ぷろろーぐ
プロローグの後は、しばらくコメディパートが続きます。
「ふあ~」
大きな欠伸を一つかまし、俺は片目を擦りながらベッドから降りた。
センサーが家主の活動開始を察知して、偏光板の埋め込まれた窓が真っ黒な状態から縞模様に変わる。すると、縞模様の隙間から、外の建築物から反射した冷たい陽光が部屋に侵入した。
体をポリポリと掻きつつ寝室からリビングへ。
リビングの窓も、寝室の窓と連動しているためにすでに明るくなっている。
床を這うおんぼろの掃除ロボを避けながら調理冷蔵庫へと向かい、昨日の夜に予約しておいた『北添シェフのお試しコース・朝食用』とかいう名前のレシピ通りのメニューを受け取って、テーブルに付く。
いつも通りのルーティーン。違うのは食卓に並んでいるメニューだけだ。
「さてさて、今日のメニューは当たりかなっと」
この前テレビでやっていたグルメ番組のやつは酷い味で、とてもじゃないが食えたもんじゃなかった。長年愛用してきた調理冷蔵庫の故障を疑ったほどだ。
買い替えるとなれば出費も痛いし、データの移行とかだって面倒臭い。
ところが、クソマズいメニューを消化したその翌日になって、グルメ番組側の用意していた調理用のダウンロードデータの不具合が発覚した。この時の補填として無償提供されたのが、この番組お抱えの有名シェフの調理データだったのである。
小さく手を合わせた俺はさっそく、黄緑色のよくわからんソースがのっている、カットされたフランスパンに噛り付いた。
「うーん……普通?」
フランスパンの他には、サラダにオニオンスープ、何かの肉詰め。
どれもこれもが普通の味だった。
「高級食材を使えるわけでもないし、こんなもんか」
というより、普段から愛用している調理データが優秀なのだと思われる。
もそもそと口を動かしながらそんなことを考えていた俺は、壁に埋め込まれたテレビに目線を遣った。テレビに人差し指を向けるだけで電源が付き、この時間帯に使用頻度の高いチャンネルに勝手に切り替わる。
『2135年に開業した宇宙ステーション、通称『フラップ・シップ』は、今日からちょうど一週間後に竣工から10周年を迎え、記念イベントである――』
女性ニュースキャスターの声を適当に聞き流し、いつものように天気予報のチェックを開始。
モニターの中を、俺の目線に合わせて白いカーソルがぐるぐると動き回る。
ニュースキャスターの顔の横に並んでいる文字列の一つにカーソルを合わせて、左手で空中をクリックすれば、天気予報の情報が半透明の状態で表示された。
くもりのち晴れ。気温は二十度前後。夕立の可能性も無し。
そこから関連情報に飛んで、電車の運行状況を検索。問題なし。
『それに合わせて今日から宇宙エレベータの乗客に対し、宇宙空間に投影するホログラム映像技術を利用した、世界的有名アーティストの『Canobee』のライブが開催される予定で――』
「知らんがな。というか、宇宙でライブとか一般人の俺らにゃ関係ないじゃん」
画面の向こうのお姉さんに虚しいツッコミを入れ、コーヒーを飲み干す。
よく考えたら、洋楽とか聞かないからマジでどうでもいい情報だったなぁ。
えーと、なんだっけ? ワナビーだっけ?
まぁいいか。ベつに。
そんなとりとめのない事を考えながら朝食を食べ終えた俺は、身支度を済ませ玄関へと急いだ。
玄関に着いたあたりで、視界の端に小さな赤い点が明滅する。
通話アプリの通知だ。
アプリを開いてみると、後輩からメッセージにが届いていた。
『先輩って、Canobeeのライブに興味あったりします?』
あるわけないだろう。
なので「興味ない」と速攻で入力し、送信。
そうして靴を履いたところで、俺はピタリと動きを止めた。
「あ……」
そういえば今日って、大学休みだったわ。
そんなこんなで、朝の時間をゆっくりとだらけて過ごした俺は、午後から都内の大学病院へ向かった。
定期検診のためだ。
定期健診といっても、健康診断とはまた違う。脳幹付近や脊椎に組み込まれたチップを含めた全身の隅々までを検査するのである。場合によればチップの交換をする必要があったりもするが、基本的には肉体に直接負荷のかからない電磁気などを利用したメンテナンスが行われる。
人によれば、眼球に専用のモニターレンズを埋め込んでいる人もいるのだとか。
そんな酔狂な人物にあったことはないが、いやはやすごい時代になったものだ。
大学病院には空タク――航空タクシーで向かうことにした。
予約を入れれば、自動運転で自宅マンションの近場に止まってくれるし、乗るだけで目的地へと連れて行ってくれる空タクは利便性がとても良い。しかも、自分の金で乗るわけではなく、懐が痛むわけでもないとくれば、利用しない手はなかった。
俺を乗せた空タクは、人間には視認出来ないレーザーが敷かれたビルの間の空路を進み、ものの十分で目的地の大学病院専用の発着場へ到着した。
無人のタクシーは俺を下ろすと、自動的に空路へと戻っていく。
俺はそれを見送ることなく、異様に大きな病院の玄関口を潜った。
医用情報工学に必要とされる機器を安全に使用するには場所を取るらしく、最新機器を導入できる病院は、どこもかしこもデパートよりもデカかった。
清潔感が漂う広々とした一階を順路通りに進んで、受付で諸々の手続きを終える。
「――それでは、三階のD7で診察を受けて下さい」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
