太陽の子8
年に複数回あるレースの一つ。今までも、そしてこれからも参加するレースの一つにすぎないのに、今日のレースはどこか気持ちがざわついていた。
朝、カーテンを開ける。快晴。窓を開ける。風はおだやか。
機械的な動作で外の状況を確認した後は、顔を洗って水を一杯飲む。体内の眠っていた歯車が回りだし、はっきりとした動作が可能となる。
「うん。今日も調子いい!」
このざわめきの正体は分からないけど、私がレイエルさんにレースで勝てるチャンスは今日が最初で最後。
それだけの覚悟を持って挑む。絶好調かつ推進エンジンパーツも最骨頂の今日で勝てなければ、きっともう勝ち目はない。今日が私の全盛期。
「絶対に逃げない。シイナはもう一人じゃないから」
私からお願いして撮ってもらった写真がピンク色のタンスの上にいくつも並んでいる。
ヨギリお姉ちゃんに後ろから抱きしめられた構図のツーショット、アサギリちゃんの不満顔、ケイネさんとレディの皆々様方。
受け身だった私は、自分から声をかけることも頑張り、あれからテオさんとも一緒に写真を撮った。
本当はここにお父様とハレーお姉ちゃんとの写真も並べたかったけど、お父様は写真を嫌う人だったため、屋敷に居た時の写真は一枚もない。代わりにヨギリお姉ちゃんから預かった写真を飾ることにした。ハレーお姉ちゃんの写真は王都図書館の古い資料の中に(ピンぼけしていたけど)一枚だけあって、それをさらに写真で撮ったために画質が荒いけど、これで全員揃った。
レース衣装に着替える。空気抵抗の少ないピッチリしたスーツ。可愛げはないけど、その分スピードが出る。私のスポンサーになりたいという企業はこれまで多くいたけど、私はすべてを断った。
レース衣装の上から、ケイネさんにもらったドレスを着用する。落ち着いた色は清々しい朝と静かな闘志にはピッタリだ。
「シイナ、準備は出来たかしら?」
相変わらずノックと共に部屋に入って来たヨギリお姉ちゃんは私のドレス姿を見て、息を?んだのが分かった。
「……いいじゃない。流石ケイネが認めたレディね。とても綺麗よ、シイナ」
「ありがとう。ヨギリお姉ちゃん。これでお化粧すればもっと綺麗になれるかな?」
「止めておきなさい。これ以上綺麗になると、マスターが娘の嫁入りと勘違いしてあの世で咽び泣くわよ」
「お父様がそこまで泣くかなぁ?」
「泣いたのよ、実際」
「あ、そうか」
お父様、アイナさんの結婚で泣いたんだ。ハレーお姉ちゃんがハンカチ持って呆れた顔しているのが目に浮かぶ。
「さて、準備は出来たかしら? 出来たらさっさとレース場へ向かって最終準備を済ませるわよ」
「うん。ばっちり!」
いざ、決戦の地へ。
〇
ドレス姿でレース場に現れた私に、当然周囲の人は驚いていた。この姿のままレースに参加するわけではないから拍子抜けされてしまうかもしれないけど、今日の私は一味違うところを見せられる。
控えテントの中で呼び出しがかかるまでの間、リラックスした姿勢で水を一口飲んだ。
テントにはヨギリお姉ちゃんとアサギリちゃんが応援で来てくれて、スタートラインにはヨギリお姉ちゃんがサポートとして付いてきてくれる。
「どうして私がシイナの応援に来なくてはいけないんですか?」
「あら、アサギリの大切なお友達でしょう。せっかく特等席があるのだから、時間ギリギリまで手を握っていてはいかが?」
「そ、そこまでの仲じゃありません。私、シイナのことは嫌いですから」
「え? アサギリちゃん、シイナのこと嫌いなの?」
「どうしてマジ泣きしそうなんですか! まるで私が悪者みたいではないですか」
「みたいも何も、あなた、シイナを泣かしたわよ。本当に悪い子ね、またどろんこ遊びでもしましょうか?」
「お姉さま、それはマジで勘弁してください! 謝りますから、どうかお許しを!」
ヨギリお姉ちゃんは素手で泥に触れることに抵抗がない。だからアサギリちゃんが何か粗相をすれば、すぐに足元から土を掬って投げつけることもできる。
最近は晴れ続きで、泥はすっかり固まっている。ヨギリお姉ちゃんの最後のレースで、前日が雨でなかった場合は泥が入ったバケツを頭からいくつも被る段取りだった。ありがたいことに前日が大雨だったおかげで泥を現地調達できたのは作戦実行を若干楽にさせてくれた。
