太陽の子2
ヨギリお姉ちゃんの修理が終わり、元気にお父様の所へ帰って来た数日後、お父様の症状が悪化した。
緊急の手術が終わるのを待つ永遠のような時間。待合室で私とヨギリお姉ちゃんが座って待ち続け、長かった手術からやっと解放されたお父様は、もう手足を動かすことすら満足にできない状態だった。
「わりぃ……、もう、限界……らしい」
掠れてばかりで聞き取りづらい声を懸命に拾いながら、私はずっとお父様の手を握っていた。
私にとって家族といえる存在はお父様とハレーお姉ちゃんの二人だった。その二人ともいなくなると私は孤独になる。精神プログラムが何度もエラーを検出するほどの不安が募り、ヨギリお姉ちゃんに再起動を命じられるまで私は病室でお父様の手を握り続けていた。
「シイナ、お前は強い……だから、勝て」
「勝てないよ。スペックが足りないもん」
「ヨギリは……勝ったぞ」
「それは長距離だから、みんなの知らないルールがあったから」
「シイナは……負けん、シイナは……生粋の、ゴホッ! ゴホッ! ……スプリンターだ」
咳交じりに私と会話をしてくれるお父様の顔は常に蒼白だった。いつもは「お前」とばかり呼ばれていたのに、最後とばかりに何度も名前を呼んでくれる。嬉しくて、同時に悲しくてまたエラーを出しそうになる。
「お父様……」
「シイナは、太陽の子だ。太陽と共に……飛べ」
それが最後に聞いたお父様の声だった。この後、状態がまた悪くなり、声も出せなくなったお父様は、メイド長の手を借りて私の頭を撫でてくれた。しかし、お医者様の努力も届かず、だけど満足した表情のまま、お父様は息を引き取った。
ドールに負の感情が蓄積されない仕様であることを呪った。お父様が亡くなったというのに、私は涙というものを流すことができなかったのだ。
一瞬の悲壮感、一瞬の怒り。次の瞬間にはもうお父様が亡くなったという事実だけが私に残された。
メイド長がお葬式とか手配してくれて、喪服とか着たけど記憶にない。ないってことは多分、消去した。テオさんと何かお話した気がするけど、会話を受け付けなかったせいで何も記録に残っていなかった。
私たちが住んでいた屋敷はお父様が生前に売却の手配をしていたみたいで、立ち退きの命令がされた。なぜか国王を名乗る男性が私の前に現れ、お父様との約束で後継者、つまり私のマスターとなってくれた。これもぼうっとして記録が曖昧だが、本来マスターを失ったドールは手続きがなければ解体処分となる。どうやら私は命拾いをしたらしい。
王宮に住まうことは私が拒否し、代わりにヨギリお姉ちゃんの紹介でテオさんが住居を提供してくれた。フィルメール研究所内に建設された王都一の高さを誇る建築物、研究棟の最上階。その角部屋が私の新しい住居となった。
足りないものがあれば何でも揃えてくれるという話だったが、何か欲することもできないほど精神プログラムが不安定だったため、部屋は数日経った今でも殺風景なままだった。クローゼットの中にある段ボールを開ければ少し見栄えはよくなるだろうけど、しばらくは空っぽのままがいい。
部屋の明かりを消すと、王都の街でも夜中は真っ暗になる。この研究所だけが昼夜問わず活動していて、敷地内は明るい。
いつも夜はベッドの上でゴロゴロしながら本を読んだりラジオを聞いたりしていたけど、最近はこうして暗い部屋の窓際で屋敷のあった方を眺めるだけ。空っぽの時間だけが孤独を紛らわせてくれる。
今日も変わらず外を眺めていると、ドアを誰かがノックした。
「だれ?」
「わたくしよ、シイナ。まだ起きているかしら?」
「うん。起きているよ」
ヨギリお姉ちゃんが私の部屋を訪ねてきた。ヨギリお姉ちゃんは元々お隣のお屋敷に自室を持っていたみたいだけど、なぜか燃えた? らしくて、こっちの研究棟の方で余生を過ごしていた。
私がドアを開けると、ヨギリお姉ちゃんは眉を顰め、入り口横の明かりのスイッチを押した。
ナイトドレスに身を包みクリーム色のカーディガンを羽織ったヨギリお姉ちゃんは、手に水差しを持っていて、私とお話をしに来たと察する。
「暗闇の中、何やっているのよ? それにまだ段ボールを開けていないの?」
「うん。なんか何をするにしても面倒で……」
「そのエラー、まだ直っていないの? 再起動はした?」
「うん。でもダメだった」
そんなエラーなんてない。ただ私自身が何もしたくないだけ。
「そう……。なら仕方ないわね。シイナ、段ボールはどこ?」
「クローゼットの中だけど……」
「どうせ一人じゃ開けないんでしょう? 手伝ってあげるわ」
「あ、ちょっと待って!」
私の制止も虚しくヨギリお姉ちゃんは持っていた水差しを玄関横の台に置くと、さっさとクローゼットから段ボールをいくつか引っ張り出した。
