ハレー彗星2
灰色の世界しか覗けない私にも、判断できるものがあります。それは快晴か曇りかどうかです。
天気予報にアクセスすれば、今日一日の天気を調べることもできますが、私は私が見た空を優先して判断しています。
「今日は快晴ですね。旦那様」
「ああ、絶好の練習日和だ。あいつらもエネルギー補充が楽だからって外へ駆けて行ったよ」
汎用型ドールもスカイドールもエネルギーの補充方法は同じです。太陽光を浴びるか、人工的にバッテリーで充電するかです。
自然のエネルギーというのは素晴らしいものです。バッテリー補充にはない快感が太陽光にはあり、人間の爽快感に似ているという研究結果があるそうです。こんな老人なんて放っておいて、草原に仰向けで倒れ込みたいくらいです。
「おまえが無言で光合成をしているということは」
「ここからはおひとりで行けますか? そこの階段を下れば近道ですよ」
「職務怠慢するな! 老人が車いすで階段を下りられるわけないだろう」
「冗談です。天気がよくて悦に浸っていただけです」
車いすを押してスロープを下った先にある直線で十キロ先まで続く長い練習場。本来大企業や国が管理する公園でしか保有していない練習場を旦那様は保有しています。
左右を土手のような形で挟み、谷底に当たる部分がコースとなっています。空を飛ぶのでスタートとゴールしかコースの役割はありませんが、コースから外れないようにする目印くらいには役目はあります。
直線状の練習場とあって、ほとんど人の通らない山の麓に接したものですが、多少逸れて山に入ったとしても文句は言われません。なんならこの山も旦那様が保有しているので、実質の練習場は見た目の何倍も広いのです。
「お、戻って来た。やっぱ山頂での光合成は気持ちよかったみたいだな。山買っといてよかったわ」
山を背景に大きな翼を広げてこちらに近づいてくる二機のスカイドール。遠目に何か争っているように見えます。
「あいつらまぁた勝負してんのか」
「本日はヨギリの方が優勢みたいですね」
やがてはっきりと姿を捉えられるようになり、先に旦那様の近くに辿り着いたのは、膝までもある長い髪に豪奢なドレスに身を包んだ少女、ヨギリでした。シイナは本番さながらの空気抵抗を最大まで減らしたスポーツウェア姿で片頬を膨らませていました。
ちなみにレース衣装はシイナのようなスポーツウェアが推奨されているだけで、ヨギリのようなドレスは武器を仕込みさえしなければルール上は問題ありません。
「おーほっほっほ! 今日はわたくしの勝利でしてよ!」
「むー、ヨギリお姉ちゃん、フライングしたし、お父様の居場所違うところ指さした! 反則! 逆転でシイナの勝ち!」
「言葉巧みに身振りで制す、立派な戦法でしてよ」
「それでいいのかお嬢様よ。髪まで赤いのに、そんな燃えるように真っ赤なドレス着て、堂々とやることが姑息な真似かいね?」
「か、勝ちは勝ちよ! これでわたくしの三連勝よ!」
「シイナ、その前に五連勝してるもん……」
「なにか?」
「……なんでもない」
すっかりふてくされてしまったシイナは私のおなかにこてんと頭をぶつけてきたので、私はその頭を撫で、シイナのデータベースにアクセスして残りエネルギー残量を確認します。
「流石最新型ですね。これだけ暴れてもほとんど減っていません」
「シイナは飛びながらエネルギー補充できるから。ヨギリお姉ちゃんと違って優秀だから」
これにはヨギリが黙っていません。
「いま、言ってはいけないことを口にしたわね?」
「だって事実だもん」
仲がいいのか悪いのか、ワーキャーとキャットファイトを繰り広げる二人の間に強引に入った私は、片手ずつで二人を引きはがしました。顔面を鷲掴みです。
「むぐっ! ハレーお姉ちゃん、力強い」
「んぐっ、相変わらずゴリラみたいな馬鹿力ね!」