私も泥を触るのにそこまで抵抗はないけど、今日はそんな変わり種を披露する時間はない。短距離は数字の8の中心を切り分けるようにただひたすら真っ直ぐ飛ぶから。出し惜しみもなく最初からラストスパートをかけ、頭一つの差で勝敗を分けるような短期決戦。だからこそレイエルさんのような追い込み型のスタイルは珍しく、観客の目には余計派手に見える。さらに言えばレース衣装も死神を彷彿とさせる漆黒のブラウスに同じ色のタイトスカート、一目でどれがレイエルさんなのか分かるというのも彼女が人気の理由でもある。
そんなレイエルさんを今日こそは仕留めようと牙を研いできた私は、他のスカイドールよりも小柄だから見分けが付くという人気の理由があった。レイエルさんには及ばないが、今日は私という存在を強くアピールしながらレース場へとやってきた。観客の興味も私が根こそぎ奪うつもり。
「……もう、時間かしら。楽しい時間はあっという間ね、アサギリ?」
「私を二人がかりでいじめる時間を楽しい時間といいましたか! だからお姉さまのことが嫌いなんです! たまには隣国の高級な水でもおごってくださいよ!」
「わたくし、どんなに高級でも美味しい紅茶に変えるわよ? それでよければ今度ごちそうするわ」
「……それでお父様にフィルター掃除お願いするのは恥ずかしいから結構です」
「わたくしは毎週のように頼んでいるわよ? 昨日なんか研究が一段落ついて今にもぶっ倒れそうだったけど、笑って掃除してくれたわ」
「なんてことしてんですか! それ疲れすぎておかしくなっているやつです。それに毎週ってどんだけ紅茶飲んでんですか!」
「文句なら女性研究員に言いなさい。あの子たちがわたくしに味覚の機能を実装しようと頑張っているのだから」
研究所暮らしになってずっと上機嫌だったヨギリお姉ちゃんには、今まで雰囲気でしか楽しめなかった紅茶を味覚で楽しめるかもしれない可能性があったみたいだった。
フィルターや、排泄の問題はあるだろうけど、もしドールも味覚を手に入れれば、家族と同じ食卓に着くことが可能となる。これはドールの革新となるのではないだろうか?
「くっ、……せめてその職員にフィルター掃除のやり方を教えてあげてください。それで少しはお父様を開放ください。寝不足で私の整備に間違いがあると怖いです」
この姉妹のお話を聞いて、私はちょっと罪悪感がある。それはちょっと贅沢な整備を今回お願いしたからだった。
「シイナの整備は王室の技師さんにお願いしているんだよ」
ついでに自慢してみたくなった。ヨギリお姉ちゃんはこのことを知っているが、アサギリちゃんは少々血走った目でこちらに振り向いた。
「シイナの今のマスターは王様だもん。お父様が王様にお願いしたおかげで、私は最新の整備を受けられるんだよ。翼もピカピカに磨いてもらったの」
「お、お父様だって昇進したからかなり最新の機材を使えますし! 私だって翼の手入れは怠っていません」
張り合うアサギリちゃんが可愛い。
私が宮殿で王様と少しお話した時、お父様が昔、王様と勝負して手にしたなんでも言うことを聞く権利三回分について教えてもらった。
お父様はそれをギリギリまで使わず持っていて、亡くなる前にすべてを使い切ったそうだ。
一つ目はハレーお姉ちゃんを引き取るための手引きに使い。二つ目はいったん飛ばして三つ目、これはお父様が王様に私のマスター権限を引き受けてもらうために使った。そして戻って二つ目、これが一番驚いた。なにせ私の名前である『シイナ』は王様が名付けたそうで、お父様が王様に名付け親の依頼をしたらしい。
どうして『シイナ』なのか聞くと、王様は少ししんみりとした顔で私の頭を撫で「アイナ君が昔、子どもに名前を付けるならこの名前だと聞かせてくれたことがあった」と教えてくれた。
このことをお父様は最後まで教えていなかったみたいで、少し後悔もしていた。
「シイナ選手、準備をお願いします!」
「あ、はい! 今行きます」
少々長話が過ぎたみたいで、呼び出しがかかる前にテントを出ようと思っていたけど、スタッフが呼びに来てしまった。
アサギリちゃんは観客席で応援してくれる(本人は全力で否定していた)ようで、別れ際「絶対勝ちなさい!」と私の胸にこつんと拳をぶつけて背中を向けて去っていった。去り際、髪をかき上げる姿はやっぱりヨギリお姉ちゃんにそっくりだった。




