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太陽の子3

 ヨギリお姉ちゃんに部屋を模様替えされて、久しぶりに気持ちのいい朝を迎えられた。


 顔を洗い、残エネルギーの確認と水の補給を済ませる。練習用の衣装に着替え、その上に普段着を重ねて着てから部屋を出た。これから練習場へ向かうのだけど、外部の練習場に移動する理由は、この研究所内に私の居場所はないから。


 この研究所は多くのスカイドールが保有され、研究所内での練習とはすなわち研究であるようなものだった。一本飛ぶ度にタイムを計り、バイタリティチェックが細かく入る。担当するドールのレース成績が研究者の実績に繋がるため、練習場は使用に予約が必要だし、一人で飛ぶというのも奇異な視線を向けられそうで怖かった。


 朝は陽が当たる裏庭に設置された大きなパラソルの下で、優雅にお茶をしていたヨギリお姉ちゃんと、お茶仲間の女性研究員さんたちに挨拶をしてから近くの停留所に向かう。


 私の新たなマスターである王様が、私が前に住んでいた屋敷前の練習場を提供してくれているので、少し遠いけど毎日そっちまで足を運んで練習している。そんな王様の計らいで乗り合いの車は最後に少し遠回りして屋敷の傍まで運んでくれる。


「今日も練習かい? 頑張ってね。おっちゃんはお嬢ちゃんを応援しているぞ」


「はい! 頑張ります!」


 すっかり仲良くなった運転手に王様から渡された輝く黒色のカードを提示する。これを見せれば料金を払わなくてもよくなる。この運転手とはほとんど顔パスみたいなところはあるけど、ちゃんと決められたことは守り、今日も降車時に胸元に紐で吊るしていたカードを見せた。


「ん。問題ないよ。いってらっしゃい。お迎えは今日も同じ時間でいいかな?」


「はい。日が暮れる前に練習は切り上げますので。あ、でも私がここにいなければ無視しても構いませんから」


 乗客を全員降ろしてからここに来ているため、運転手も余裕があるみたいでいつも帰宅時間に合わせてもらっている。最悪、屋敷に置いたままにしていた自転車を利用すれば帰れない距離ではない。


 運転手に手を振り、すぐの曲がり角に姿を消したのを見送ってから、私は練習場に足を踏み入れた。


「あれ? 誰かいるの?」


 しかし、練習場の私の定位置には見知らぬ荷物が置かれていて、誰かいるのかと辺りを見渡すと、コース上の遠い空に先客が飛んでいた。とても目立つ姿で、遠目でもそれが誰なのか分かった。


 ヨギリお姉ちゃんと同じく、空気抵抗の軽減を重視した衣装ではなく、漆黒のブラウスに同じ色のタイトスカート、腰くらいまである黒髪は先端だけ強めにカールしている。人間でいうアルビノを彷彿とさせる真っ白な肌と赤い目は、黒い衣装と合わせると死神のように見えてならない。


「……レイエルさん、どうしてここに?」


 ちょうど向こう側からこちらへ帰って来たレイエルさんが、私に気付いて近くに着地する。


 近くで見ると一層迫力が増し、一歩離れたいと思う気持ちをグッと我慢する。


「なんだ、チビじゃねえか。あたいになんか用か?」


 レイエルさんは初対面の時から私のことをそう呼ぶ。非常にむかつくけど、私より頭一つ分高いし、何度訂正しても聞いてくれないから諦めた。


「ここ、立ち入り禁止だよ」


「チビだって入っているじゃねえか」


「私は許可を貰っているから問題ないの」


「あ? 誰もいねえ練習場に誰の許可がいるってんだ?」


「……王様。ここ、王様が個人で所有することになったから」


「はあ? 王だと? ここってチビのマスターが管理してなかったか?」


 レイエルさんはマクロお父様がこの練習場の所有者と知っていて不法侵入してきたわけだ。確かに今は私しか使っていないし、私が使用していなければ練習場は無人に見えただろう。でも、だからって勝手に使う?