減らず口が気に障ったので、ヨギリ側の手に少し力を込めます。悲鳴が聞こえますがヨギリは頑丈なので問題ありません。
「今日は練習ではなく、整備にいたしますか? 顔面のパーツならまだ予備がありましたし、不肖、私自らの手であなたたちの整備をさせていただきますよ。ちなみに喧嘩両成敗ですから」
二人はイヤイヤとばかりに私の腕をぽかぽか殴り始めましたが、スカイドールはスピードに特化しているため、行動すべてが軽量化されています。攻撃力だって例外ではありません。
パッと手を離すと、二人は力尽きたようにその場に崩れ落ちました。工事現場等、力仕事専用に作られた汎用型ドールならば素手で地面を割ります。
「終わったか? そんじゃ今日のメニューを伝えるぞ」
「ま、マスター、少々お待ちを」
ヨギリが顔を抑えながらよろよろと立ち上がります。流石スカイドール、根性だけはあるようです。
シイナも同じく立ち上がったところで旦那様は今日のメニューを発表しました。
内容としては、次のレースが近いヨギリに合わせて、シイナが練習相手となるものでしたが、シイナではヨギリの練習相手となるには噛み合わないことが多いです。なにせ、ヨギリは持久力を持ち味とした長距離形のスカイドールに対し、シイナは短期決戦を得意とする短距離形。得意距離に合わせたボディを持ち合わせているために、激しくぶつかり合ったときはシイナの消耗が激しすぎます。先ほどの勝負もヨギリがだいぶ手心を加えていました。
「ヨギリ相手にシイナじゃ、下手したらぶっ壊れるからな。しかし今日は練習機もいないからな、ハレー、ヨギリの相手をしてやれ」
「……はい?」
いつもの旦那様の命令に、素直に返事をしてしまいそうになりました。私は汎用型ドール。この屋敷のメイドであり、地上を歩くロボットです。
「ハレーはスカイドールとしての装備を備えている。昔はレースに出たこともあったよな」
「そんなこと、遥か昔のことですよ。確か六十年も前のことです」
細かい数字は記録から廃棄してしまいましたが、周りの出来事から逆算してそれくらいの頃に、確かにレースに参加したことがあります。結果は散々でしたが、最初で最後のレースに満足した結果だったのはいい思い出です。
「そんな昔だったか。俺も年を食うわけだ」
「確かにデブりましたね」
「どこ見て判断してんだ! ……たく、そんなハレーにこんなものが届いた」
「なんですかこれ? ……お手紙ですか」
旦那様が私に渡してきたのは、一通の手紙。届人を確認すると、スカイドールのレースを管理する団体『スカイ・ハイ・インパクト』の主催者様からでした。消印は三週間も前となっていて、旦那様の元へは相当前から届いていたことになります。
「拝見します」
すでに封を切られている手紙を丁寧に取り出し、中身を拝見します。
「…………」
ヨギリもシイナも黙って私のことを見ていました。もしかして、すでに手紙の中身をご存じなのかもしれません。
私は手紙を読み終えると、元の封筒へと戻し、旦那様へと返しました。
「……なぜ、これを私に?」
「主催は、今度のセカンドクラスのレースにハレーを招待した」
「それは手紙を読んだのでわかります。私が聞きたいのはどうして旦那様は“悩んだ末に”私に知らせたのですか?」
「昔の若い俺なら、こんなもん冗談じゃねえと破り捨てていた」
「そうでしょう、私の解釈と一致します」
「だけど、俺はもう若くねえ、いつ死神に首をかっ切られるか分からねえ老人だ」
単純なことですが、そこまで言われたら分かりました。だからこそですよね? だからこそ悩んで、シイナとヨギリに相談までして、決断したのでしょう。
「俺にもう一度、“あの姿”を見せてほしい。ハレーが、彗星の如く空を飛ぶ、あの姿が……、最後にもう一度だけ、見たい」
