女王の凱旋10
ヨギリお姉ちゃんと、妹のアサギリさんがもつれるようにゴールした。
私は急いでヨギリお姉ちゃんの元へ急ぐ。空中でのエンジン交換を何度も練習したけど、やっぱり上手くいかなかった。
根元が一部破損して背中に仕舞えなくなった翼が観客にぶつかる。
「ごめんなさい! どいてください!」
ここまで強い口調を人にぶつけたことはなかった。だけど驚いている暇はない。それ以上に急がなくてはならない。
ヨギリお姉ちゃんのファンであるドレスの人たちが私のために道を作ってくれて、私はお礼を言いながらゴールまで走る。
ゴールラインまで辿り着いて、最後にまた観客席を飛び越えてコース内に入ると、身動き一つしないヨギリお姉ちゃんとボディが破損して上手く立ち上がれないアサギリさん……、それと、お二人のお父様であるテオさんがいた。
私がこれ以上近付くのを阻まれている気がして、その場に立ち尽くしていると、後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。
「シイナ!」
「あ、お父様、ヨギリお姉ちゃんが」
「大丈夫だ。エネルギーが尽きて停止しているだけだ。それより――」
お父様は、泥の上でも進める特殊な車いすに乗っていて、メイド長さんに押されてコース内に侵入してきた。
「おい、ヨギリは俺が回収する。お前はさっさと失せろ」
「お義父さん……」
「だれがお前の義父だ。この人殺しが」
え? どういうこと? テオさんが人殺し?
「反省しています。アイナさんを無下にしたこと、どんな言葉と行動をもってしても償うことのできない罪であると自覚しています」
「反省の色はまったく見えないがな」
「……あの頃のわたしはどうかしていたんです」
まったく話に付いていけないけど、アイナさんって、確かお父様の娘さんのお名前だったはず。ハレーお姉ちゃんから早くに亡くなったと聞いていたけど、テオさんの所に嫁いでいたの?
「お、お父様……私、勝ちました。ほ、褒めてくれませんか?」
「アサギリ……」
私同様、戸惑っていたアサギリさんが故障した脚部を引きずりながらテオさんに声を掛けた。そういえば、最後はもつれてゴールしたけど、結局どっちが勝ったのか分かっていない。
「ほら、最後にお姉さまが決死のボディブロックをしてきましたけど、『く』の字に折れ曲がったお姉さまの頭は、私の背中にありました。ならば先にメモリーカードがゴールラインを超えたのは私です。だから勝ったのは私です」
全身に泥を被り、ヨギリお姉ちゃんに泣かされたことが精神回路に異常をきたしているのか、アサギリさんは少し狂ったように続けた。
「泥をぶつけるなんて卑怯なことをするからお姉さまは負けたんです! 最後まで正々堂々と戦った私が勝つのは当然の事なんです! だからお父様、私のことを褒めてください。お姉さまなんて見ずに、私だけを見てください!」
「わたしも二人がゴールする瞬間は見ていた。だから勝者が分かる。勝ったのはヨギリだ」
「……え?」
戸惑いを見せたアサギリさんに、テオさんは後ろの電光掲示板を指差した。
「え? なんで、……なんで私が二着なんですか?」
順位が確定し、一番上に表示されたのは、ヨギリお姉ちゃんの名前だった。
スカイドールはゴールの瞬間、真っ先に飛び込むのは頭部であるため、メモリーカードが埋め込まれているのも頭部であるのが常識的な作りだった。かくいう私もメモリーカードは頭に埋め込まれていて、当然頭からゴールラインを超えるようにしている。
関係者もレースファンからも“スカイドールの心臓は頭にある”と認識しているほどの常識が覆された結果だけに私は混乱していた。
テオさんが語りたくなさそうにしている様子に、お父様がため息とともにアサギリさんに教えてあげた。
「アサギリちゃん、ヨギリのメモリーカードは“頭部にない”んだ。ヨギリはそれを知っていて、わざとボディブロックに入ったんだ」
「スカイドールともあろう者が、まさか頭部にメモリーカードがない? で、では一体どこに!」
