2 そうなんですね
愛音君の言う通り、ここが無人島であるならば、一人で行動するのは危険だ。
異世界転移モノのなかでも、無人島転移モノで一人行動が許されるのはサバイバルスキルが高い奴だけだからな。
もちろん、俺にサバイバルスキルなんてない。
つまりこの瞬間、俺が主人公ではないということがほぼ確定してしまったのである。
「はぁ……」
なんと世知辛いことだろうか。俺はモブだったのか。
しかも、異世界で現代日本人共と共同生活とか、俺はそこに楽しみを見出すことなんて出来る気がしなかった。
いやしかし、気を落とすのはまだ早いのではないか?
もしこの無人島のどこかに主人公がいるのなら、そいつの近くにいることさえ出来れば快適な無人島生活を送ることだって可能かもしれないのだ。
ロッジの中にいた十一人に俺と愛音君を合わせれば、総数はたぶん十三人。
その中から主人公を探し出すには、確かに全員と円滑にコミュニケーションとっておくというのは良策と呼べるに違いない。そう考えた場合、愛音君が言っていたようにトラブルの仲裁に入るという手もありといえばありな気がする。
どう考えてもチンピラは主人公じゃないし。
そうと決まれば、話は早い。揉め事の原因は分からないが、とりあえずチンピラを殺ってしまおう。
「よし!」
ロッジの近くに手頃な石を発見した俺は、おもむろにそれを手に取ると、愛音君へと振り返った。
「君の言う通りだ。困っている女の子を放っておくなんて良くないよな!」
そう言い放った俺のにこやかな笑みに、愛音君がじっとりとした視線を返す。
「一応聞きますけど……何をする気ですか、先輩?」
「ん……? 共同生活の輪を乱す危険分子の排除?」
「今この島で一番危険分子に相応しいのはライト先輩です。その石を叩きつけるべきは先輩の頭ですよ」
言いながら近づいて来た愛音君が、俺の手首をぱしりと叩いた。
反動で取り落とした石が、ドスっと音を立てて地面に落ちる。
「なにをする、愛音君⁉ 俺は主人公を――」
「はいはい。おバカなことを言ってないで、行きますよー」
愛音君に腕を掴まれた俺は、話を聞いてもらえないままロッジへと連行されることとなった。
説得すら許されないとは、全くもって不本意だ。
というか、君は俺に女の子を助けさせたかったのか、そうじゃないのか一体どっちなんだ?
……よくわからん。
俺たちがロッジの中に戻った時には、揉め事はすでに治まっていた。
チンピラが不機嫌そうに席に着き、先程まで絡まれていた女の子がチャラそうな兄ちゃんと話しているところから見るに、あのチャラ男が場を治めたらしい。
さては、お前が主人公か。
俺のピースフルでコンフィーな世界無人島ライフのためにも、是非とも頑張って欲しい。
よし。今のうちにゴマでも擂っておくか。
と、移動しようとした俺の腕が愛音君に強めに引っ張られた。
ついでに、大きな円卓の周りに並べられている椅子の前に連れて行かれる。
移動している間に、なんとなく居心地の悪さを感じたので、席に着く前に小声で尋ねてみた。
「なんか俺、注目されてないか?」
「えっと……なんででしょうね?」
苦笑いを返してくる愛音君。
すると、横から声を掛けられた。
「そりゃあ多分、お前が最後の一人だからじゃね?」
声の主はチャラ男、ただいま暫定主人公君のものだった。
初対面からかなり馴れ馴れしいなコイツ。
主人公君と呼ぶのはもう止めよう。チャラ男で充分。
「……最後の一人?」
「見てわかんねぇの? 円卓の周りに並べられている椅子の数は十三個だろ?」
「はぁ……。そうですね」
そんなことは分かっている。だからそれが何だというんだろうか?
「しかも、昨日この島を探索した時にはどこにもお前はいなかったし、さすがに怪しすぎるだろ?」
「いや、怪しいと言われてもね……」
そう言われても、さっき来たばっかりなんだよな。
まあ、何が何だかよくわからんが、要するに俺は疑われているというわけだ。
しかし、そもそも何を疑われてるんだ?
それを踏まえて、なんで俺を疑うことに繋がるのかちゃんと説明してくれないと、俺だって何から話すべきかすらもよく分からんし、「なんか怪しくね」みたいなフワフワした理由ではさすがにこちらも困ってしまう。
「ええと……」
まあ、チャラ男にゴマを擂る作戦は、ファーストインプレッションが悪印象っぽい感じなことから、失敗しているって言ってもいいわけだ。
ならば今からでもコイツから距離を置きつつ、おいしいところはしっかりと頂くハイエナ作戦にでも切り替えるべきだろうか?
ついでに、実際のところはハイエナの方が狩りが上手くて、ライオンが獲物を横取りすることが多いみたいだから、ライオン作戦に命名を変更しよう。
なんと、命名を変更するだけで罪悪感が軽減されるとは、素晴らしい発見だ。
そう考えると、なんかチャラ男に説明するの面倒臭くなってきたな……。
するとどうやら、思考に時間を使っている俺を見て、チャラ男は俺が答えに窮していると捉えたらしかった。
「……やっぱりか」
などと呟いて、訳知り顔をし始める。
本格的にコイツと関わるのが嫌になって来たな……って、あれ?
「おおっ⁉」
「とぼけようとしても無駄だぜ……っ⁉」
チャラ男がなんか言っている気がしたが、今となってはもうどうでもよかった。
円卓の真上に、突如として真っ黒な穴が現れたのだ。
その穴は徐々に広がり、人一人が潜れそうな楕円形に変わる。
空間を切り取ったかのような漆黒の穴の周囲は、毒々しい紫色の靄で覆われていた。
そして、穴の中からミイラのような灰色の手がにゅっと出てきて、穴の縁を掴んだ。
いやいや、空間を掴むってどういう原理だ?
