もかも、最新の物と言うのは素晴らしいです。懐かしい記憶を遥かに上回る機能性にデータベースが勢いよく更新を始めます。危うくメモリーの容量を超えそうになり、慌てていらないデータと記憶を消去しました。
私に搭載されている翼はもっと大きなもので、レースでは互いにぶつからないよう意識するのが常でした。しかし、今装着している翼は私の背丈ほどの物で、コンパクトな旋回が可能な分、推進エンジンの爆発的な加速と合わせて相手への奇襲が可能となっていました。
しかし、どんなに機能に優れた翼を手に入れても、ファーストクラスのレースで一、二を争うヨギリの相手は務まりませんでした。私より遥かに軽いヨギリのタックルに態勢を崩し、コース横の土手にベシャリと不時着しました。
頑丈だけが取り柄です。この程度では部品一つ破損しませんでした。
「普通、あたしたちスカイドールは墜落一つで、全損する恐れがあるというのに」
「ヨギリ、あなただって他のスカイドールと比べても頑丈な部類でしょう?」
「あなたと一緒にしないで貰えるかしら! ゴリラみたいな握力は持ち合わせていないわ」
「ほう、私がゴリラ様ほどの握力を持ち合わせているか、試してみましょう」
「え? ちょ、ま、うわーん!」
顔面を鷲掴みしようと伸ばした手から逃げるため、エンジン全開で空へと逃げたヨギリを追いかける術は私にはありません。行き場を失った手を引っ込め、数キロ先のスタート地点まで歩きます。地上から空へと飛び立つには大量のエネルギーが必要なのです。
時間をかけて旦那様の待つスタート地点までたどり着いた私は、未だ私から逃げようとするヨギリの首根っこを掴み、無理矢理崖上まで連れて行きました。
「レースに参加するからには全力で挑みます。私の場合は耐久が要です。他のスカイドールと比べ、体重が重いヨギリの攻撃を耐えられればゴールは可能かもしれません」
「重いなんて失礼よ! これでも乙女よ!」
私相手に、スピード特化のスカイドールがペースを合わせてくるはずがありません。私のことを置いてさっさとゴールを目指すでしょう。もし邪魔をするとしたらタックルによる攻撃が予想されます。
先にシイナが崖から飛び出しました。私では決して追いつくことができない速度で飛んでいきます。気が付けばもう豆粒のような小ささに見えるほどの速度です。
ヨギリが逃げるように飛んだ後に私も落ちるように崖から飛び出します。飛行中にエネルギーを回復できない旧式の経年劣化したバッテリーを節約しながら飛行し、体勢を整えます。
「そ、それじゃあ、行くわよ」
「本番で相手に合図を送るのですか?」
「送らないわよ! もう、まともに飛べないくせに生意気なんだから」
先ほどの墜落で欠損一つなかったことを考慮してか、先ほどより激しめの攻撃が私のボディを直撃しました。
一度の飛行で翼の扱いには慣れました。攻撃された後の受け身も思い出し、少々バランスを崩しながらも飛行を続けます。
ヨギリの豪奢なドレスがバタバタと暴れていますが、それは彼女の動きと一体化しているように、舞踏会の華麗なダンスにも見えました。
「む、なかなかやるわね、では、これはどうかしら?」
私の周囲を踊るように旋回しながら攻撃してくるので予測が難しいです。ヨギリの、下からの脚で突き上げるような攻撃をとっさに両腕を交差してガードしましたが、私が思っていたよりも衝撃がありませんでした。
ヨギリはガードした私の腕に脚を曲げて逆さまの状態で着地し、推進エンジンの前へ進む爆発力で一気に押し出すように脚を伸ばしました。私の身体を土台にジャンプしたのです。
「――ッ!」
これまでの打撃とは違う攻撃に受け身を取れず、宙をぐるぐると旋回しながら墜落しました。
「あー……、ちょっとやりすぎたかしら?」
空からヨギリの申し訳なさそうな声が聞こえます。
なんとか着地だけは綺麗にと思い、空気をしっかり翼で掴んで脚から落ち着いて着地し、墜落の勢いを上手く分散させました。膝を着いて座る私の隣にヨギリが着地し、仁王立ちで私を見下ろします。
「いえ、これくらい対処できなければ、たとえセカンドクラスのレースであっても複数を相手に飛ぶことも難しいでしょう」
「その醜態で本当に出場する気? セカンドクラスとはいえ、少々舐め過ぎではないかしら?」