「ヨギリのメモリーカードは、人間と同じ心臓部にある。ヨギリはスカイドールとしてではなく、元々は汎用型ドールとして作成されるはずだった」
お父様は「こっから先はお前が話せ」と説明をテオさんに投げた。同時に「これがお前の懺悔でもある」と付け加えた。
「ヨギリは……、そもそもドールではない。いや、それは半分違う。ボディは間違いなくドールの物だが、感情パッチに使用されているのは、わたしの妻のものだ」
意味が分からず疑問すらも浮かばない。ありえないことを聞かされて困惑が深まる。
ハレーお姉ちゃんの代から実装が義務となった感情パッチは、周囲の環境に合わせて自己で成長していく。人と同じような成長をするため、時には悪に部類する感情が形成されることもある。ヨギリお姉ちゃんの高飛車な性格や、アサギリさんの甘えん坊な性格が環境における変化の良い例だ。
だから感情パッチに人が使われているということに理解が追い付かない。
「わたしは妻を、アイナさんを亡くしたことに絶望し、禁忌を犯した。外部の研究所の言葉に惑わされ、協力してヨギリを制作した。その際、感情パッチはワタシの記憶とアイナさんの性格を記録したデータをインストールし、わたしはアイナさんを甦らせようとした」
それはテオさんの独白だった。皺ひとつないスーツが汚れるのを厭わず泥の上に膝を着き、ヨギリお姉ちゃんの手を取った。
私はテオさんに修理してもらう際に少しだけ話したけど、その時は人として強い人だと思った。だから強い人だなと思った人が涙を流す姿に心が揺れた。
「しかし、わたしは仕事に没頭し、わずかしか共に過ごさなかった彼女のデータなんて風前の灯だった。事実、後から生まれたヨギリに押しつぶされて消えてしまったのだから。いや、元から甦ってすらいない。アイナさんに似た違う誰かに過ぎなかった。その事実を受け止められなかったわたしは、ヨギリをないがしろにし、アイナさんのことを忘れたくてアサギリの開発に勤しんだ。……結果は見ての通りだ。何もかもわたしが悪い」
「忘れられなくてめそめそ泣いてんのか? 俺はこんな弱い男に娘を送り出したってのか」
「お義父さん」
「娘はな! てめえの後ろ姿に憧れて嫁いだんだ! ガキの頃からの話し相手だったてめえに、大人になっても一途なまま、若くしてリーダー張って部下に指示する姿に惚れて、あいつは俺の元を離れた! なのに、次に顔を見た時は死んでいた。崖から飛び降りただと? そこまで追い詰めたてめえに娘を思う権利はどこにもねえんだよ!」
初めて聞いたお父様の怒鳴り声。怖くて身がすくんでしまいそうになったけど、私はお父様に駆け寄って怒りに震える手を取った。
「……ありがとうよ。もう、帰ろう。ここにいるだけで反吐が出る」
「あ、ヨギリお姉ちゃんは?」
「…………」
黙って視線をヨギリお姉ちゃんに向けたお父様は、口をもごもごとさせて何か言いたいことを我慢しているように見えた。そして、頑張って飲み込んだらしきその言葉は何か分からないけども、代わりに落ち着いた声が出てきた。
「明日の夕方までに、ヨギリの修理を完全に終わらせて俺の元へ連れてこい。それが出来なきゃてめえを訴える。禁忌について法の設立が進んでいるからな、めでたくてめえが第一号だ」
次にお父様自ら懸命に車いすを動かし、アサギリさんの方へ少し近づく。
「アサギリちゃん、それとシイナも、大人の醜い言い争いに巻き込んで悪かったな」
「あ、いえ、大丈夫です」
「シイナも、ちょっと整理が追い付いていないけど、大丈夫」
「それと、アサギリちゃん、もうヨギリはレースに出ないし、活動可能期間も一年を切っている。だから、これ以上争うことなく仲良くしてやってくれ。あいつはああ見えて妹が欲しいって俺に我が儘いう奴だからな」
「お父様、それって――」
「帰るぞ! シイナ、後ろ押してくれ」
一瞬、遠い目をしながら空を見上げたお父様が、誤魔化すように私に指示を出した。
お父様の後ろに回った私が見たお父様の背中は小刻みに震えていた。




