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〈5〉小公爵様、取引しましょう (5)

 

 お茶会の翌日。

 気づけば、レイシアが前世の記憶を思い出してから、数週間が過ぎた。


 いつもの中庭では、日に照らされた花のみずみずしい香りが時折鼻腔をくすぐり、愛らしい笑顔を浮かべる美少女が目の前にいる。なんという多幸感だろう……!

 レイシアにとって、ナターシャとの昼食はルーティンになっていた。


「それで、お父様ったら頭に眼鏡を掛けたまま、何時間も眼鏡を探していて……」

「ふふ。かわいらしいお父様じゃない。でもそういうのってあるあるよね。私もよく、眼鏡かけたまま顔を洗ったり目薬差したりするわ」

「……それはちょっとよく分からないですけど。というか、レイシア様は裸眼ですよね?」

「――あ」

(つい前世の感覚で話してしまったわ)


 たまに、前世の記憶と今の記憶が混同することがある。レイシアは曖昧に笑ってはぐらかした。

 二人がたわいない会話をして楽しんでいると、後ろから中庭の砂利を踏み歩く足音と、艶やかな声が聞こえた。


「やあ、ナターシャ。楽しそうだね」


 振り返ると、二人の青年がこちらに歩いてきていた。

 一人は、プラチナブロンドの髪と同色の瞳をした、硬派で男らしい感じの青年。そしてもう一人は、どこか女性的で妖艶な美貌に、漆黒の髪と深碧色の目をした青年だ。


「まあ……ユリちゃんに、マティアス様……!」


 思わぬ来客に、ナターシャは無邪気に歓喜した。一方、レイシアは固唾を飲む。


(ついにお出ましね)


 レイシアは、その見た目の特徴から、黒髪の青年がユーリだとすぐに理解した。王立学園の制服をかっちりと着こなし、軽薄そうな笑みを浮かべていて、どこか、大人びた憂いと哀愁をまとっていて。

 そして、彼の頭の上に、爪楊枝で作ったような妙な旗が立っていた。レイシアはそれを見てぎょっとした。


(――っていうか、頭から死亡フラグが生えてるんですけど――!?)


 死亡フラグと書いてあるが、死亡フラグはこんな風に目に見えるものだっただろうか。死亡フラグは、この後に死ぬだろう人物の伏線が張られることであり、言動や行動で死がほのめかされる場合が多い。頭から旗が生えるなんて聞いたことがない。

 いやいや、もしかしたらレイシアが知らないだけで、これは新手のファッションという可能性もある。


 レイシアがぐるぐると思案を巡らせていると、ユーリはこちらをちらりと見てから言った。


「その子が、ナターシャがよく話してくれる友達?」

「うん、そうだよ。紹介するね! こちら、アヴリーヌ公爵家のご令嬢、レイシア様。えっと……それでこっちが、私の幼馴染のユリちゃんで、右の方は、マティアス・グリフィス王太子殿下です」


 ナターシャは手をかざしながら、彼らを順に紹介した。レイシアはそっと椅子から立ち上がり、社交的なお辞儀をする。


「お初にお目にかかります。王太子殿下に、ユーリ様。……私はレイシア・アヴリーヌと申しますわ」


 レイシアに対し、全く関心がなさそうなマティアスは、軽く会釈するとすぐにナターシャと談笑しはじめた。つい数秒前まで無表情だった彼だが、彼女と話している表情はずっと柔らかく見える。


 一方で、ユーリはこちらを値踏みするかのようにしげしげと眺めた。そして、ナターシャに悟られないよう、耳元で囁く。


「――君と二人きりで話がしたいな。放課後、生徒会室で待っているよ」

「…………」


 レイシアは、ごくんと喉を鳴らした。

 まるで誘惑するような甘い声だが、彼が自分を誘ってきた目的は理解している。ユーリは、ナターシャに関しては非常に過保護で、疑い深い性格である。レイシアが急にナターシャと仲良くし始めた理由を探るつもりなのだろう。


(それより……)


 気になるのは、頭に生えている旗の方だ。


「あの……その頭に生えていらっしゃる素敵な旗、お洒落か何かですか?」

「旗……? なんのことだい?」


 どうやら、ユーリはこの旗が見えていないらしい。これがもし本当に死亡フラグなら、抜きさえすればユーリの死を防げるかもしれない。


「ちょっと失礼」


 そう安易に考えたレイシアはおもむろに手を伸ばし、髪ごと掴んで引っ張ってみる。


「いっ――!?」


 しかし、掴めたのはユーリの髪だけだった。レイシアの手から、引っこ抜かれた黒く艶のある髪がひと束、ぱらぱらと地面に落ちる。ユーリは突然の痛みに顔をしかめたあと、自分が髪を抜かれたのだと気づいて唖然とした。そしてレイシアも、みるみる青ざめていく。


(ち、力加減間違えた……! まさかこんなに髪が抜けるなんて……ど、どどどどうしよう)


「い、今君、何を……」

「ゴ、ゴミが付いていたので……!」

「へ、へえ……ゴミ、ねえ。親切にどうも」


 ユーリは笑顔を浮かべているが、明らかに引きつっており、額に怒筋が浮かんでいる。

 そのままユーリはさっと体を離し、マティアスを連れて去っていった。しかし、こちらに背を向ける直前、笑顔でレイシアを一瞥した。


「それじゃ、生徒会室で君に会えるのを――待っているよ」


 その瞳の奥に鋭さが帯び、レイシアはひゅっと喉を鳴らす。


(か、完全に怒らせた…………!)



