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女王の凱旋6

 レースの度に訪れている街ではあるが、買い物目的で足を運んだのは久方ぶりの事だった。流石は王都の中心街なだけあって人とドールが入り混じって活気があった。


 普段はハレーにお願いしていれば地元で大体を揃えてくれたし、遠出が必要であればメイドが嬉々としてお使いを買って出てくれた。地方出身のメイドにとって街に出るという行為は贅沢の部類に入るらしい。ついでにカフェなんかも寄ることができるらしく、たまにお使いはないだろうかとチラチラ見てくることがある。


「こんな景観だったかしら?」


 シイナを連れて街を訪れたわたくしたちは、実は何も目的のないウィンドウショッピングに勤しんでいた。この時間帯は車の利用は禁止されていて、歩行者のみがこの大通りを闊歩している。


 帽子屋の窓ガラスに映ったわたくしは、普段と違った姿にやはり違和感を抱く。屋敷を出る前にシイナから「派手過ぎ!」と文句を言われて、わたくしは久しぶりにドレスではなく、落ち着いたロングのフレアスカートを身に着けている。ベージュ色のセーターと合わせたら、まるで自分ではないような姿が出来上がったが、円形にツバが広いフロッピーハットで髪をある程度隠せば、お忍びの有名人気分を味わえたから悪い気はしない。シイナは身長が低く、見た目が子どもであることを受け入れているような無邪気さを活かしたノースリーブのシャツに白いミニスカートという爽やかな服装だった。わたくしとシイナで若干季節感がずれているが、子どものわんぱくさを思えば気にはならない。


 シイナに案内されて久しぶりに訪れた街のとある一角、わたくしがまだ研究所に居た頃に訪れたこの区画は、しかし記録と異なっているように見える。こんな人で溢れていなかったし、あんな所にアクセサリーショップはなかったはずだ、そこの店舗はパン屋ではなかったはず……とか、急な記録の修正を求められて困惑した。


「レース場への交通整備が進んだのが大きな発展の要因だよ。ここら辺は多くの人が通るようになったから、王都の人気あるテナントが集まった区画になったんだよ。ほら、ここをまっすぐ行くとレース場でしょ?」


 目の前を横切るようにずっと続く広い通りは、わたくしたちが何度も出場したレース場へと続いている。


「本当ね。……もしかして、わたくしったら今まで遠回りしていたのかしら?」


「そうかな? たしかにこの道を通った方が近いと思うけど、この道は他のスカイドールも多く通るみたいだから、レース前に顔を合わせたくないって理由であえて遠回りするスカイドールも少なくないって聞くよ」


 確かにこれから勝負する相手としばらく同じ道を通ることになる。気まずい時間を過ごすくらいなら遠回りを選ぶのもやぶさかではない。


「シイナはどうしてここら辺の事情に詳しいのよ?」


「ハレーお姉ちゃんとよく来たから。そこのアクセサリーショップとあそこの洋服店でよく買ってもらったんだ」


「へぇ、たまに二人揃っていなくなるなと思っていたけど、街に出ていたのね」


「ヨギリお姉ちゃんは毎日練習に集中していたから、誘い辛くて……」


「構わないわ。わたくしが街に来てまで欲しい物なんてないもの。強いて言えば新作のドレスを物色するくらいかしら」


 レースでドレスを着用するなんてお父様が反対したものだから、頼んでも買ってもらえなかった。だから自ら足を運んで採寸してもらい、金に物を言わせて大量のドレスを購入したことがある。懐かしい。


 わたくしもシイナも手ぶらのままレース場方面へ歩いていくと、見知った店の看板を見かけた。


「あら? シイナ、ちょっとここに寄ってもいいかしら?」


「うん。いいよ。……ジュエル・レディ。ここはドレス専門店?」


 シイナが店外の三体のマネキンを見て判断する。わたくし好みの燃えるような赤いドレスと、対称に神秘的な青いドレスがマネキンを着飾っていた。そのマネキンが女性的な体系で作られているせいで美しく見える。しかし、真ん中のマネキンは白いドレスを着ていたが、そのドレスが少し型落ちというか一世代前に流行っていた作りだったのが気になる。


