太陽の子7
レイエル視点
目が覚めると、あたいは部屋のベッドに横たわっていた。舌打ちをしつつ身体を起こし、ベッドから立ち上がる。
おどろおどろしい死神の鎌が飾られた白い部屋に、相反する乙女チックなピンク色のデスク。その上にはオイルまみれになったナイフが二本無造作に置かれていた。
「チッ、またあいつ勝手に出かけたのかよ。エネルギーがほとんどねえじゃねえか」
大人しく待っているのが嫌いなあたいは、引き出しの小型バッテリーをいくつか引っ掴み、一つを背中のプラグに押し込んで残りをポケットに入れた。
最新機のあたいは燃費がよく、最新の小型バッテリーとの併用でエネルギー残量を現状維持できる。ちゃんとした充電は寝る時でいい。
「今度はどこに出かけたってんだ……、チッ、ご丁寧に記録が消去されてやがる。復旧も不可とは念入りなこった。ま、どうせいつものとこだろ」
所持金を確認するが減っていないため、出かけたはいいが何も購入しなかったようだ。“あいつ”しか知らないへそくりがあれば別だが、元から物がほとんどない部屋に変化があった様子もない。今回は気まぐれに出かけたみたいだ。
「あー、どうにかなんねえのか、これ? あたいの身体だってのに時々乗っ取りやがって、今回は記録も残さねえってよ。……チッ、今度は首かよ」
首に巻き付かれた包帯を無造作に外す。オイルで黒く染まった包帯をごみ箱に捨て、部屋を出る。
廊下は白い照明が照らし、どこまでも続く。地下を掘り進むように作られた細長い廊下の扉は、一つひとつが秘匿されるべき資料で埋め尽くされている。
表向き部品の開発と研究を行っている地上の研究所へと続く階段は無視し、緊急脱出経路に最も近い部屋をノックもせず乗り込んだ。
「おい、またあいつが掻きむしったから直せ」
白衣を身に纏った少数の研究員が大きな隈をぶら下げた目でこちらを向く。その誰もが心の中で“またか”とため息を吐いたのは態度で分かる。あたいだって掻きむしりたくてやったわけじゃねえ。あいつ自身と記録がそうさせている。
「今度は首?」
まだ二十代も前半だろう若い男の研究員が、コーヒーを持ったままあたいの近くにやってきて首を見つめた。どうやらこいつが今回修理を担当するらしい。
「ああ、いつものナイフが汚れていたから、相当面倒になるだろうよ。チッ、なんであたいの時間が減らにゃなんねえんだ」
「この前は手首だったよね。オイルは補充した? 首の違和感はある? 他に抉られた所はない?」
「一気に聞くんじゃねえよ。オイルは足りている、首は奥の歯車がちょいとずれている。右手首も引っ?いたみたいだから、こっちも直せ」
「一気に聞いても全部答えてくれるのは流石のスペックだ」
「そこを褒めるたぁ、てめえも研究者なんだな」
「ん? ああ、僕が若いから研究者に染まり切っていないように見えたかい? これでも子どもの頃から研究を続けていてね、ここにはスカウトで入った。手先は器用だし、君の構造も把握している。安心するといい」
「この部屋の手腕を疑っちゃいねえよ。ここは覚悟決めた変人の巣窟だからな」
「ははは! 違いないね」
机の上に乗り切らず、床にも積み重なった資料の山と変人の合間を縫って、目的の場所にも積み重なっていた資料を薙ぎ払って診察台に横たわる。 近くにいた変人、もとい研究者が「あぁ……」と情けない声を漏らした。
「そんじゃ、さっさと直すよ」
「…………」
じっとしているのが苦手なあたいでも、違和感を残した状態での活動は避けたい。ガラガラと空回りしている歯車が動かないよう口を閉ざし、顎を上げてジッとする。
漏れ出していたオイルを丁寧に拭かれ、細長い棒が首に突っ込まれる。心臓が弱い人が見れば気絶しそうな光景も、この部屋では日常茶飯事だ。開発中のドールは毎日のように全身を弄繰り回されている。
この研究員は自負しただけあって手際が良かった。首の中を少しだけ掻きまわして原因の歯車を特定すると、そこから一分と経たず、カチンッと子気味良い音と共に歯車が嵌る感覚がした。
オイルまみれになった細い棒はトレイに置かれ、次に人工皮膚が開いた首にあてがわれ、チクチクと針で縫われる。本当に綺麗な見栄えに戻そうと思ったら首のパーツすべてを取り換える必要があるが、あたいの場合はどうせ一週間以内にまた首か手首が自傷行為でダメになる。だから適当な素材で穴を塞ぐ程度にいつも留めていた。
「……はい。首は終わり。なるべく引っ掻かないでね……、って言っても無駄なことだったね。次は手首直すから。こっちもすぐ終わりそうだけど、やっぱり時間食うね」
「どうにかしたかったら、どこの誰だか知らねえが、あたいの中の奴をどうにかしろ」
「うーん、それは無理な話だね。その子を取り除いてしまうと君はレースで負ける可能性が出てくる。こちらの研究が上手く進んでいない現状、君の敗北はかなりの痛手になる」
何度も聞いた話だ。どうやらあたいは死ぬまでこいつと付き合わないといけないらしい。
「ケッ、ドールの弱点ばっか研究してドール開発の方向性を誘導しているくせに。そんで、法律の穴見つけたら、法が変わるまで金儲け。最後はあたいの強さの秘訣を見せびらかして秘密裏に金儲け。国に咎められそうになったらそこの穴から隣国に亡命だろ?」
