〈7〉私は決して怪しい者ではございません (2)
しかし、ナターシャを庇い令嬢たちの前に立ちはだかった刹那。彼女の潤んだ瞳と、強く握られたせいで痣ができた細い手首を見て、自制心が効かなくなった。
(……なんて、ひどい)
プチン……と堪忍袋の緒が切れる音が聞こえた気がした。
「あなたたち。一体何をしているの?」
「……レイシア様……っ!? どうしてここに……?」
「遅くなってごめんなさいね。怖かったでしょう。――もう大丈夫、私がいるわ」
彼女にそっと微笑みかけると、ナターシャは安堵に再び瞳を濡らした。
「あんたこそ何よ。まさか、その子のこと庇うつもり? その子が自分の立場を分かってないみたいだから、あたしたちが教えてあげてたのよ」
「教えてあげていたですって……? 馬鹿を言わないで。あなたたちがしていたのはただの嫌がらせじゃない。そんな風に意地が悪いから、王太子殿下や小公爵様に相手にもしてもらえないんじゃない?」
「な……!? なんて生意気なの……!」
女子生徒たちはみるみる顔色を変える。その内のリーダー格と思われる、紫色のウェーブがかかった髪の令嬢が言う。
「あなた、わたくしを誰だと思って? わたくしは、フローリア・リーズ。リーズ伯爵家の娘ですわ。そのような物言いは無礼ですわ。すぐに謝罪をしなさい!」
リーズ家と言えば、ドウェイン王国の辺境伯で、家柄は上流である。フローリアの言葉に、周りの令嬢たちはくすくすと笑いながら賛同した。レイシアは嘆息する。
(公爵家の令嬢の顔くらい、覚えておきなさいよ。……というより、私があまりにも影が薄かったのかしら……)
レイシアは懐から、アヴリーヌ公爵家の家紋が刺繍されたハンカチーフを取り出した。アヴリーヌ公爵家を示す百合と盾の紋章に、令嬢たちは青ざめる。いくら伯爵家の娘とはいえど、王家とも縁ある公爵家とはあまりにも格差がある。
「フローリア嬢と愉快なお仲間たちは上流ごっこが大好きなのね。でもね、地位を鼻にかけて、誰かを貶めるなんてみっともないわの。貴族としての誇りはないの?」
レイシアはもう一度、フローリアを睨みつけた。
「私の大切なお友達を傷つけたら、私が許さないから。次こんな真似をしたら、今度こそただじゃおかないわよ!」
(あれ……私何言って――)
女子生徒たちは、顔を真っ赤にした。……火を噴きそうなほどだ。そして、悔しそうにこちらを一瞥してから、転がるように逃げていった。
彼女たちがいなくなってようやく静かになったあと、レイシアは頭を抱える。
(あ、あれ? これのどこが穏便? これじゃ私、ヒーロー気取りのとんだでしゃばりじゃない。土下座でも土下寝でも賄賂でもなんでもしてお引き取りいただく手はずだったのに私ったら……)
だらだらと顔に汗を流し、天を仰ぐレイシア。先程まで散々貴族としての誇りを説いていたというのに、情けない有り様だ。
できるだけ目立たず、敵を作らず、高貴な身分を鼻にかけずひっそりこっそり生きてきたが、自分から目立ち、敵を作るような真似をしてしまづた。けれど、今更後悔してももう遅い。
「レイシア様……っ」
「!」
はっと我に返り、ナターシャを見る。彼女は両目から洪水のように涙を流している。彼女のことを泣かせるのは何度目のことかわからない。
「うっ……ひくっ……うう……っ。わた、しのために……ありがとうございます、レイシア様…………っ」
「んもう、泣かないの。私は当然のことをしただけ」
「私……レイシア様にはお礼のしようがありません……。ひとりぼっちの私に声をかけてくださって、優しいご友人を紹介していただいた上に、今日はフローリア様から庇ってくださいました。……作らなくていいはずの敵まで作って……」
(うっ……傷を抉らないでちょうだい……)
レイシアは頬をひきつらせる。しかし、そんなレイシアの思いを知らないナターシャが続ける。
「それなのに、なんの恩返しもできていなくて」
か細い声を絞り出すようにして呟いた彼女の頭を、レイシアがそっと撫でた。
「その気持ちだけで充分。困っている時はお互い様よ」
「で、でも……私ばっかり助けてもらっています」
「それでいいのよ。もしいつか、困っている人がいたら、あなたが誰かに助けられた分、手を差し伸べてあげなさい。きっと、世の中ってそういう風にできてるものだと思うわ。私に何かしてくれる必要なんてないの」
納得いかない様子で俯く彼女に、レイシアはこう続けた。
「ナターシャは私の大切な友達だもの。だから、守らせて」
「…………!」
ナターシャは瑠璃色の瞳を見開き、子どものように泣きながら抱きついた。涙でぐしゃぐしゃの彼女の顔をレイシアがハンカチーフで拭く。
「私……レイシア様のことが、大好きです」
「ふふ。ありがとう――私もよ。もう……鼻水を拭きなさい」
「ずみまぜん……」
レイシアは彼女の華奢な身体をそっと包んだ。ナターシャは縋るように頬をレイシアの胸に擦り寄せてくるのだった。




