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〈8〉私は決して怪しい者ではございません (3)

 

 ナターシャの無事と事の仔細を報告すべく、生徒会室へ戻る。すると、大きな扉にもたれかかりながらユーリが待っていた。レイシアはしたり顔を浮かべ、ふんとは鳴らす。


「ほら、あなたの大事な大事なナターシャはちゃーんと連れてきましたよ」

「ご苦労さま」


 ユーリは扉を開き、ナターシャとレイシアを中へと促した。ナターシャが生徒会室へ入るやいなや、王太子の熱い抱擁が彼女を待ち受けていた。


「マティアス様……っ」

「――ナターシャ」


(……!?)


 レイシアは、突如目の前で繰り広げられるドラマチックなラブシーンに唖然とした。マティアスは人目もはばからず、ナターシャの頬を確かめるように撫でている。

 生徒会室の他の役員らは、二人の様子に全く見向きもしない。ユーリは、やれやれといった風に首を横に振っている。――恐らく、ここでは珍しい光景ではないのだろう。


(えー……これじゃ、目をつけられても文句言えないじゃない。……このバカップル)


 レイシアは呆れ混じりの半眼を向けた。


「すまないが、俺は彼女を停車場まで送ってくる」

「はいはい、お好きにどうぞ」

「ああ」


 ユーリは寄り添い合う二人を手で追い払った。


 窓の外に視線をやると、日が沈みはじめており、生徒会の生徒たちも帰りの支度を整えていた。ユーリは、ソファの背もたれにかけていた制服の上着を手に取ってこちらに言った。


「君。ちょっと僕に付き合って」



 ◇◇◇



 ユーリに連れられて、レイシアは校舎の屋上へと来た。春の終わりの夜はまだ肌寒い。

 彼と並んでレンガ造りの床に腰を下ろすと、彼はレイシアの背に自分の上着を掛けた。


(……さり気ない)


 彼の意外な紳士的な一面に感心しつつ、上着がずり落ちないように手で生地を抑える。

 ユーリは、屋上からの景色を眺めながらおもむろに話し出した。


「さっきの、ちょっと格好いいと思ったよ。……ありがとう、ナターシャを助けてやってくれて」

「友達として当たり前のことをしただけよ」


 ユーリの柔らかな黒髪が、夜の風に吹かれてなびいている。レイシアかぼんやりとその優美な横顔を見ていると、彼が続けた。


「このままナターシャを想い続けても幸せになれないことは、僕が一番分かってるんだ」

「…………」

「ただ、執着心を手放すのが難しくて……って、なんで僕、君にこんなことを話してるのかな」

「なんていうか、ユーリ様の生き方は、とても窮屈に見えるわ」


 ユーリがナターシャにこだわっているのは、彼の不幸な境遇が背景にある。彼は、ローズブレイド公爵家の正妻の子ではなく、公爵と妾の間でできた婚外子だった。ユーリの実母は幼い頃に亡くなり、屋敷では正妻と父と共に暮らしていた。


 父親との関係は希薄、義母からは妾の子として虐げられていた。ユーリは幼い頃から愛情に飢え、孤独を抱いて育った。――そんなとき、唯一ユーリに手放しで優しさを向けたのが――ナターシャだったのだ。


 ユーリは、自分に愛情を持ってくれるのは、ナターシャだけだと思い込んでいる。幼少から精神の奥深いところに刷り込まれた意識は、そう簡単に覆るものではない。


「窮屈……か。確かにそうかもしれない」


 そう呟いておもむろに自分の額に手を伸ばす彼。普段は前髪で隠しているが、義母の暴力で付けられた傷跡がそこに残っていることを、小説を読んでいたレイシアは知っている。

 ユーリが、自分の深い愛情をひた隠しにしながら、幼馴染としてナターシャの傍らにい続けた日々の苦悩や葛藤も、レイシアはよく知っている。


「ユーリ様は、人を信頼することを恐れていらっしゃるでしょう。だからナターシャに執着している。……けれどね、周りを見渡せば、優しい人は沢山いるものだと思うわ」


 ユーリはこちらを振り向いた。


「君は生意気で無礼だ」

「突然の悪口!?」

「頼んでもいないのに世話を焼きたがるし、平気で人の心に土足で上がり込もうとする。――でも、君のことを少し信じてみてもいいかなって思っている自分が……どこかにいるんだ」

「……!」


 レイシアはやけに気恥しくなって、そっと目を逸らした。すると、その様子を見た彼がふっと小さく微笑む。その表情は、いつも彼が顔に貼り付けている嘘くさい笑顔ではなく、ちゃんと感情が伴っていて――人間らしい笑顔だった。


「ナターシャへの気持ちは、独りよがりなものだ。いつかは前に進んでいけるのかな」

「大丈夫。ユーリ様ならきっと」


 ユーリの人間不信は深刻だった。家庭環境が特に大きく影響しているが、とにかくナターシャ以外の人間を極端に拒んで寄せ付けない。

 ユーリを気遣う友人も過去にはいたが、裏切りを恐れて彼らのことを自分から突き放してきた。人を試すような態度も、軽薄な言動も、多くが人への不信感から来ている。


(あら……今一瞬、頭の上の旗が薄くなったような)


 ユーリの頭の上をじっと見つめながら、レイシアはごしごしと瞼を擦る。しかしもう一度確認すると、これまでと同じ濃さではっきり目に映った。まだまだ、死亡フラグを折るまで道のりは遠そうだ。

 空を見上げると、暗闇の中に満天の星が広がっている。空気が澄んでいて、星々が近くに感じられる。レイシアは、春の終わりの夜空に思いを馳せた。


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