旦那様の言葉に、私は過去の記憶に思いを馳せます。容量がいっぱいになっても決して消去しようとは思わなかった記録。
私がこのお屋敷に招かれた理由、それは当時、このお屋敷の主であった旦那様のお父様に当たるお方に“ほぼ拾われる形”で購入され、ここに勤めることになりました。
「シイナとヨギリは、私の過去をご存じですか?」
私が聞くと、二人は揃って首を横に振りました。データベースに記録として残っていても、それが私だと合致する人はもうほとんど生きていませんので仕方ありません。
久しぶりに過去の記録を展開させ、ほんの少しだけ、私の全盛期について語ります。
「私はかつて、汎用型ドールとスカイドールの混合型として設計されました。今では人が流行のファッションに身を包み、レッドカーペットを歩く時代ですが、昔はその役割をドールが担っていたのです」
「……もしかして、ハレー、わずか十機しか作られていない“モデルドール”だったのかしら?」
ヨギリの言葉に頷きます。人々と多数のカメラに囲まれてちやほやされていたあの頃が懐かしいです。
「空も飛べる汎用型ドール、煌びやかな衣装に身を包み、民衆の目を引く存在となるために設計された私は、このようにほとんど女性からすれば理想的なボディを持ち合わせています」
スカイドールは見た目こそ人間の姿ですが、服を脱げば風の抵抗を最大まで減らすために分銅のようなストンとした平らなボディで、当然のごとく胸はなく、生殖器すら省かれています。軽量化を求めすぎた現代では、過度な軽量化を施したスカイドールをハリボテと揶揄する人もいるほどです。
逆に私には男性の目を引くほどに胸があり、設計者のこだわりで情を焚きつけられるだけの生殖器も備えています。ボディは簡単に壊れないよう頑丈で人よりも重く、空を飛ぶための推進エンジンと翼を備えていますが、実際は滑空に近い形で飛びます。
「人間と似たボディを持っていますが、地上からは遠い空を舞うドールにそんなものは必要ありません。今でこそ望遠鏡が活躍していますが、当時は肉眼で空を見上げる他ありませんでした。分銅のマネキンに衣装を着せて飛ばしても誰も気づきはしません。つまり、民衆の憧れの対象がモデルドールである必要がなかったのです」
「それはデータベースに載っていたわ。ほとんど廃棄される形で、モデルドールは活動を終了、生産を中止、特殊なパーツを用いていたためにモデルドールはもう残っていないと」
「ハレーお姉ちゃん、前に故障したパーツの替えが見つからないって言っていたけど、それって」
「……はい。私の目はもう、灰色以外を映すことはありません。パーツを生産していた工場も今は跡形もありませんし、設計図も存在しません」
自分で言葉を口にして、なんだかとても悲しくなりました。いつかもう一度と希ったことを、自分自身が否定した事実に固く拳を握ります。旦那様がジッとこちらを見ていることに気付いて私は誤魔化すように笑顔を向けました。
「かつてのスカイドールは空を飛ぶだけの淡白なロボットだったが、人格形成に成功したモデルドールを基礎に、その後のドールは人格プログラムが組み込まれていることが条件であることが法律で定められた。つまりだな、お前らがさっきみたいにケンカできるのは、ハレーが民衆の前で人の顔を伺い、膨大なデータを集めたおかげなんだぞ」
「なによ、まさか、ハレーがわたくしたちの母であるとでも言いたいわけ?」
「ハレー……お母さん?」
「そこまで認識を改めろとは言わん。たとえ年寄りであろうと、ほとんどの人が知らないことだ。ハレーが激動の時代を生きてきたことを覚えていておくれ」
旦那様がシイナとヨギリの手を握りました。強い願いを込めるように、その身に刻むように。
私の中で一つ答えが出ました。
もう一度青空を見上げるという願いが潰えた今、新しい願いがなければいけません。ちょうどよく新しい願いを見つけました。