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女王の凱旋8

 レース当日。わたくしに出来る準備はすべてやった。あとは神の振る賽を無理やりにでも六にするだけ。

 今日の主役はわたくし。だから堂々とした態度で街の大通りを歩き、レース場の控えテントの中で普段の赤いドレスを脱ぎ捨て、ジュエル・レディで仕立ててもらった純白のドレスを身に纏った。翼の可動域を邪魔しないようバックリと開かれた背中は開放感がある。


 髪をかき上げ、思ったよりも軽い素材のドレスに驚きながらも細かい装飾に目を向ける。ふわりと広がるスカートには数多の白バラが刺繍されていて、思わずその場でくるりと回ってバラを広げたくなった。


「ヨギリお姉ちゃん。とってもきれいだよ!」


「ありがとう。でもこのドレスが輝くのはもっと後よ。楽しみにしてなさい」


 今日はサポーターとして参加してくれるシイナの頭を撫でる。シイナはレース衣装に身を包み、今日はわたくしのサポートに動いてくれる。この子にはレースまでの一週間、大変な苦労をかけた。二人揃って翼の欠損にボディの破損、修理のために絶交したはずのお父様に頭を下げざるを得ないほどだった。


 わたくしが何か悪巧みをしていることはばれてしまったが、お父様はアサギリには内密に修理を引き受けてくれた。マスターが考えた作戦に必要な物は揃えたし、わたくし自身の改造も上手くいき、煌びやかなドレスも整った。


「シイナ、行くわよ」


「うん。……上手くいくかなぁ」


 練習で上手く出来たとはいえ、シイナにかかる負担を思えば不安になるのも仕方がない。


「わたくしはシイナを信じているわよ。だからシイナもわたくしを信じなさい。あなたがやりやすいように飛んであげるから」


「分かった。シイナも全力でヨギリお姉ちゃんに食らいつくから」


 両の手を握るシイナはやる気に満ちていた。これだけやる気があれば十分。弱気になる余裕はどこにもない。


 斜め掛けの鞄を持ったシイナを連れてテントを出ると、すぐ近くを通りがかった女性スタッフが驚いた表情で口元を抑えた。


「ど、どろんこお嬢!」


「準備は整ったわ。わたくしをスタートラインまで案内願うわ」


「は、はい! こちらです!」


 さすがスカイ・ハイ・インパクトのスタッフは造詣が深い。まだ十代も半ばくらいの若い女性がわたくしの過去の名を知っているだなんてね。


 先日の雨が埃を落としてくれたのか、空気が綺麗で天気もいい。遠い空に雲がわずかに浮かぶ程度。髪をかき上げ、快い風を髪一本一本に含ませる。外を歩く以上、わたくしの姿は目立つ。わたくしのことを知らない人も、血濡れの女王を知る者たちも、そして――。


「ヨギリちゃーん! あたしたちはここで応援しているわよー!」


 わたくしの……どろんこのレディたちも。


 ラストレース、死に装束とも捉えられる純白のドレス。観客のどよめきが波紋のようにがっていく光景が心地よい。


 堂々と胸を張りながらスタート地点へ歩いていると、案の定、あの子が突っかかって来る。


 我が妹、アサギリが従者に日傘を差させながらわたくしの前に立ちふさがる。相変わらずスポンサーの名前がてんこ盛りのダサいレース衣装。空気抵抗を受けない合理的な衣装であるのは認めるが、自分の趣味も許されないロゴまみれの衣装はちょっとかわいそうに思ってしまう。


「お姉さま。なんですかそのドレスは? レースを舐めているんですかぁ?」


 いつもと変わらず舐め腐った態度。レース前にこれを聞けるのも最後だと思うと考え深い。ハレーのメモリーカードを覗いたことで妹の態度も可愛く見えていたが、わたくしだけの感情を手に入れた今、もうハレーの残影には惑わされない。


「おーほっほっほ! ごきげんよう、アサギリ! 実に晴れやかな天気ね。まるでわたくしの勝利を早くも祝福してくれているようでしょう?」


「と、突然笑い出して何を言い出すかと思ったら、気でも狂いましたか? この前は変に落ち着き払っていましたし、今日は元に戻って高笑い。やっぱり寿命が近いとバグりやすいんですかぁ?」


「あら、バグの一つも使いこなせずしてレースに勝てるとでも? 歴史に名を刻んだスカイドールのほとんどは気が狂ったようなレース運びをしていたのだけれど、アサギリは見たことないのかしら?」


「私より数年早く製造されただけの旧式で、先輩面しないでください! 経験よりも最先端の技術が勝る現代に歴史なんて関係ありません。今日も私が一番に逃げ切って勝ちますから」


