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女王の凱旋9

 最高のスタートが切れました。


 最初のカーブをインコースに取りやすい内側からのスタート。まあ、外側からだろうと私の速さがあれば関係ないんですけどね?


 それにしてもやっぱり今のスカイドールってどうしてこんなにも遅いんでしょう? 私が最高速度に到達したとき、他のドールはまだ速度に載り切れていません。ボディが重いから時間がかかるんです。流行は速さですよ、アジリティの高さを併せ持つ私に敵うドールはいません。もし勝てるとすれば短距離選手のレイエルくらいですかね。


「ふふん♪ ……むむ?」


 先頭の景色を楽しもうと思っていましたが、珍しく私の隣に一機のドールが、って思いましたが、なんだ、お姉さまでしたか。


「まあ、無駄に大きなエンジンですね。そんなエンジン吹かして最後まで持つんですか? それ燃費悪い不良品ですよね?」


「でも、追い付いたわ。それが分かっただけで十分よ」


「はい? それに何の意味があるというのですか? ……まあ、いいです」


 普段は赤いドレスで私より目立っているのが目障りでした。だけど今日はなぜか白いドレス。地面は泥ですから低空飛行なんてできそうにありません。


「そんなドレスを着ているお姉さまが悪いんですよ」


 レースは接触が付き物。それに耐えるための頑丈な素材でしょうが、衝撃を消せるわけではありません。重量の軽い私でも勢い付けてぶつかれば相手は吹っ飛びます。それに今はスタート直後でまだ高度が低い場所だから都合もいいですね。


「えいっ!」


 私の軽量を活かした高度な旋回。お姉さまの頭上を取った私は、勢いをつけてお姉さまの背中を足で踏みつけました。


 真後ろからの接触は反則を取られがちですが、上からボディを狙った攻撃は問題ありません。


「――――ッ!」


 あははは! お姉さまが落ちていきます! あーあ、綺麗なドレスだったのに、泥に突っ込んでしまいました。あれでは戦意喪失で失格ですね。せっかくの引退レースなのに。でも歴代の優秀なスカイドールであれ、最後は世代交代を示すために負けて終えるケースは少なくないと聞きました。お姉さまはその伝統に倣っただけです。


 さて、これだけ悠長にお姉さまと遊んでいたというのに、後続はまだ追い付いてきません。これでは最初のカーブでさらに差が付いてしまいます。


 今回のレースは長距離の中でも最も長いレースの一つ。推進エンジンの運用が勝利のカギと言われていますが、私の場合は常に最高速度で飛んでもゴールまで余力がありますから関係ありません。先頭を飛んでいれば勝てます。まさに出来レース。


 王都のレース場は数字の8の字を描き、長距離レースの場合は周回を必要とします。まあ一直線にコースを作ろうとしたら国を突き出ますし。


 今回は8の字の左下の直線から右上に向かってスタートしました。直線の初めからクロスした真ん中を通過し、上のカーブ、書き順を辿るようにまた直線を進んで下のカーブ。一周して同じコースを飛び、最後にまた上のカーブ、直線に入ったらクロスしたところの中心を通過してやっとゴール。


 約一周と半分の長距離。先ほどのお姉さまみたいに後先考えずエンジンを吹かしているとエネルギーが切れて、持つのはせいぜい一周が限度でしょうか?


 適当に先頭を飛んでいると、コース内に子どもがいました。


「おや? あれはお姉さまの後ろにいた……」


 たしかシイナという名の短距離選手。私よりも小柄なドールが、しかも本番さながらのレース衣装を身に纏っています。


 そのドールは観客席を背に大きなカバンを握りしめていました。コースの端際とはいえどうしてコース上に? ……いえ、そこだけ誂えたみたいに泥がありません。そういえば前から気になっていましたが、この場所は何のためにあるのでしょう? 無駄なスペースなんて詰めればもっと観客を入れられるでしょうに。

「まあ、どうでもいいですね。私が勝つことに変わりありません」


 私の頭はもう勝った後のことでいっぱいです。賞金が入りますからそれで新しい宝石と美味しい水を買いましょう。お父様も褒めてくれるでしょうから、会う前にシャワーを浴びないといけません。


「…………はあ、つまらないですね」


 最後のカーブへ向かう長い直線。真ん中のクロスした部分を通り過ぎてなお、後続はまだカーブの途中なのか姿が見えません。今日も圧勝なのは間違いないですね。今日はやけに観客の声が雑音に聞こえますが、どうせ私の勝利を称えたものです。高性能な耳を使って聞き分ける必要もありません。


「……あの子、何しているのでしょう?」


 先ほど見かけたシイナというドール。なぜか翼を大きく広げ、仰向けに倒れていました。周囲に何か散らばっていて、よく見ればそれはお姉さまが使っていたものと同じ型の推進エンジンでした。


「こんな時に自分の整備? 何のために?」


 どうせ後ろはまだ来ません。観客の声でも聞いて状況を把握してみましょう。



『おい、本当に()()は問題ないのか?』


『調べてみたが、五十年も前に作られたルールで問題はないみたいだぞ』


 あれとは? 五十年前? いったい何のことでしょう?


