〈41〉小公爵様、好きが溢れて止まりません(2)
食事を終えたレイシアとユーリは、ユーリの母の墓参りをした後、アルネスの街が一望できる丘の上に来ていた。
冬至祭で色彩豊かに飾られた街の向こうに見えるのは、緩やかに波打つ海。
「綺麗……! 雪が降ったらまた違う景色になりそうね」
「うん。でもきっと、寒くてかなわないよ」
「私は寒いのもわりと好き」
「……?」
「凍えるくらい寒い冬の日に、大切な誰かと寒いねなんて言い合いながら、かじかんだ手を擦って歩く時間に幸福を感じるの」
「そういうささやかなことに幸福を感じられるのは、君の心が豊かな証だ。……でも今なら、分かる気がする」
レイシアたちは、大きなトウヒの木の根元に腰を下ろした。レイシアはそっと、彼の肩に身を寄せた。レイシアの頭に、ユーリが頭を載せる。愛おしい重みを感じて、心が安らいでいく。
「……僕はずっと、孤独で満たされなかった。僕の前に君が現れて世界が一変したんだ」
「……」
「レイシアがひたむきに生きている姿が、いつも眩しかった。誰かと想い合うことがこんなに幸せなことだなんて僕はずっと知らなかったんだ。レイシア……君が好きだ。心から愛してる」
「私も愛しているわ」
愛してる――なんて口にするのはこそばゆいが、こんなロマンチックな冬至の夜の日くらいはいいだろう。
彼は、妾の子として公爵家に生まれた。レイシアは小説を読み、彼が家でどんな仕打ちを受けてきたか知っている。胸を痛めずにはいられないほど、不遇な日々だ。精神的苦痛を与えられるだけではなく、肉体に暴力を振るわれ傷や痣を作ることもしばしば。彼はよく耐え忍んできたと思う。
「前に、この世界は前世で読んだ小説の世界だって言ってたよね」
「ええ」
「なら、僕の境遇も知っているの?」
「……」
レイシアは頷く。
「少しだけ」
ユーリは幼いころ、義母に髪を鷲掴みにされ、酒瓶を投げつけられ、罵声を浴びせられていた。ユーリの心は義母の暴言と暴力に支配され、妾の子である自分が不当な扱いを受けるのは当然なのだと思い込むように刷り込まれた。
そんなときに出会ったナターシャが、彼の唯一の心の拠り所となったのだ。当時のユーリには、ナターシャだけが救いだった。
「私はあなたがどんな深い闇を抱えていたとしても、全て受け止めて一緒に抱えたいと思っているわ」
「例えばもし、僕が一人で眠れないとしたら?」
「毎日子守唄を聴かせてあげる」
ちなみに、レイシアは自他ともに認める音痴だ。違う意味で不眠になること間違いなしである。
「……ありがとう。レイシア。その……少し、目を閉じていてくれないかな?」
「……? こう?」
レイシアは彼に言われた通り、そっと目を閉じた。彼の手がレイシアの左手を取る。薬指に冷たい金属の感触がした。
「――いいよ、開けて」
「……――!」
左手の薬指に、きらきらと繊細な輝きを放つダイヤが嵌め込まれた指輪が付けられている。レイシアは手をかざし、角度を変えながら指輪を眺めた。
「レイシア」
艶のある呼びかけに隣を振り向くと、ユーリはいつになく真剣な眼差しでこちらを見つめていた。
「よければ、僕の奥さんになってくれないかな?」
「…………」
レイシアは瞳を潤ませながら、彼に抱きついた。
「もちろん、こんな私でよかったら、ユーリ様の奥さんに……してください」
彼の腕もレイシアの背に回され、二人はしばらく抱き合っていた。名残惜しげに寄せていた身体を離す。ふいに、ユーリのしなやかな手が伸びてきて、レイシアの頬に添えられる。親指の腹で頬を優しく撫でたあと、彼は薄い唇をレイシアの唇に隙間なく押し当てた。レイシアは瞼を閉じて、それを受け入れる。
粘膜とも肌とも違う温かな感触。くらくらと目眩がして、思考がおぼつかなくなる。長い口付けの後で、レイシアが尋ねる。
「……お父様とお母様は? 求婚に納得していただけたの?」
「父は放任主義だからすぐに。権力欲のない人で、今まで政略結婚を強られなかったのは幸いだった。……義母は長らく面会謝絶だったんだ。だから、彼女が住む離れに通ったよ。――毎日ね」
「それで、お母様は……?」
「一言、勝手にしろ……って。だから僕は勝手にさせてもらうことにした」
「そう……」
ユーリだって、義母に会うのは嫌だったはずだ。もしかしたら、凄く恐怖していたかもしれない。それでも、レイシアのために行動してくれたことが嬉しかった。
「私、あなたのことをきっと幸せにするわ」
ユーリの頭の上には、依然として死亡フラグなる物理的な旗が立っている。さりげなく手を伸ばしてみるが、見えるだけで触れることはできなかった。ユーリを救うと一念発起してから数ヶ月、本来の小説のストーリーとかなり展開を変えてきたのに、旗はなかなか折れてくれない。
(あと少ししか猶予はないけれど、きっと折れるときが来るって、信じるしかない)
死亡フラグが見えていることは、ユーリにとうとう打ち明けられなかった。本当にこの旗が死を予期するものなのなら、本人に伝えるのはあまりにも酷だ。レイシアにはこの旗のことを話す勇気はなかった。
するとユーリは、レイシアの宣言に困ったように笑った。
「そういうのは僕のセリフでしょ? でも、嬉しいよ。いつも幸せをもらってる。僕も君のことを大切にすると約束しよう」
レイシアはユーリと互いに目を細め合い、再び唇を重ねた――。




