8 そくばくからのかいほう
ちゃんとオブラートに包んで表現しました。
扉も開いたことだし、俺の尊厳を守るためにもさっさとトイレ探しをしようじゃないか。
「よし、それじゃ行こうか、愛音君」
「は、はい」
俺が教会探索に乗り気なことに愛音君は若干首を傾げていたものの、俺が教会に入るとすぐにその後に続いてきた。
教会の内部は、外側とは打って変わって荒れていた。
雨漏りでもしていたのか、並べて配置されていた木製の長椅子のほとんどが、触れるだけでボロボロと木片が散らばるほどに腐敗が進んでいる。
俺たちは、教会の身廊と思われる場所を真っすぐに進み、周囲よりも一段高い場所にある祭壇へ向かった。
祭壇の上には講台が一つと、その向こうに等身大の聖母の石像と思われるモノが置かれていた。
しかし、その石像は首から上が無かった。
にもかかわらず、この石像が聖母だろうと判断できた理由は、石像の背後に書かれた美しい壁画にあった。
壁画には、天使に囲まれた女性が手を組んで何かに祈っている様子が描かれていたのだ。目の前にある石像は、その女性と同じ服装で同じポーズをとっていたのである。
隣にいる愛音君なんて、「はえ~」とか変な声を漏らしながら、壁画を見上げていた。
異世界の宗教というモノも興味を引かれるが、そんなことより今はトイレだ。
壁画が描かれている壁の右端と左端にそれぞれ扉がある。
そのどっちかはきっと、トイレに通じているに違いない。
そう考えた俺は、壁画に見とれている愛音君を置いて、右の扉を開けた。
部屋に入ると、中は談話室のような場所だった。
もちろん、トイレはない。
あるのは大きめの本棚と、テーブルが一つに椅子が四つ。
どこもかしこも埃をかぶっていて、カビっぽい。
それに、トイレが無いならもうここに用はない。
異世界の書物には後ろ髪を引かれるが、断腸の思いでこの場を後にする。
壁画の側を通りすぎて、急いで左の扉へ。
すると、愛音君が俺のそばに寄って来た。
「なんで急いでいるんですか? 探し物ですか、ライト先輩?」
「そうだな。そんなところだ」
「何を探しているんですか? 手伝いますよ?」
「そうだな……」
ついさっきデリカシーがないとか言われたばかりなので、トイレを探していると言うのは憚られる。
愛音君の協力を得られないのは惜しいが、ここは迂遠な言い回しで誤魔化すしかあるまい。
「俺を束縛から解放してくれるような場所……かな?」
「……はい?」
今度は「何言ってるんだコイツ」という、冷ややかな目を頂いた。
……理不尽だ。
君は一体俺にどうしろと言うんだ、愛音君や?
もう俺にはお前が分からない。何が正解か分からないぞ。
人間関係って、こんなにも難しいものだったか?
もし俺の対人関係のスキルが壊滅的だというのなら、この先ゲームでうまく立ち回れる自信がないんですが?
そんな一抹の不安を抱えながらも、左の扉を開ける。
扉の向こうにあったのはトイレ――ではなく、地下への階段だった。
光源のようなものはなく、石造りの階段を五段も下りればその先は真っ暗だ。
右側の壁には燭台が並んでいるが、残念ならが今は熱源となるものを持ち合わせていない。
一度ロッジに戻らなければ、ここから先を探索することは難しいだろう。
それに、たとえこのまま地下へ潜り、その先でトイレを見つけたとしても、暗闇の中では用を足せるわけもない。
つまりだ。
不覚にも今この瞬間、青空の下で束縛を開放することが確定したのである。
しかし……。
しかしだ、青空の下での解放となると、とある問題が発生する。
この無人島にはトイレットペーパーがないのだ。
それなしに、どうやって致した後の処理をしろと?
まさか……葉っぱか?
葉っぱで拭けとでもいうのか?
それは是非とも遠慮したい。なぜなら、ここに来るまでに蕗の葉っぱのようなものを見ていないからだ。
蕗という植物は、茎が食用にもなることで知られているが、葉っぱは尻拭きに使うことも出来るらしい、ということが記憶に残っていた。
なぜそんなことを覚えているのかと言えば、それは蕗という植物の名前の語源となったと言われている、とある一説を忘れることが出来なかっただけである。
それは確か、「フキ」という名前の語源が「シリフキ」から来ているというモノだ。
……そう。「尻拭き」から来ているというクソどうでもいい説があったりするのだ。
しかし、蕗は見つけられなかった。
イコール、尻は拭けない。
となれば、俺は束縛を解放できない。
文明人であるという誇りを捨て、どちらか一方の手を犠牲にすれば、尻は拭けるかもしれない。
が、今はそれも出来ない。
やるとしたら、愛音君が邪魔なのだ。
仮に左手を犠牲にして、川に手を洗いに行くにしても、川はロッジの向こうの西の森の中にある。
それまでに、愛音君が匂いに気づかないはずがない。
気づかれれば文明人としてだけでなく、人として終わるかもしれん。
ここ最近、俺は愛音君の冷たい目に晒されることが増えてきたが、いまだに絶対零度の視線を浴びるようなことはしていない。
『その時』のことを想像してしまうと、俺は愛音君の視線に耐えられる気がしなかった。
ならば仕方がない。
俺の尊厳のためだ、パンツを生贄に捧げよう。
ゲームの間、ノーパン野郎として過ごすことくらいどうってことないさ。
そう考えた俺は、壁画の前まで引き返し、右の扉を目にして――
立ち止まった。
あれ?
そういえば、紙あったじゃん。