『あの一瞬で六個も交換したのか。これってもしかして――』


 直線が終わり、最後のカーブに差し掛かるため聴収を中断します。気にはなりましたが、あの子が何をしようとお姉さまが私に勝てるはずありません。


「あ、後続の様子を確認するのを忘れました。これはお父様に怒られるかもしれませんね」


 まあこれだけぶっちぎっておけば大丈夫でしょう。勝てば無問題です。


 カーブが終わり最後の直線に入ると観客が湧き上がります。それは私の姿を見つけたからだと思いましたが、何やら様子が変です。たまに悲鳴の声が混ざって聞こえました。


「なんの悲鳴ですか? 私に何か変なところでも……。それとも、まさかもう後続が追い付いて!?」


 慌てて後ろを振り返りましたが、後続の姿はありません。思わずホッと息を吐きましたが、そこで違和感に気付きました。


 観客の視線が私でも、後方でもない所へ向けられていました。誰もが空を見上げているのです。鳥でも並走しているのかと思いましたが、そうではありませんでした。


「――――ッ!」

 私の身体に大きな影がかかりました。ものすごい嫌な予感に恐る恐る頭上に視線を向けます。そこにいたのは――。


「お、お姉さま!?」


「見つけたわよぉ、アサギリぃ?」


 全身に泥を被ったお姉さまが、手に持っていたものを私の背中に叩きつけました。





ヨギリ視点



 五十年前、今よりずっと推進エンジンの燃費が悪かった時代。長距離レースに限り一つのルールが追加された。それは、『一度だけ推進エンジンの交換を可能とする』というルールだった。


 現代ではエネルギーが最後まで持たないなんて恥を晒さないため長持ちするエンジンと効率の良い運用方法が徹底されている。だからこのルールは追加されてから僅か数年で忘れられたそうだ。


 推進エンジンの交換には時間がかかる。取り外して新品をセットするのだって一度着陸し、整備士に委ねなくてはならない。とんでもないタイムロスだ。当然エネルギー効率を考えて交換無しで完走した方が断然早い。


 マスターが考えた作戦はこうだ。この推進エンジン交換のルールを利用し、爆速を維持したまま最後にアサギリに追い付くというある意味博打作戦。しかし止まっている余裕はない。飛行を維持したままの交換が必須とされたため、ここで一つ目の賭けだった。


「あの捨ててあったやつとスカイドール……まさか!」


 どうやら気付いたらしい妹のアサギリは、背中から大量の泥を被っていた。その泥を投げたのはわたくし。わたくしは今、全身が泥にまみれていて、背中や髪やらドレスの内側やらいたる所に泥を持ち合わせていた。


「最後の直線、わたくしが制空権を取り、エネルギー残量もわたくしが上! 燃費は悪くともこちらの方が速く飛べる推進エンジンが六つもあればもうあなたに勝ち目はないわ」


 速くく飛べるの部分は結構はったりだけど。


 ドレスに付着していた泥を手に取り彼女に投げつける。見事後頭部に命中し、イヤそうに頭を振る。動きが鈍ったところで背中に載せて運んできた大量の泥を彼女の背中に落とした。


「キャッ! なんですかこれ! 重いですぅ!」


「おめでとう、アサギリ。あなたは二代目どろんこお嬢を襲名したわ」


「だ、誰がそんな不名誉な名前――、キャッ!」

「あら? 誰がどろんこ女王の命令に異議を唱えていいと? 今なら多くのファンも付いてくるというのに」


 最後の直線に入り、観客席の先頭を陣取ったドレス姿の集団が声を張り上げている。わたくしが大きく手を振ると、レディたちが黄色い声をあげた。


「アサギリ、あなたは完全に詰んでいるのよ。大人しくお姉様の跡を継ぎなさい」


「こ、この! 上を取れば――」


 アサギリが自慢の旋回術を使ってわたくしより上を取ろうとするが、その行動はマスターから聞いて予想していた。


 泥を投げつつ彼女の動きを誘導し、わたくし自身が壁となるよう横に移動する。


「――――ッ! 邪魔です! この、大きい翼!」


 翼と翼の接触。片や妹は軽い素材のスピード特化、片やわたくしは硬い素材の頑丈さ重視。接触すれば妹が一方的にはじけ飛ぶ。しかし流石というべきか、泥にぶつかる前に態勢を立て直した。