穴の縁に質量でもあるんか?
でも質量しか持たないんだったら、ダークマターのようにすり抜けなきゃおかしいから、電気的性質はあるんだろうな。
などと、俺が目の前の現象に熱視線を送っていると、ミイラのような骨ばった手に続いて、人外の何かが顔を覗かせた。
「ひっ⁉」
人外の顔を真正面から見た女が悲鳴を上げ、すぐ隣に座っていた彼氏らしき男の方に体を寄せる。
「せ、先輩……」
こっちはこっちで愛音君が服の袖をちょんと摘まんできた。
数少ない俺の私服が伸びるのでやめて欲しい。
真っ黒な穴が消えると同時に、バケモノが円卓の上にふわりと降り立つ。
その姿を一言で表すなら、悪魔だろうか?
全身灰色のエナメル質のような光沢のある皮膚。
細長い手足と同様にその胴体も細く、あばらには骨が浮いている。
その背には人の手の骨を模したような翼が一対。
ぎょろりとした黒い目は瞳孔が縦長で、白目の部分が赤かった。
人型をしている悪魔の大きな特徴といえばやはり、縫い付けられた口元と、その下にある喉元に刻まれた魔法陣のようなものだろうか。
うむ、確かに見た目はキモい。
というか、身の危険すら感じる。
しかし、そんなことより何より重要なことは、あの悪魔が何かしらの特別な力を使ってここに現れたという事実。ここが異世界だと証明されたということだ。
もし魔法とか使わせてくれるなら、目の前の悪魔と契約するのだってアリだ。
ただし、どこかのラノベよろしく契約に口づけが必要だというのなら、ノーサンキューでお願いします。
……とりあえず、契約して欲しいと願い出ようかな。
失礼のないように悪魔様の正面に回り込むため、歩き出そうとした俺の腕が、愛音君にぐいっと引っ張られた。
なぜ引っ張る?
「どうかしたか、愛音君?」
「変なこと、しようとしてませんよね?」
愛音君は瞳を揺らし、不安そうにしている。
それを見た俺は、彼女の不安を払拭すべく自信満々に返してやった。
「大丈夫だ。問題ない」
「うわぁ……」
「だから手を放して――」
なぜか嫌そうな顔をする愛音君を振り払おうとしたその時――
『集マッテイル様ダナ』
と、悪魔が言葉を発した。
それに合わせるように、悪魔の喉元にある魔法陣が明滅する。
金切り音が混じった聞き取りにくいその声は、魔法陣から発生しているようだ。
そのくらいは、子供だましのおもちゃでも可能だから驚きはしないが、悪魔が日本語を話せるというのは驚きを通り越してもはやシュールだ。なんというご都合展開。やはりここには主人公がいるに違いない。
ならば、ここは主人公君の出方を伺うまでだ。俺は傍観に徹しよう。
「アナタは何?」
声を上げたのは、向かい側に座っているモデルみたいな女だった。
おお! 自分から悪魔に話しかけるとは、この女やるな。
というか、チャラ男も合わせた俺たち三人だけが突っ立っているのは目立つ。
モデル女に悪魔の注意が向いているうちに着席しておこう。
愛音君にもそれとなく促して、隣の席に座らせる。チャラ男はどうでもいいので放置。
俺が席に着くと、再び悪魔が声を発した。
「ワタシハ、案内人ダ」
「案内人?」
「ソウダ。コノ世界ニ、オマエ達ヲ連レテ来タ」
律義に質問に答えてくれるとは、なんと親切な悪魔だろうか。であれば、こちらも敬称を付けて、悪魔様と呼ばせてもらおう。
悪魔様が俺たちをここに連れて来たというのなら納得だ。ついさっきの転移みたいな技が使えるんだろうし。
となると、青井は冤罪だったか。すまない。
次に会ったら目つぶしくらいで済ましてやろうじゃないか。
「それで、案内人さんはどうして私たちをここに連れて来たのかしら?」
「ソレハナ――」
「ふざけんな!」
何か言いかけたその時、悪魔様の顔面に椅子が直撃した。
その衝撃で椅子の足が一つ砕け、円卓の上に音を立てて転がる。
「俺たちを日本に返しやがれ! このバケモンが!」
声の方を見れば、顔を真っ赤にして鼻ピアスのチンピラが肩を怒らせていた。
え? 何してくれてんだ、こいつ?
悪魔様と契約を結ぶという高尚なる俺の計画がおじゃんに……じゃなかった。明らかにこちらの生殺与奪を握っていそうな相手に向かって、何してくれてんの⁉
幸いにも俺がいる場所は出入り口から近い。
とばっちりを食らいそうになったら、近くのチャラ男を犠牲にして脱出しよう。
その前に脱出経路を確保すべきか?
驚き固まっている連中を余所に、俺はこっそりと入り口の扉に近づいた。
ドアノブに手を掛けて、扉を開け――開かない。
もしかしたら、鍵が掛かっているのかもしれん。
扉のロックの部分をかちゃりと半回転。
扉よ、開け!
……今度はドアノブすら回らなかった。
鍵が掛かるとドアノブが動かなくなるタイプの扉らしい。
どうやら出られないようだ。
冷静になれ、現実を直視しろ俺。
この世界が異世界転移の無人島サバイバルものでなくたって、まだ可能性はある。
そうさ、この世界がゲームの世界なら、チュートリアルとかボスイベからは逃げられなくとも、不思議じゃないじゃないか。
……ん?
あれ?
さっき俺、この世界がVRゲーム説を否定したばっかりじゃん。