「そんで、チビのマスターはどこだ? そいつに話通しゃ王様とやらに話付けてくれんだろ? あたい、ここが気に入ったんだ。許可くれなくても勝手に使うけどな」


「王様が管理することになったの。だから、怒られたくなかったら王様に直接言って」


 私が突き放すように言うと、いつものレイエルさんなら怒鳴ると思って慌てて目を瞑った。しかし怒声は飛んでこない。目を瞑って怒鳴り声に耐えようとしていた私は、薄っすらと目を開けるとそこに、何か思案している様子のレイエルさんの姿を見た。その姿に恐怖は感じない。まるで別人のようだった。


「え?」


 なぜか遠い目をしていたレイエルさんは、私の視線に気づいていつもの鋭い目付きに戻った。


「チッ! そうか、くたばっちまったか。でもあたいは勝手に使う。文句あるなら王様呼んで来い」


「え、ちょっと待って!」


 私の制止も届かず、レイエルさんはとてつもない速度で飛んで行ってしまった。


 このまますごすごと帰るのもなんだか負けた気がするから、端の方を使って練習した。直線のコース故、レイエルさんとは何度もすれ違ったけど、練習中に向こうから声をかけてくることはなかった。





 研究所までは距離があるため、日が暮れる前に練習を切り上げて荷物をまとめていると、私の背後に得物を狙うカラスのような視線が突き刺さった。


 何事かと勢いよく振り返ると、そこには頭から水を被ったらしい濡れネズミ姿のレイエルさんがいた。


「おい、チビ。この屋敷は無人なのかよ? シャワー借りようと思ったら鍵掛かってんじゃねえか」


 手には水が入っていたと思しき水筒が握られていて、それを飲むのではなく頭からかけたらしい。


「屋敷もこの練習場と同じで王様の所有物になったよ。しばらく使われないから、入っても水は出ないから意味ないよ」


「チッ、マジかよ。地味に遠いし、雰囲気はいいが見た目だけかよ。サービス精神が足んねえな」


「……ねえ、その右手、どうしたの? 怪我?」


 練習前にはなかったはずの破損がレイエルさんの右手にあった。何かで切れ込みを入れたような感じで、少しオイル漏れしていた。


「あ? これか。いつものことだ、てめえには関係ねえ」


「それでシャワー浴びたらオイルと混ざって動作不良を起こすよ。ちゃんと手当てしないと」


 私は練習には常に準備している小さな救急箱から硬めの包帯を取り出し、レイエルさんの右腕を掴む。どうせ抵抗するだろうから最初から力強く掴んだけど、不思議なことにレイエルさんは私の手当てを受け入れてくれた。


「他人に触れられるの、嫌だと思ったんだけど?」


「別に……、大したことじゃねえよ。今日はちょっとナイーブなだけだ」


「嫌なことでもあったの?」


 どうして私は敵であるレイエルさんの話を聞こうとしているのだろう。さっさと手当をして、早く帰るべきなのに、手当ては特別丁寧にゆっくり施してしまう。


「話すことはねえよ」


 結局は突っぱねられたわけだけど、レイエルさんでも気分が落ち込むことがあるんだ。


「これで大丈夫なはず。帰ったらすぐに修理してね」


「おう……。なんだ……、よく分かんねえな」


「どういうこと?」


「なんでもねえ。帰る」


 レイエルさんは私の手を振り払うと、こちらに背を向けて去って行ってしまった。彼女が去った後には水滴の跡が残されていて、私にはそれがなぜか悲しいものに見えてならなかった。


「あ、時間!」


 送迎の時間はとっくに過ぎていて、急いで荷物をまとめて停留所まで急ぐ。


 歩きか自転車での帰宅を覚悟していたけど、停留所には見覚えのある車が停まっていて、運転手が車に寄りかかりながら煙草を吸っていた。


 こちらに気付いて手を振ってくれたので、私も手を振りながら車へ走った。






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