「これでどうかしら? これでもう逃げられないわねぇ?」


 わたくしは地面すれすれの位置を飛ぶ彼女へと一気に距離を詰め、ご自慢の旋回を封じる。


「お姉さまの分際で! くっ……もう後続が来ていますのに」


 レース中にわたくしの戦術に悪い顔しながらノッてくれた他のスカイドールたちが、妹の苦戦する姿をこの目に収めようと追い上げてきていた。それだけこの子に鬱憤が溜まっていたのだろう。全員が二つ返事で頷いてくれて、ここまで協力してくれた。


「ほらほらぁ、早くしないと追い付かれるわよぉ? それともお姉様と泥遊びがしたくて待っているのかしら? いいわよ、泥はまだまだあるし、たっぷり遊んであげる」


「や、やめ、お姉さま、やめてください! いや! もうやめてくださいっ!」


「どうしたのかしら、どろんこお嬢? この程度で根を上げるなんて情けないわね。ほらまだ脚が寂しそうね、もっと泥を被りなさいな。できない? 仕方ないわね。女王自らあなたを立派などろんこお嬢に仕立ててあげるわ」


「こんなこと、反則で失格になりますよ!」


「はあ? わたくしが幾度となく繰り返したこの行為が、いまさら反則になるとでも? どろんこお嬢を舐めてもらっては困るわね」


 持っている泥を惜しみなく妹にぶつける。翼へぶつけなければお咎めがないことは過去のわたくしが実証済み。


 わたくしが持っていた泥のほとんどを全身に受けた彼女は、嗚咽を漏らしながら泥の重みに必死に耐えていた。軽量の彼女では飛ぶのもつらいはずで、その上、高度を低空でキープしなくてはならない。相当なストレスだろう。


「わたくしが見つけた、わたくしだけの感情。それは“執念”よ。あなたというメスガキを分からせるどろんこの執念。思い知ったかしら?」


 ハレーは土壇場の孤独と執念の掛け算によって“美”が生まれた。それに倣ってわたくしもと考え続けたが、見つけることは叶わなかった。それもそのはず、わたくしに必要だったのは掛け算ではない。


「あなたをぶっ潰す執念という解。これに尽きるわ」


「やだ、やだやだやだ! こんな勝負で負けたくない!」


 粘りに粘ってわたくしの下にいることを嫌った彼女が急停止を試みた。わたくしの下から脱出するために、一度後ろに下がる覚悟を決めたようだった。先頭にいることにプライドを持っていた彼女が心を折って選択した後退という戦術。


 なら、わたくしはそのプライドを更に折ることにする。


「え? あっ! 待ってください!」


 アサギリが後退した瞬間を見逃さない。残りのエネルギーを使い切るつもりで、全力加速。一気に差を付けた。


 実は重い泥を運んだことと妹の所までたどり着くまでは常に全力で飛んでいたためにエネルギー残量がもうほとんど残っていない。下手したらゴールまでたどり着けないかもしれない。


 二つ目の賭け。それはわたくし自身のエネルギーも底を尽こうとしている最後の直線、妹がプライドを捨て、減速する選択を取るかどうかに賭かっていた。


 推進エンジンのなけなしのエネルギーを使い切った後は、弾丸のように真っ直ぐこの身をゴールにねじ込むだけ。これ以上の駆け引きは不可能なため妹には追い付かせないだけの距離を離す必要があった。


「いっけー! ヨギリちゃん!」


「負けないで! あと少しよ!」


 レディたちの声。わたくし自身のエネルギーが尽きようとして視界が霞み始める。


「ヨギリお姉ちゃん、絶対に勝って!」


 すぐ横からシイナの声がする。観客席に移動して待機していたらしい。その声には痙攣する瞼を懸命に動かしてウインクで応える。


 あと……少し……ゴールは、目の前。


「まだ、まだ私は負けていません!」


 後ろから妹の声が聞こえる。流石スピード特化の生意気なスカイドール。泥を落とし、一気にわたくしに詰め寄ってきていた。


 このままならわたくしが先にゴールできる。だけど、ここで彼女に攻撃されたらどうなるか分からない。こちらに抵抗する術はない。


「まだ、……まだです! 私が先に頭を突っ込めれば!」


 ゴールの判定を下すのは体内に埋め込まれているメモリーカード。だからそれが埋め込まれている頭が先にゴールラインに触ればゴールしたことになる。


「往生際が……悪いわね」


「お姉さま、邪魔です! どいてください!」


 エネルギー切れの警告が全身に響く中、わずかに翼の角度を変えて妹の進路上へと邪魔に入る。


(勝つのはわたくし、敗北はあなた。これは決まっていることなの)


 手を伸ばせば届きそうなゴールライン。わたくしの翼を回避し、最後の最後でゴールラインにぶっ刺そうとしている妹の前に、わたくしは残りのエネルギー全てを使って躍り出た。体勢を崩しながらアサギリの頭を腹に受け、二人揃ってゴールした。







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