〈6〉私は決して怪しい者ではございません （1）
「本日もユーリ様に差し入れをお持ちしましたわ！」
「…………」
レイシアは上機嫌で生徒会室のユーリの机の上に、ある本の山を置いた。忌々しそうに眉を寄せ、それらを見下ろすユーリ。
「……『片思いの諦め方』、『いつかは失恋の傷も過去になる』、『執着と愛情は紙一重』。……なんだいこの本は」
「ですから、ユーリ様への差し入れだと言っているでしょう」
レイシアはふんと鼻を鳴らす。
彼はタイトルを読み上げ、露骨に不信感を滲ませた。レイシアは生徒会室に足繁く通い、恋愛セラピー本や、自己啓発書を次々に彼に押し付けている。
片思いを拗らせた人に、周囲の人間ができることといえば、せいぜいこうして前に進むきっかけを与えるくらいだ。
ユーリは、大きなため息をついた。
「君、つい三日前も同じような本を五冊も持ってきたじゃないか。僕を恋愛指南のプロフェッショナルにする気かい？ さすがにもう読み疲れたよ」
「ちゃんと読んでくださるあたり意外と律儀なのね」
ユーリの目の前には、三日前にレイシアが押し付けた本が六冊積まれている。彼はその中から一冊を引き抜いて、こちらに差し出した。
「……この、『腹黒公子の淫らな寵愛』っていうのはなんだい？」
「そ、それは――!?」
レイシアは小説を奪い取り、だらだらと汗を流した。この本は男性同士の恋愛を描いているもので……濃厚な性描写がある。どうやら、密かな趣味の本が彼の差し入れに紛れてしまったようだ。
レイシアは本を背中に隠し、なけなしの平常心を掻き集めて笑顔を作ろう。すると、ユーリは意地悪に口の端を持ち上げげた。
「ふうん。君、そういうのが趣味なんだ？」
「別に、あなたには関係ないでしょ。ンンっ……それで？ 私が持ってきたセラピー本は参考になったのかしら」
「いや全く。僕の心には響かなかったよ」
「そう。……やっぱりあなたみたいな斜に構えていて偏屈で気取った人には、一般人向けの本ではだめなのね……」
レイシアが残念そうに肩を落とすと、彼はいっそういぶかしげな表情を浮かべた。
「つくづく生意気で無礼な人だ」
不満を漏らしつつも、レイシアが持ち込んだ本を受け取り机の下に片付ける彼。
二人がやり取りをしている横で、マティアスが興味深そうに言った。ちなみにマティアスは生徒会長をしており、ユーリは副会長を務めている。
「そなたたちは随分親しいのだな」
「冗談を言わないでください、殿下。僕はただ付きまとわれているだけですよ」
「ふ。そうか」
「…………なんです、その笑いは」
「いや、別に」
ユーリは不服そうに口を曲げた。
レイシアは、恋愛セラピー本を無事届け終わり、用も済んだので早々に部屋を出ようとした。しかし、生徒会室の窓の隙間から、人の声がして振り向く。誰かがグループになって一人を追い詰めている。内容は聞き取れないか、威圧的な話し声だった。
（ナターシャ……）
女子生徒たちに囲まれていたのはナターシャだった。彼女は肩を竦め怯えている。どう考えても、いじめの現場だ。
その様子にマティアスが気づき、眉間に皺を寄せて椅子から立ち上がった。扉の方へ向かう彼を呼び止める。
「お待ちください、殿下。……ここは私にお任せしていただけませんか？」
「……そなたに？」
「ええ。殿下が彼女を庇えば、あのご令嬢たちの神経を逆撫でするだけでしょう。女心は面倒なものです。ここは、同性の私の方が、穏便に事を収められるかと！」
マティアスはしばらく考えて頷いた。
「すまない。頼む」
ユーリはそれについて何も言わず、「好きにしたらいいんじゃない」という具合に口角を上げていた。お手並み拝見、といったところだろうか。
◇◇◇
校舎を出て、ナターシャを見かけた場所まで行くと、彼女は煉瓦造りの壁に追い込まれ、五人の女子生徒に囲まれていた。すぐ真隣に――生徒会室の窓。彼女たちの憧れの貴公子二人が中で聞き耳を立てているというのに、詰めが甘いというかなんというか。
ナターシャはひどく怯えている様子だった。
「あんた、図々しいのよ！ ちょっと可愛いからっていい気にならないでよね！」
「ユーリ様やマティアス様は、皆の憧れなの。それなのに、抜け駆けするなんてずるいわ。大した身分でもないくせに！」
「そうよそうよ。身の程を弁えなさい！」
レイシアは、いじめている彼女たちの言動に困惑した。
（こういうの、本当に現実にもあるんだ……）
よく、テレビドラマや少女漫画で見る、ヒロインがヒーローに気に入られ、他の女子から嫉妬されるというお決まり展開が目の前で起こっている。
彼女たちも、貴族としての礼儀を幼少から教えられてきたはずなのに、どうしてこう幼稚な真似をするのだろうか。しかし、モブとしては百点満点の行動だ。ここにマティアスが颯爽と登場したら、物語として完璧である。最高のベタである。
（でもここに……ヒーローは来ない）
そう。今この修羅場に割り込むのは、ただのモブ令嬢である。モブがモブを裁いても、物語としてはつまらない展開だ。
しかし、ここで麗しの王子が登場し、「俺の女に手を出すな」だとか「次同じことをしたら容赦しない」などとのたまった日には、彼女たちは怒り心頭で、顔から火を噴くかもしれない。モブなレイシアだからこそ、丸く収められることもあるはず。
レイシアは深呼吸して、ナターシャを庇うように令嬢たちの前に立ちはだかった。
「ちょーっと待ったーー！」