受付嬢の微笑みに小さく頭を下げ返し、三階へ。
短いやり取りではあったが、やはり人との触れ合いは良いものだ。
最近では、人と区別のつきにくいヒューマノイドが受付業務を行う店が増えつつあるので、よりそう思うようになった。
どうにも、人件費とヒューマノイドの購入費、維持費のつり合い的に、ヒューマノイドが優勢という状況に変わりつつあるらしい。
今朝のニュースの見出しにも『営業職業界に打撃か⁉』などと、でかでかと表示されていたのを覚えている。
俺たちのような一般階級の人間には将来にかかわる頭の痛い問題であっても、上流階級の者達はあまり関係がない問題と捉えているに違いない。というか、彼ら上流階級はヒューマノイドを普及させる側なのだから、自ら問題提起するハズなんてないのだ。
効率化すれば利便性が上がり、それは消費者である自分たちに享受される。『便利』は『甘く』、その味を一度覚えれば俺たちに逃れる術はないのだから。
一世紀前の人々が、便利の象徴である『スマートフォン』から逃れられなかったように。俺たちもまた、新しい『便利』からは逃れられないのだろう。自動調理冷蔵庫や空タク、頭の中のチップと同じように。
そもそもの話、あらゆるものの効率化が進んだ昨今で、対人系の仕事やアルバイトが残っているのは、相手が人であるという安心感や温かみというモノが重要視されているからだ。
それを人工的に再現した機械が、当たり前に人と接する世界。
人工的な安心感や温かみ。
表面上は今とそんなに変わらないはずなのに、なぜか嫌悪感が拭えない。
リノリウムの床を歩きながら、そんなことを考えているうちに目的のフロアに着いてしまった。
学校のクラスネームプレートように突き出た、正方形のプラスチックのプレートには、D7に加えて診療科名と担当する医師の名前が書かれている。
丁寧なことに、扉の横の壁に備え付けられたプレートにも同様の表記がされていた。
医師の名前は青井賢治。
よく俺を担当してくれているおじいちゃん先生ではないようだ。
受付で渡されたカードキーを扉のセンサーに翳すと、自動的に扉が開く。
室内には、大きな金属製の机に向かって何かをしたためる初老の男性がいた。
こいつが青井なのだろう。
扉の開閉音に気づいた青井が、人好きのするような笑みと共にこちらを向いた。
「初めまして、君がライトくんでいいのかな?」
「あのー。できれば名前でなくて、名字で呼んでいただけるとありがたいのですが……」
「おお、これは失礼した。確か名字は雨篠だったね。教授から話を聞いたばっかりで、ついうっかりしてしまったよ」
「はあ」
名前すら覚えていなかったあのおじいちゃん先生は、どうやら教授だったらしい。
そんなことはすこぶるどうでもいいが、俺のことを聞いているなら話が早かった。
なんだかんだで今回の検診も早く終わりそうだ、などと考えながら青井の話を聞き流していると、
「それじゃ、行きましょうか」
と青井が急に立ち上がった。
「……はい?」
一応返事は返したものの、流石に「どこへ?」とは聞き返さない。
というか、お医者さんの言うことにはおとなしく従うだけでいいとばかり思っていたので、わざわざ聞き返そうという気にもならない。部屋に備え付けの機械を使わないことも、故障しているからなのだろう、くらいにしか思わなかったし。
青井について歩き、案内されたのは病院の最上階のとある部屋。
真っ白でクソデカいMRIの装置のようなものが置かれただけの殺風景な場所だ。
いや、装置の複数の部品が緑色の光を放っていて、視界にちらつく光がなんかうるさい。
そうして部屋を眺めていると、隣部屋からガラス越しに青井が指示を出してきた。
「では、その装置に入ってくれ。スキャンされている間は動かないように頼むよ」
「はあ……」
お医者様がそう言うなら、そうするべきなんだろう。
別段拒否する理由も見当たらなかったので、青井の指示通りに検査台の上に横になる。
晩飯何にしようかな?
北添シェフのお試しコース・夕食用にするか、栄養士さんのおまかせメニューにするか悩みどころだ。
ぼけーっと天井を見上げていると、検査台がスライドし始めた。
徐々に装置の口に体が飲み込まれていき――
俺の全身が飲み込まれたあたりで、青井の声が掛った。
「はい。強い光を当てますよー。3,2,1――」
え? カウント早くない?
至近距離で放たれた緑色の光は、開けたままだった俺の目にまともに直撃した。
目の奥に鋭い痛みが走る。
「ああああああああああああぁぁぁぁぁっ⁉」
視神経が熱されているかのような痛みに、俺はのたうち回った。
よし、青井はぶん殴ろう。お医者様だろうが知った事か。
人の話をあまり聞かない自分に非があるのは百も承知。それでも、青井に対して『カウントが早かった罪』を適用し、一発殴る権利を所望する。誰に対してそんなことを言っているのかと聞かれれば、それはお天道様と答える以外にあるまい。
というか……あれ?
のたうち回るっておかしくないか?
検査台と装置の間にはじたばたと体を動かせるようなスペースはないし、今俺は頭をぶつけてなければおかしい。しかも、今寝転んでいる場所はなんか硬かった。
体を起こし、目を開ける。
チカチカして何も見えない。
しばらく待っていると、ぼんやりと景色が見え始めた。
「は?」
と、まぬけな声を上げた俺の視界に映ったのは――
鬱蒼と生い茂る木々だった。