女王の凱旋7
買い物を終えた帰り道、マスターが入院している病院へと足を運んだ。
ジュエル・レディで散々着せ替え人形をされていたシイナだったが、まんざらでもなかったらしく、今は可愛らしいピンク色のゴシックロリータ衣装に身を包んでいた。フリルカチューシャが特に気に入ったのか何度も触り心地を確かめていた。
「えへへー、可愛い?」
シイナがスカートを摘まんでくるりと一回転。花開くようにふわりと広がったスカートが落ち着くと同時に、ニコッと微笑むシイナの姿に来院者が小さく拍手していた。
「可愛いわ、わたくしの妹とはまるで違うわ」
「あまり妹さんの悪口はよくないよ」
「……生意気な妹が出来れば分かるわよ」
レースでの優勝回数は少ないシイナだが、成績的には少々目立つところがあるため、有名人枠に入ると言っていいだろう。ここまで幼い容姿のスカイドールも珍しく、愛嬌もあり、特に今はロリコンホイホイな格好をしているため、あまり目立たないよう行動していたが流石に無理があった。シイナを知るファンが握手を求めたり愛でたいとばかりに手を伸ばしたり。シイナも事の重大さに気付いたようでこちらに逃げてきた。
わたくしが口元に人差し指を添えて「シー……」と伝えると、ここが病院であることを思い出したのか、来院者は波が引くように落ち着いて静かになった。
ナースに軽くお辞儀をして、シイナの手を引いて階段を上がる。マスターの病室は四階の五号室。角部屋のレース場がよく見える景色のいい部屋にマスターは入院していた。
扉をノックし、返事を待たずに入室する。シイナがえっ? という驚いた表情をしたが返事を待たずの入室はいつものこと、だから気にしない。
「マスター、お腹は少しへこんだかしら?」
「見舞いの一言目がそれか? それとせめて返事は待て」
身体を起こし、窓の外を眺めていたらしいマスターが、傍に控えていたメイド長の介護でこちらに身体を向ける。サイドテーブルには豪奢な果物が所狭しと並んでいた。
「これ、どちらさんから? このメロンって北の地方でしか採れない高級メロンじゃない! リンゴもマンゴーも……、どこの富豪が見舞いに来たのよ」
「午前中に国王が見舞いに来てな。果物を置いて行ったはいいが、流石に食いきれねえ」
「待ちなさい……、え? 国王?」
国王ってあの? 我が国の一番偉い人? 髭面に王冠被っている赤いマントの人?
「お父様と王様って、お知り合いだったの?」
「ああ、俺が学生だった時のクラスメイトだ。スカイ・ハイ・インパクトの戦術でよく討論して、担当ドールでよく賭けをしたもんだ。それでなんでも言うことを聞く特権を三つ手に入れたわけだ」
「マスターの自慢話はどうでもいいわ」
「ひでえな、少しくらい聞けよ」
「そんなことよりも、わたくしたちのお見舞い品を置く場所を用意しなさい。具体的にはこの果物を食べ尽くしなさい」
「滅茶苦茶だな、おい。さっき一番場所とっていたパイナップルを片付けたばっかだってのに」
「果物は身体にいいわよ、ほら、リンゴの皮を剥いてあげるから、これも食べなさい」
わたくしが自らリンゴを剥こうと果物ナイフを手に取ると、近くに控えていたメイド長がニコニコとしながらわたくしを止めた。
「ヨギリさん、あまり食べすぎもよくありませんので、どうかそこままで」
「……メイド長に言われたんじゃ仕方ないわね」
「それにしても、ずいぶんと可愛い弟子が出来たものだな」
マスターが、ベッドの傍にとことこと寄って来たシイナの頭を撫でる。シイナは可愛い物が好きで普段も女の子らしい格好をしているが、ドレス系統の服装は初めて見たかもしれない。マスターに似合っていると褒められて、シイナは嬉しそうに笑った。
コップの水を一口飲んだマスターは少し渋い顔をして、視線だけ後ろのレース場へと向けた。
「ヨギリ、お前は来週で最後か」
「そうよ、わたくしの引退レース。ぜひ現地で観覧してほしいわ」
「努力はする。だが、あまり期待はせんでくれ」
撫でる手が強張っていたのか、シイナが不安そうにマスターを見上げた。
「……そんなに悪いの? お父様」
「ハレーとどっちが先に逝くか競っていたくらいだ。お前らには話したことがなかったが、余命半年と宣告されてからすでに二年が経ってんだ。たとえ今日…………、おかしくはない」
シイナに聞かせる話ではなかったと判断してか、大事な部分は明言しなかった。しかし、マスターの存在が不可欠であるわたしたちスカイドールにとって、マスターの生死は切っても切り離すことはできない問題であるのは間違いない。
製造されて数年のシイナだが、見た目以上に賢いのはたしかだ。シイナ自身もここに残って現状を把握することに努めた。
「シイナね、まだレースで勝てる自信はないけど、ちゃんと一位取るよ」