「いやはや耳の痛い話なことで。地下研究所の目的だから金儲けは否定しないけど、亡命までは流石に話がデカすぎて分からないね。そこは新所長の判断だから」
研究員は逆剥けになったようなあたいの手首を観察すると、近くのラックからポンポンと必要な物を取り出した。
「面倒だから糊でくっつけていい?」
「ダメに決まってんだろ。さっさと直せ」
「しゃーなし。逆剥け一枚一枚元に戻しますか」
ピンセットで剃り立った逆剥けを元に戻す研究員は、面倒といいながらも楽しそうに鼻歌を歌っていた。
「なあ、あたいの新しいマスターは、亡命の際にあたいを連れて行ってくれるか?」
「…………」
「あんたにそれを決める権利はないことは分かっている。だからあんたの意見でいい。聞かせろ」
「捨てられるだろうね」
即答した研究員の手に逆剥けをぶつけた。スカイドールの肌は頑丈だ。釘を押し込まれた程度に痛いだろう。というか血が出ていた。
「いったい! どうして! 僕は正直に答えただけだよ!」
「その正直さにむかついた。研究者だったらもっと被検体をだます努力をしろ」
研究員はあたいの修理を一旦止め、先ほどのラックから絆創膏をいくつか取り出してペタペタと貼り付けていた。
「そんで、どうしてあたいは捨てられる?」
「もう攻撃しない?」
「しねえよ。だから話せ」
修理を再開した研究員は、あたいからの攻撃に少し怯えながらピンセットを持ち上げる。
「理由は三つある。一つは前所長と新所長の仲があまりにも悪すぎた。だから君のマスターだった前所長の所有物は、君を含めあらかた廃棄されるだろう」
「……二つ目は?」
「僕たちの進めている研究が完成すれば、現れるのは完全に君の上位互換のドールだ。新所長がその新型ドールと比べて、君に利用価値がないと判断することは想像に難くない。これが二つ目。そして三つ目だけど、最後はちょっと確信がないんだけど……」
この研究員は周囲を確認し、誰も聞いていないことを確認する。これまで相当不謹慎なことを口にしているくせに、何を怯えているのか。
わざわざ修理を中断し、あたいの耳の近くまで口を寄せた。
「三つ目の理由は、ここの非合法な研究がすでに王室にバレている可能性があることだ」
「なに?」
「最近、この研究所に不審な動きがあった。侵入者か、それとも内通者か。動きが王室の者とは違ったらしいけど、遠からず王室の耳に入るだろうね」
「それを新所長はどうすんだよ。このまま捕まって終わりか? んなわけねえだろ」
「それがね、不審な動きに気付いたのが前所長支持者の古参研究員でね、意地でも新所長には教えないらしい。ここ最近で姿を消した研究員はこの研究所を切ってさっさと亡命しているよ」
「ハンッ! バッカらしい。わざわざ自分らの首を絞めるたぁ、流石は屁理屈変人の研究者か。これにはあたいも鼻で笑うしかないね」
「もし先にここが暴かれれば、“マスターがいない”君は迷うことなく解体処分だ。早いところ誰か新しいマスターを見つけるといい」
「あんたはどうする? 逃げねえのか?」
「……まさか、あの残虐非道のレイエルに身の心配をされるとは思わなかった」
また逆剥けで刺してやろうと思ったが、今はもうすべて直されていて、再度包帯を巻かれている最中だった。
若干の怒りがドールの仕様で収まると、確かにあたいらしからぬ発言だったと反省した。自分はどのみち近い未来、解体処分になる。この研究所には恨みこそあれ、あたいが心配する余地はどこにもない。
「ぼくは研究が好きだからね。他に居場所もないし、最後までここに残るよ。たとえ最後は首を刎ねられようともね」
やけに覚悟の決まった研究員の言葉に、あたいは包帯を巻かれた右手をぎゅっと握る。違和感はない。今まで修理を担当したどの研究員よりも仕事が速く丁寧だ。しかもここまでこみ入った話をしたにも関わらず、修理が終わればすぐに片づけて研究に戻ろうとするさばさばした性格。
被虐的に口元が吊り上がる。
「なあ、あんた。あたいのマスターになれよ」
気に入った。こいつとならあたいは心中できる。
「え? いや、新所長が許してくれないだろう? それになれたとしてもお互い未来がない。君こそさっさと亡命した方が長く活動できるだろうよ。まあレースには出られないだろうけど」
「この先、短けえからいいんじゃねえか。どうせ新所長はあたいに興味なくて顔を見せにもこねえ。バレなきゃいいんだよ」
「まあ、新所長の無関心を見ればバレる要素はないし、マスター権限で君の核心の研究もできるから悪い話でもないのは確かだ」
「だったらよぅ」
あたいは研究員の正面に回り込み、レースで得物を狙う時の笑みを浮かべた。
そんなあたいを見て、同じく笑みを浮かべたこいつを選んだのは間違いではなかった。
「あたいと地獄に落ちようぜぇ?」
大声で笑ってしまいそうな研究員は手で口元を抑え、仮面のように外した手の下から出てきたのは、あたいとそっくりの、被虐的な笑みだった。




