太陽の子9
高台に横一直線に引かれるスタートラインの内側で、最終チェックを行っていた。
目を閉じ、軽くジャンプ。前後左右に身体を捻り、動作に違和感がないか。目を開け、今いる場所とスタートラインまでの目算と実際の距離に相違ないか。翼を広げ、推進エンジンが問題なく起動するかどうか。
「……よし。オールクリア」
「よかったわ、最後の最後で不良が見つかってもわたくしでは上手くできるか分からないもの」
一応は持ってきていた工具箱を片付けるヨギリお姉ちゃんはホッと息を吐く。これで後はレースが始まるのを待つのみ。ヨギリお姉ちゃんも観客席の方へ移動することになる。
しかし、私たちの元へ漆黒の翼の持ち主が話しかけてきた。
「おい、チビ助。話がある」
レイエルさんは、変わらず漆黒の衣装で、手首に包帯を巻いていた。首の包帯はないからやっぱり前に会ったクーちゃんとは別人なのだろう。
「あなたがレイエル?」
「あ? なんだ“どろんこ”か。なんか用か」
ヨギリお姉ちゃんが興味を持ったみたいで、レイエルさんに近づいた。あまりサポーターは担当ドール以外の接触は控えるのがマナーだけど、どうしたのだろうか。
「いえ、なんでも、……いえ、一つ聞くわね。あなた、“姉上”はいる?」
よく分からないけど、ヨギリお姉ちゃんの質問にレイエルさんが顔を顰め、頭を押さえた。一瞬よろめき、ヨギリお姉ちゃんのことをきつく睨んだ。
「……おい、何をした? なんであたいの記録がざわめく?」
「何もしていないわよ。……もういいわ。じゃあ、わたくしは観客席に行くわね、シイナ」
「あ、うん」
「それと最後に。……絶対に勝ちなさい」
ヨギリお姉ちゃんの少し震えた手が私の肩を叩いてスタートラインを下りて行った。
鬼気迫るヨギリお姉ちゃんの言葉は鼓舞となり、私の中でめらめらと燃え上がった。
「そんであたいの話だが、チビ助、あたいはこのレースで引退する。だから全力で飛べ。適当な飛行すれば叩き落とすから覚悟しろ」
レイエルさんの突然の引退宣言に驚き、燃え上がっていた炎が一瞬パチッと弾けた。
「え? 今回で引退?」
「じゃあな、チビ助。あたいの死に様にあんたを巻き添えにするかは、あんたの努力次第だ」
「ま、待って!」
私が止める間もなく、レイエルさんは持ち場に戻っていった。他スカイドールの近くを歩くものだから、持ち場に戻るまでに何度も悲鳴を聞いた。
そのあと、レイエルさんは回って来たカメラの前でも引退宣言をしたことで、観客の意識は全部レイエルさんへと向いた。かくいう私もレイエルさんのことしか考えられず、回って来たカメラには「絶対に勝つ」と対抗心丸出しの勝利宣言で観客を湧かせた。
〇
スタートを知らせるランプが一つひとつ灯っていく。
ただ一人、レイエルさんを除いた選手全機が全く同時に推進エンジンを起動する。キーンと高い音がスタートラインを支配し、最後のランプが灯ると同時にブザーが鳴り響く。その瞬間、二十機すべてが一足に飛び出した。
最初の加速は誰にも負けない自信がある。二位とは身体半分リードを保って最高速度に達した。
「――クソッ。なんで!」
二位のスカイドールの悪態が聞こえる。ここで邪魔しようと手を伸ばすことが大事故とタイムロスに繋がることは短距離レースでの常識。風を読み、ただひたすらに正しい飛行姿勢でタイムロスをなくすことが順位を上げることに繋がる。しかし、いついかなる時も例外というものは付き纏う。
「オラッ! ドケー!」
「――――キャー!」
後ろの方から悲鳴が連続して聞こえた。悲鳴の数からして三機も落とされた。レイエルさんの声から距離を計算すると、おそらく私とレイエルさんとの間にドールは十機もいない。避けたドールも多いだろうけど、いつもより遥かに早いペースでレイエルさんは追い上げてきた。