「そう、楽しみにしているわ。でも、今日のわたくしはいつもと一味違うわよ。せいぜい背中には気を付ける事ね」


「それ、負ける奴が言うセリフですよ、お姉さま」


 従者の日傘を奪い取り、わたくしから姿を隠すように背中を見せ、彼女もスタートラインへと向かっていった。


 レースまで時間はあるが、確認することは多い。わたくしも妹の背中を追ってスタートラインへと向かう。


「……ここまででいいわ。ありがとう」


 険悪な雰囲気の中、びくびくとしながらもわたくしたちをここまで案内してくれたスタッフにお礼をする。


「い、いえ。あの、これで最後……、なんですよね」


「そうね。ラストレースにわたくしを案内出来たこと、誇りに思いなさい」


「はい! 私は“血濡れの女王”のファンですから、最後まで応援します!」


「ありがとう。でも、今のあなたはスタッフよ。スタッフがレース前に特定のドールに肩入れはあまり褒められないわ」


「すみません! でも……、いえ! なんでもないです! いちスタッフとしてご健闘をお祈りします!」


 そのスタッフはなぜか敬礼をすると、きびきびとした動きでこの場を去っていった。


 その姿を見送ると、次に、わたくしの後ろで控えていたシイナに声を掛ける。


「シイナ、申請は済ませてあるから、あなたはここからあちらで準備をお願いするわ。荷物は全部あるわね?」


「うん、あるけど。一人で大丈夫?」


「問題ないわ。それにちょっと集中したいのよ」


「分かった。シイナは向こうで準備しているね。それと、……勝ってね、ヨギリお姉ちゃん!」


「ええ。任せなさい」


 カバンを大事に抱えたシイナは、先日の雨でぬかるんだ泥に気を付けながらスタッフの指示に従い、()()()の中を歩いていく。おそらくシイナ一人で待機することになるだろう。しかし待機場所の後ろにはレディたちが観客席を乗り出さんとばかりにシイナの傍にいてくれる。わたくしはシイナと連携するだけ。


 階段を上がり、スタートラインに辿り着く。少しだけ空に近づいたことで、より澄んだ風がわたくしの頬を撫でた。


 今ならハレーがなんで空に憧れていたか分かる気がする。……そうだ、孤独だ。空は孤独に似ている。


 天へと還ったハレーの家族が眠る場所、しかしそこに本当の意味で家族はいない。ハレーの孤独は空へ向かい、そして、空はハレーの孤独を仲間として受け入れた。わたくしも誰にも頼らないとばかりに孤独に戦い、空はいつもわたくしを受け入れてくれた。


「でも、今日のわたくしは地を這うわ。わたくしは孤独じゃない」


 さあ、レース開始時間まであと少し。周囲のドールが翼を広げ始めた。最も外側のコースに配置されたわたくしとは反対に内側に配置されたアサギリも翼を広げていたが、やはり小さい。機動力に優れ、スプリンターのごとき加速力を持った推進エンジン。ただ先頭で駆ければ勝てるだけの出来レースに、妹は今日も気を抜いているのが見て取れる。


 わたくしも翼を広げる。遠目からでは分かりづらいが、わたくしの翼は改造によっていつもより一回り大きなものとなっている。推進エンジンもパワーだけが取り柄の一世代前の物を採用している。


 前日から入念なチェックをしていたおかげで不備はどこにもない。軽くエンジンを動かしてみると、ブオーン……と、重い起動音がした。大丈夫、音も問題ない。あとは自分自身のボディの可動域に引っかかり等ないか準備運動で確認し、最後に綺麗な空気を体内に取り込んだ。


 カメラを持ったスカイドールが空を飛びながら大スクリーンに選手の様子を順に映し出す。一言ずつ意気込みを求められているようだが、アサギリの方から回って来たカメラを前にわたくしは微笑むのみ。

 最後に余計な言葉はいらないと判断したそのドールは、わたくしの全身をじっくり映した後、静かにスタートラインから降りて行った。


 アナウンスがわたくしたちスカイドールへスタートラインに立つよう誘導する。それに従い、わたくしたちは一斉にスタートラインにつま先を並べた。


 静まり返る観客の声と共にますわたくしの集中力。やがてスタートのカウントダウンが始まった。推進エンジンの起動がわずかに遅いため、わたくしは少しだけ早めにエンジンを起動させる。推進エンジンが発する熱風がスカートをバタバタとはためかせた。


「これが、わたくしのラストレースよ!」


 スタートを知らせるランプが灯った瞬間、わたくしは一気に空へと飛び出した。






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