「短距離のファーストクラスには今、バケモンみたいなスカイドールがいるからな。成績はともかく、壊れなきゃいい。現代のレースは戦略よりも技術の方が上回っているからな、俺の考えた戦略が通用しない今、優勝なんて望んじゃいねえよ」
「でも、シイナは勝つよ。絶対。あの人すごい強いけど、やっぱり勝ちたいもん」
「シイナがほとんど負け越している相手だっけ? 反則ギリギリのラフプレイを得意としている選手だったわよね? 名前は確か、レイエルといったかしら」
「うん。そのレイエルさんなんだけど、いつも後ろから他の選手にぶつかっていって墜落させていくの。短距離のスカイドールって速度重視で防御面が脆いから、逆に硬い素材で作られたレイエルさんには誰も肉弾戦に勝てないんだ」
「あれはもう弾丸だな。ボディパーツが硬い上にエンジンが強力過ぎる。おそらく次世代の推進エンジンを使ってやがるな」
「技術革新は最近起きたばかりでは? そんなポンポンと革新が起きていいのかしら」
わたくしが聞くとマスターは片頬を引き攣らせるように顔を顰めた。この顔をする時はお父様のことを思い出した時と決まっている。
「あの野郎が起こした革新はボディパーツ面がほとんどだ。それに合わせた推進エンジンも進化しているが、軽量化したドールはその分早く飛べるのは当然の仕組みだ」
わたくしは妹であるアサギリの事を思い出す。たしかに彼女は軽量化したボディを活かすためにレースでは逃げ策を採用している。小柄なボディもスピードを活かすためだ。
逆にわたくしは肉弾戦を前提とした重いボディに、後半でエネルギーを使い切る追い込み策を採用している。
効率よく逃げる彼女と一戦闘終えた後のわたくしでは残力に雲泥の差が出る。だからいつも彼女に逃げ切られて敗北していた。
「レイエルというのはシイナととことん相性の悪いドールね。肉弾戦に持ち込めず、速度でも敵わない。……よく一勝出来たわね」
「あ、あれは向こうが私に気付かないで油断していたから」
シイナに限らず、レイエルというドールは短距離選手にとって全員が敵みたいなものだ。噂によれば、デビュー戦は彼女一人だけがゴールできたとか。
「そういやヨギリ、お前、最後のレースは何か作戦でもあんのか? 妹さんには勝ちてえんだろ?」
「ちょうどいいわ。そのことでマスターに相談したかったのよ」
わたくしは最後のレースでアサギリにどのようにして勝ちたいかをマスターに話した。
我が儘そのものであるわたくしの願望に、マスターは顎に指を添えた。
「こりゃずいぶんと難題を作ったな。そんだけのことをやった上で勝ちたいと?」
「ええ、最後のチャンスだもの。だから世界最高の参謀と謳われたあなたの知恵が欲しいの」
決して冗談で言っているわけではないと信じてもらうため、わたくしはマスターの目を力強く見つめる。こちらから脅すほどの目力を込めた。
「…………時間をくれ」
マスターはその言葉を呟いてなおサングラスの奥から視線を逸らさず、何か察したらしいメイド長がマスターの背中にブランケットをかけた。
「ヨギリお姉ちゃん。お父様、どうしちゃったの?」
マスターは彫像のように、身動き一つしない。サングラスの奥ももしかしたら瞬き一つしていないかもしれない。
「…………」
わたくしは黙って首を横に振る。マスターは時間をくれと言った。どれだけ時間がかかろうと頼みの綱はマスターだけ。わたくしはここでマスターが再び動き出すのを待つことにした。
動かなくなったマスターとわたくしにおろおろとしていたシイナは、事情を察しているメイド長が廊下へ連れて行ってくれた。何かあればすぐお知らせくださいと小声で呟き、扉の外で待機する。
「……………………」
永遠とも思える時間。しかしドールであるわたくしはどれだけの時間が経過したのか測れてしまう。
……四時間と二十七分。その間マスターは微動だにせず、わたくしもそれに付き合って仁王立ちを決めていた。
「…………二回、賭けることになる」
ついにマスターの口が動いた時、声は少し枯れていて、よく見れば額に汗も掻いていた。
わたくしがマスターに水を渡しつつ、「賭け?」と問うと、マスターはゆっくりと頷いた。
「ヨギリ、俺がたどり着いた勝利への方程式は、途中式があやふやで、間違っている可能性が高い。……これは泥船かもしれない船だ。それでも乗るか? この作戦に」
「ええ。たとえ泥船であろうとわたくしは迷わないわ。むしろ泥船だから乗るのよ」
「ヘッ! こんな時だけ俺に頼りやがって」
「いいじゃない。それで、賭けというのは?」
マスターが扉から顔を覗かせていたメイド長に声を掛ける。
「シイナを呼んできてくれ。あいつにも話を聞いてもらう」
シイナには後で説明すればいいじゃないかと思ったが、もしかしたらシイナには準備とかで手伝ってもらうのかもしれない。
「いいかよく聞け、ヨギリ。俺がたどり着いた作戦の一つ目の賭け、……それは、シイナの整備技術にかかっている」