 ◇◇◇



「祓いたまえ清めたまえ守りたまえ祓いたまえ清めたまえ、祓いたまえ清めたまえ……」


 放課後になり、レイシアは生徒会室の重厚な扉の前で、うろうろしながら祝詞を唱えていた。


「ねえ、あの人何……?」

「目を合わせない方がいいわ。ちょっとおかしい人なのよ」


 通りかかる生徒たちが、こそこそとそんな話をふる。

 レイシアは白い目を向けられていることに全く気づかず、身上安全を一心不乱に神に祈願した。


 レイシアは大きく深呼吸をして、扉をノックをしようと手を伸ばした。

 コンコン。ノックをしたらユーリが扉を開いて出迎えてくれた。


「お、ああああの、ごきげんうりゅわしっ……」

「はは、そんなに固くならないで。取って食べたりしないから。さ、中にどうぞ」

「…………」


 優しい言葉をかけてきているものの、目は全然笑っていない。

 レイシアは、彼をいぶかしげに見つめた後、生徒会室の中に入った。


 そして。人払いがされた室内で、レイシアはナターシャを庇護する代わりに彼女への恋を諦めるように提案したのだった。


 小説『瑠璃色の妃』において、ナターシャの双子の妹、アリーシャ・エヴァンズがユーリを刺したその動機は――ナターシャに対する激しい嫉妬と劣等感だ。


 アリーシャは幼少の頃から病弱で、今も都市から離れた田舎の屋敷で療養生活を送っている。アリーシャは、ナターシャの健康な肉体も、明るく清らかな性格も、両親の近くで愛情を受けながら育ってきたその境遇も、何もかも妬ましく思っていた。


 そんなアリーシャは、半年後この王立学園に編入するのだが、ひと目でユーリに恋をする。しかしユーリは、アリーシャが羨んで仕方がない姉に執心していた。彼女はその事実に絶望し、卒業式典で事件は起こる。


 ナターシャは、国で最も高貴な王太子との婚約を式典後の夜会で発表し、幸せの絶頂を迎える。アリーシャは嫉妬のあまり気がおかしくなっていた。ナターシャの晴れ姿に憤り、あろうことかその怒りの矛先を姉を愛しているユーリに向けたのだ。


(もし……ユーリ様がナターシャを愛していなければ、悲劇が起こる可能性が少しは減るのかもしれない)


 もっと別の方法があるかもしれないが、レイシアにはこんな案しか思いつかなかった。なんでもいいから、小説のストーリーを変えたい。


「……ユーリ様は、ナターシャへの愛情をひた隠しにしたまま、この先もずっと彼女だけを想い焦がれていくおつもりですか? いつかは前を向いて、あなたの道を生きていかなければならないでしょう。公爵家の家長として家督を継いでいく責務がおありなのだから」

「余計なお世話だよ。これは僕自身の問題だ。それに、ナターシャへの恋を諦めたところで、僕は君を好きになることはないよ。はっきり言って、君には心底失望している」

「……あの、その言い方ではまるで、私があなたに振り向いてほしいがために失恋させようとしているみたいじゃない」


 ユーリは冷めた目で、「違わないだろ」と言った。

 いや、全然違うのだが。

 きっとこれまでユーリは、レイシアの想像を遥かに上回るほど女性たちからもてはやされてきたのだろう。さすがは、国一の婿候補などと謳われるだけある。


(とんだ自惚れね。勘違いしないでほしいわ)


 レイシアは小さく息を吐き、真摯な眼差しでユーリをまっすぐ見つめた。


「ただ、あなたに前を向いてほしいのよ。そうでないと……ユーリ様も……みんな、だめになってしまうから……」


 アリーシャに関われるのは今から半年後。それまでの間、できることといったら、小説の本来のストーリー展開から逸れるようにすることくらい。


 もし、ユーリがナターシャへの執着を手放していたら、アリーシャが姉への嫉妬心で乱心するのを止められるかもしれない。何がどう転ぶか全く予想もつかないが、何もしないでいるよりは余程マシだ。


「私……あなたや、あなたが大切に思っているナターシャにひどいことをするつもりはないわ。それだけは――信じて」


 レイシアの切々とした表情を見て、ユーリの美しい深碧の瞳の奥が微かに揺れた。


「取引っていうのは……冗談としても。今は、ナターシャの傍にいることを許してくれないかしら。彼女の信頼を裏切ることはしないと約束するわ」

「……僕が君を信頼するに値しないと判断したら、どんな手を使っても彼女から離れてもらうよ」

「構わないわ」

「…………」


 ユーリはレイシアのすぐ前まで歩み寄り、長くしなやかな指で彼女の顎をそっとすくう。そして、艶美な微笑みを浮かべた。


「いいよ。今回は君に騙されてあげる。僕を失望させないように、せいぜい頑張ってみるといい」

「あの」

「……何?」

「ご自慢の綺麗なお顔をひけらかしたいのかもしれませんが、鬱陶しいので離れてくれませんか」

「はは、面白くない奴。こうすると大概の女の子は喜ぶんだけどな」


 レイシアは両手で彼の体を引き離し、そそくさと生徒会室を後にした。彼女の後ろ姿を見ながら、ユーリはなぜか楽しそうに口の端を上げた。

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