「今となってはどこも洋服が主流となったけど、わたくしみたいにこだわりのある淑女は少なくないわ。わたくしのレース衣装もここの系列で制作したものだから懐かしくて、ついね」


 ドア上部のベルをちりんと鳴らしながら店内に足を踏み入れる。わたくしが知る所よりも店内は広く、ドレスも多くが店内で飾られていた。


 以前は区画の端にひっそりと店舗を構え、店内も薄暗くて知る人ぞ知る、といった感じの雰囲気と哀愁漂う店舗だったというのに、何か転機でも訪れたのだろうか。


「お客も入っているみたいだし。いい雰囲気じゃない。……ッ! あ、あれは!?」


「ヨギリお姉ちゃん、どうしたの?」


 わたくしは他の客を押しのけて、店奥のレジまで進むと、カウンターの上をバンッと叩く。


 何事かと周囲からざわめいた声が聞こえてくるが、わたくしに気付いた店長がこちらに近づいてくる。


「お久しぶりねぇ、店長?」



「あら! どこのクレーマーかと思ったらヨギリちゃんじゃない! ホント久しぶりね!」

 ジュエル・レディの店長こと、ケイネは、濃い目の化粧に威厳あるパープルのドレスを身に纏いながらもおばちゃん臭く「わはは!」と笑いながらわたくしの肩をバシバシ叩く。


「ええ、ええ! 久しぶりよね! でも、あれはどういうことかしら?」


 わたくしが指差したのは、レジ上の壁にでかでかと貼り付けられた一枚のサイン色紙。色紙の端が茶色く汚れているところが目立つが、それこそが“本物”であると物語っていた。なにせこれは、過去にわたくしが店長に頼まれて書いたサインだから。端が汚れているのは、レース直後で手が汚れていたからだ。


「あ、このサイン? 別にいいでしょ? おかげさまで繁盛しているし。あなたのファンも増やしてきたんだから、おあいこよ」


「店には飾らない約束だったじゃない! こんな昔のサインなんて……、あ、新しいの書いてあげるから、あれは取り下げなさい!」


「いやよぅ。まだあなたが無名だった頃のサインだから意味があるのよ。『血濡れの女王』としてのサインも確かに貴重で飾れば効果があるけど、『どろんこお嬢』としてのサインはこの世にこの一枚だけなの。そうでしょう?」


「そ、そうだけど……、だからってこれでなくとも」


 わたくしは初めの頃、レースで上手く飛べず泥に突っ込んでしまうことが幾度とあった。観客はそんなわたくしを見て『どろんこお嬢』と揶揄してきたが、ここにいるケイネだけは違った。泥に突っ込み、レースに勝てない日々が続く中、ケイネはわたくしの元へやってきて「いっそのことドレスでも着て汚れてみたら? その方が映えるでしょう」と。わざわざ白いドレスをプレゼントしてくれた。


 確実に機動力面は落ちたはずなのに、泥にも突っ込んだのにも関わらず、わたくしは次の未勝利戦レースで一位を取り、次のステージへと上がった。勝ったにも関わらず唖然としていたわたくしの元へやってきたケイネがニコニコとした顔で「優勝おめでとう、どろんこお嬢さん。サインをくれるかな?」という言葉に、わたくしは手を拭くのも忘れて無心で色紙にサインした。


 それからどろんこお嬢としてレースで勝ち続けたが、お父様に嫌気が差して家出した。一年の空白の後、復帰した時にはもうどろんこお嬢の姿はなく、わたくしは血濡れの女王としてファーストクラスに君臨した。


「それはもう過去の産物。むしろ経営の妨害になっているのではなくて?」


「そんなことないわよ。ここに移店して、このサインを飾ってからはお客が増えたくらいよ」


「何を根拠にこのサインが影響を与えているのかしら?」


 ケイネはきょとんとして、すぐ何かに気付いた様子で手をパンッと叩いた。


「レディたち! 今日はどろんこお嬢がいらっしゃったわよ! 貴重なお話が聴けるチャンスよ」


 ケイネの召集の声に、店内にいたほとんどの客がこちらに振り向いた。得物を見つけたトカゲみたいなギョロッとした眼差しに驚いた。シイナが話に入ってこないと思っていたら、他の女性客の着せ替え人形にされていたみたいだ。