「ほら、あなたが好きなお人形さんも仕舞ったままじゃかわいそうじゃない。ベッドに置いておくわよ。コップも一度洗って乾かしておきなさい」
てきぱきと段ボールを開けていくヨギリお姉ちゃんに指示されて、私は慌てて片づけに入る。
お話をしに来たんじゃないのかなと思ったけど、ヨギリお姉ちゃんはすぐ本題に入ってくれた。
「シイナにお願いがあるのよ」
「なあに?」
「わたくし、あと半年で活動限界を迎えるから、お父様に渡してもらいたいものがあるのよ」
「あと半年? この前は一年あるって……」
「この前のレースで無茶しすぎたみたいなのよ。オーバーホールすれば多少は伸びるでしょうが、わたくしの体内構造が特殊なせいで大して期待できないのよね。修理をしている時間があったら余生をのんびり過ごすわ」
「そっか、ヨギリお姉ちゃんのメモリーカードって左胸にあるから」
「そ、修理が複雑すぎて直んないし、延命をする気もない。現役のうちに完全燃焼もしたし、悔いはないわ」
「でも、テオさんと仲直りしていないんじゃない?」
「……そうね、でもそれはいいわ」
ヨギリお姉ちゃんのメモリーカードが頭部ではなく左胸にある理由を知った。テオさんの奥さんだったアイナさんとのことも聞かされ、二人はケンカしている状態だと思っていた。
「わたくしは仲直りするつもりはないわ。このままわたくしの前では罪を背負っていてもらいたいの。それがマスターとの共通の意見なのよ」
「お父様との? ヨギリお姉ちゃんはアイナさんのこと知っていたの?」
ヨギリお姉ちゃんはカーディガンのポケットから小さな額縁に納められた写真を取り出した。
それは屋敷の玄関前で撮影されたモノクロ写真で、中心にヨギリお姉ちゃん、隣にヨギリお姉ちゃんに似た大人の女性、反対側にお父様に似た……、お父様を痩せさせた姿の男性が写っていた。
でも何かおかしい。ヨギリお姉ちゃんにしては写真の少女は笑顔が幼い。モノクロの写真というのも前時代のものだ。もしかして隣にいる男性はお父様本人? だとすればこの少女は――。
「もしかして、アイナさん?」
「よくわかったわね。どう? わたくしそっくりでしょう? それとマスターが痩せているのが一周回って面白いわ」
「確かにちょっと違和感あるように思えるけど……、ぷっ、くすくす! ごめんちょっと面白くなってきちゃった」
「あーあ、これでシイナもマスターに怒られるわね」
私に手渡した写真は、持ってみると裏側に違和感があって、写真を裏返すと、少し額縁が膨らんでいた。
これは何かとヨギリお姉ちゃんに問うと、「内緒ね?」と約束した上で教えてくれた。
「そこに手紙が仕込んであるわ。シイナも聞いたでしょう? アイナの自殺の件」
「うん、聞いたよ。それでテオさんが殺人扱いされていて」
「その手紙には自殺の真相が書いてあるわ。ネタバレすると、あれは自殺ではなく足を踏み外しただけよ」
「そうなんだ……、足を踏み外しただけ……って、なんで知っているの!」
「だってわたくしの魂は彼女が基盤なのよ? わたくしの感情が彼女を踏み倒したといえ記録として多少残っているわ」
「それをテオさんに伝えないの?」
「いやよ。わたくしはヨギリ。アイナという女ではないもの。そこの区別をはっきりさせないと、きっと……いえ、間違いなく地獄を見たわね。あ、このランプはどこに置くの?」
「えっと……、ごめん、置く場所ないね」
すべて解決した話とばかりに気さくな口調で語るヨギリお姉ちゃんは、手に持ったピンク色のランプを適当な場所にどかした。
「マスターにだけはすべて伝えたわ。あれが事故だと分かった上で、それでもお父様のことが許せなかったそうよ。ま、わたくしもマスターと同じ感想を抱いたし、せめて当事者が全員いなくなるまでは反省していろってのが、ケンカの理由よ。わたくし個人の恨みもないことはないけど」
そういえば、ヨギリお姉ちゃんはテオさんに無視されていた時期があったと聞いた。そのことだろう。
「それでヨギリお姉ちゃんがいなくなってから、この写真と手紙をテオさんに?」
「そそ、よろしく頼むわね。ずっと自室のタンスに仕舞っていて、見るのも恐ろしかったんだけど、翼が使い物にならなくなって、後ももう少ないって気付くと恐怖はなくなったわ。なんでかしらね? ……さて、だいぶ片付いたわ。とりあえず、カーテンを付けなさいな」
「うん。……すごい、お部屋がピンク色だ」
「屋敷の時はもっとピンク色だったでしょう? わざわざピンクの壁紙まで張り付けていたくらいだし、まだタンスの黒が異物のような違和感を放っているわ。これ、お父様の趣味ね。悪趣味だわ、黒にニス塗りなんて。早くあなたらしい可愛いものに変えましょう」
ヨギリお姉ちゃんがタンスの中を物色し、私の洋服を眺める。下着を見られるのは恥ずかしいから慌てて止めた。