スカイドールは、デビューしてから未勝利戦を勝ち、一定の勝利数でそこから一つずつ段階を踏んで上のレースへと進みます。ファーストクラスはその名の通り最も上のランクのレースであり、トップクラスのスカイドールだけが参加できるレースです。セカンドクラスはファーストクラスの一つ下でありながら、ファーストクラスと遜色ない実力を兼ね揃えたスカイドールが参加しています。私ごときが勝利するなど烏滸がましいレベルです。
「分かっています。私の性能では勝機などないこと、そもそもゴールすら怪しいことくらい」
「なら、どうしてマスターの願いを聞き入れたのよ? あなた、レースでおんぼろになってリタイアする醜態をマスターに晒す気?」
「そのつもりですよ」
「わっかんないわねぇ……」
淑女らしからぬ動作で後頭部をポリポリと掻いたヨギリは、それから何も言わずスタート地点の方へと飛んで行ってしまいました。幻滅されたのでしょう、ヨギリには練習に付き合ってもらいながらも申し訳ないことをしました。あなたもレースが近いのに、無駄な時間にしてしまいました。
地上から空へ、私のような旧型のドールでなければ、この翼と推進エンジンだけで容易に飛ぶことが出来るでしょう。もう、空から墜ちる飛行は時代遅れのようです。
「あれ? ハレーお姉ちゃん、どうしたの?」
「シイナ、もう戻って来たのですか」
太陽光でバッテリーを補充している間、私に声をかけてきたのは先ほど飛び出していったシイナでした。
「うん、短距離はスピードが命だもん、相手がいないならもう少しいいタイム出したいんだけどね。それで、ヨギリお姉ちゃんは一緒じゃないの?」
「ええ、ヨギリには先に戻ってもらいました。私はここから歩きますので」
「え? ここから歩くって……六キロくらいあるよね」
「そうですね、今から歩けばお昼過ぎには戻れますので、昼食は少し遅れますと旦那様にお伝えしてもらえますか」
「いいけど……、ううん! ちょっと待ってね」
シイナは私の傍に着地すると、自分で腕のメンテナンスを始めました。ロックを外してネジを回し、少しだけ弄って腕を動かします。
「うん。これでよし! シイナがハレーお姉ちゃんのこと、運んでいくから」
「でも、シイナの力で私を持ち上げられますか?」
短距離型に特化しているシイナは、耐久を求められているために頑丈な作りのヨギリと違って装甲も軽い素材で作られています。装甲の耐久に合わせた力量しか持ち合わせていないシイナに私を持ち上げることは難しいのではないでしょうか。
「大丈夫だよ。計算上問題なし! それに今、物を運ぶように腕を改造したから、持ち上がりさえすればちゃんと固定して運べるよ」
胸の前で両拳をグッと固めたシイナの決意は固いようで、私は恐る恐る「では、お願いします」とこの身を任せることにしました。
シイナは私の前に来ると軽くしゃがむよう指示し、私の腰をがっしりホールドしました。やり方としては、私が旦那様をベッドから車いすへ運ぶ時と同じ要領です。しかし、私とシイナでは圧倒的な身長差があるので、私が腕を回すのは首ではなくシイナの腰。翼の動きを邪魔しない場所かつ背中の推進エンジンからの放熱で腕が爛れない位置が好ましい。
「えと……そこ、おしり……」
「嫌でしたか? 最悪滑り落ちる可能性を考慮し、体勢を安定させるには私がシイナのどこかに掴まっておく必要があるのですが。シイナが不快に思うのでしたら、少々不安ですが……」
「ううん! いいよ、好きなところ掴まって」
寸動のような起伏のない身体に生殖器もない、しかし女性としての感情パッチがインストールされているために、そういう性的な意識はわずかながら存在します。もし無理矢理行為に及ぼうものならドールの緊急回避装置が作動し、一時的な暴力が解禁されます。その時は力も爆発的に上昇し、警告を無視すれば命はありません。
警告を出されること自体滅多にありませんし、出された時点で国の法に抵触しているため、収拾がつき次第、ドールは衛兵に報告することがプログラムされています。
ドール同士の場合は関係ないのですが、なんだか落ち着きのないシイナを見ていると、少々申し訳なかったなと反省します。
ちなみにシイナが安全に、安全にと、ゆっくり運びすぎたせいで推進エンジンのエネルギーが枯渇し、スタート地点を前に二人で歩いて帰ることになりました。