いつの間にか私は単独でトップに立ち、二位のドールとはだいぶ差が開いていた。
かつてない速度で逃げる私と、早くも追い込みの後半に入ったレイエルさんの一騎打ち。観客の歓声がうるさい。距離を測り損ねる。
「――ッ!」
後ろから迫りくる恐怖に気持ちが焦り、秘密兵器を早くも公開してしまった。
「くっ、ブースターが」
推進エンジンとは別に、翼の裏に隠してセットしていたブースターを早くも起動した。これでまた差ができたけど、本当は追い付かれる寸前でカウンター気味に起動させたかった。
「――キャー!」
また後ろで一機レイエルさんに落とされた。残酷な悲鳴が聞こえる。しかも、今の悲鳴は先ほど私のすぐ後ろで悪態をついていたドールと声が合致した。つまりもう――。
「見えたぜ一着! 待てやチビ助―!」
「はやい! でも逃げる!」
ブースター分の加速は早くも終わりを告げ、残りは地力の推進エンジンのみ。私の意志で加速しない以上、ここから勝つためには最低でも一回レイエルさんの攻撃を最小の動きで回避する必要がある。
ゴールまであと十秒もかからない。メモリーカード内の秒読みが気持ちを焦らせる。
恐怖の塊が迫り来る。もう私の真後ろに付けられているのを空気が知らせてくれる。
レイエルさんの使用する特殊な推進エンジンは、一瞬だけ爆発的な加速を生み出すことができる。だからこの状況はいつレイエルさんのタックルで吹き飛ばされてもおかしくない。
残り……数える余裕がない。
「空気を……読め! シイナはスプリンターだ!」
一瞬でも読み違えばタックルを受け、最悪修理不能の大破の可能性もある最終局面、恐怖を振り払うために叫んだ私の声に、太陽が答えてくれた。
「――え?」
「なに!?」
感情パッチの奥底を刺激する太陽の一瞬の輝き、導かれたように身体を半回転させ、思わず空へと振り返ってしまった私のすぐ真下をレイエルさんの身体が通りすぎた。
爆発の威力と引き換えにエネルギー切れで失速したレイエルさんを抜き返す私の翼は太陽に輝いていた。
「天の……階?」
それはレイエルさんの呟きだった。私には天の階は見えていないけど、レイエルさんの瞳にはそれが映っているらしい。
――いつの間にか私たちはゴールラインを通り過ぎていた。もつれるようなゴールだったが、常に私の方が頭一つ突き出ていた。
つまり、勝ったのは私。太陽に導かれて、私はレイエルさん相手に悲願の一着を手にした。
推進エンジンがエネルギー切れでゆっくり着地すると、レイエルさんと並んで土の上にお尻を付け、ぼうっと空を見上げていた。
「勝った……?」
「あたいは、負けたのか」
「シイナが、勝った」
「らしいな。……たく、しょうがねえ。負けは負け、引退は引退だ。あたいは死神らしく地獄に帰るとするよ」
立ち上がったレイエルさんは私の手を引いて一気に持ち上げてくれた。レイエルさんは、負けたとは思えないほど清々しい満足顔で笑っていた。こんな柔らかい笑顔は初めて見たけど、この笑顔はどこかクーちゃんの面影があった。
私が何か声をかける前にレイエルさんは私に背中を見せ、包帯が巻かれた右手をあげた。
「じゃあな、チビ助……、あたいの永遠のライバル、シイナ。地獄でまた飛ぼうぜ」
「レイエルさん! えと、また、次もシイナが勝つから!」
「生意気なチビだな! ……楽しみにしているぜ」
レース場を去るレイエルさんの背中は大きく見えた。退場する彼女のことを観客は惜しみない拍手で見送る。
「ありがとう、レイエルさん。シイナは誰にも負けないから」
頭を下げてお礼を言う。頭を上げる時にはもうレイエルさんの姿はなかった。
「「シイナー!」」
声を揃えて私を呼ぶ声が観客席から聞こえる。姉妹揃って感極まっているのか。
私は今にもコース内に飛び出そうとしている二人の元へ駆けこんで、両手を広げて飛び込んだ。