「な、なによ……、なにか、文句でも?」


 近くにいた女性客が、わたくしの傍に近寄ってきて、すぐ近くにあった白ドレスを持ってわたくしの身体に合わせた。


「――ッ! 本物ッ! 本物よ、みんな! ここにあのどろんこお嬢様がいらっしゃるわ!」


 その声を皮切りに続々と女性客が押し寄せてきた。


「本物なのね! 帽子取ってみてください!」


「洋服も似合うのね! でもドレスの方が映えるわ! また白いドレスを着てみて!」


「赤もいいけどやっぱ白が至高よ。泥に穢されてなお立ち上がるお嬢様の姿勢……、はあ……はあ……濡れそう」


「な、なんなのよこの子たち、どうしてわたくしのこと――」


 若干一名危ない娘がいたが、わたくしを囲んだ女性客は誰も血濡れの女王として見ていなかった。いや、中には赤いドレスを肯定する声もあるが、大体が白いドレスへの賛美。しかも泥にまみれることを前提としたわたくしへの興味。ここの店長はどのような洗脳をしたのかと疑問に思う。


「ここは血濡れの女王御用達のドレスショップとしてファンが足を運んでくれるけど、ヨギリちゃんの空白の一年より前から応援していたレディたちが毎日のように顔を見せてくれるのよ。今日はこれでも少ない方よ、多い時はお隣のカフェがドレスレディで満席になるから」


「どうして……、どうしてあんたたちは、『どろんこお嬢』を慕うのよ。泥臭いだけよ? ドレス汚して台無しにして、今となってはその泥を被りすらしないわたくしを、どうして慕うのよ?」


「そりゃあ、ねえ?」


 ケイネが言葉少なく女性客に同調を求めると、一糸乱れぬ動きで全員が深く頷いた。


 先ほどわたくしの所へ真っ先に駆け付けた客が、他の女性客を代表して答えた。


「わたしたちはあなたの泥臭さに惚れたのです。ドレス姿のあなたが戦う姿勢に焚きつけられました。後ろに隠れるだけだった女が障害物を押しのけ、前に出る勇気を得られたのです」


 隣の女性が言葉を引き継ぐ。


「汚れることが何よ。男が仕事で毎日汚れてんのに、女は綺麗に着飾ることが仕事だと思われるのは気に入らないわ。汚れることは決して女が前に進むための代償ではないわ、むしろ勲章だと思っているわ。それを教えてくれたのは、まぎれもなくヨギリさんなのよ」


「血濡れの女王として生まれ変わり、ラストレースも今のスタイルで貫くとしても、わたしたちは応援します」


 空もまともに飛べなかったわたくしを応援してくれた人がいた。空を飛べるようになって、泥臭さを捨てたというのに、それでもわたくしを見てくれる人がいることに感謝の言葉も出なかった。


「あなたたちの期待に応えられないかもしれないわよ」


「なあに弱気になってんのよ。店長たるあたしは当然気付いているけど、もちろんここにいるレディたちも気付いているわよ」


「な、何によ……?」


 店長はカウンターの下から一枚の写真を取り出し、ニヤニヤと笑いながらそれをわたくしに渡した。


「これは……」


「ヨギリちゃん、自分のレースを見返したことはないの? こんな必死な形相で優勝しちゃって。ファンならこの顔に惚れるのよ」


 渡された写真とは、血濡れの女王として参加したレースの、優勝寸前を切り取った写真だった。他のスカイドールに迫られ、勝ちたい一心で歯を食いしばった醜い形相をしたわたくしが写っていた。


「この顔……、これじゃ、これじゃまるで――」


「どろんこお嬢はまだ健在。違う?」


 わたくしの中で眠っていた純白の感情が目を覚ます。そして、わたくしだけの感情が湧き上がる。


「……ケイネ、ドレスの注文をするわ。サイズは変わらず、デザインはあなたにお任せするわ」


「ふふ、良い顔をするようになったわね。それで? 生地の色はどうする?」


 ケイネの挑発するような口調に、わたくしは口の端を吊り上げて挑発に応える。


「とうぜん、“どろんこ女王”にふさわしい純白で作りなさい」





 今日一番の歓声が店内に響き渡った。



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