〈4〉小公爵様、取引しましょう (4)
「レイシア様……! 今日もお昼、ご一緒してもよろしいですか……?」
鈴を転がすような愛らしい声でそう言い、駆け寄ってくる可憐な美少女――ナターシャ。ここ数日で、レイシアは彼女とすっかり仲良くなった。小説では人見知りだと書かれていたナターシャだが、彼女も好意を持って声をかけてくれるようになった。
「ええ、もちろ――」
――ぐうぅ。もちろん、と言い終わるより先に、レイシアのお腹が先に返事をした。レイシアとナターシャはしばらく見つめ合い、同時にふっと吹き出す。彼女は口元に手を添えながら言った。
「お腹、空きましたね。早く食べましょうか」
ナターシャは優しくて思いやりがある普通の女の子だ。けれど、学園内では『大した身分でもないくせに、皇太子と侯爵令息に取り入る図々しい女』などと噂されていて、生徒たちから距離を置かれている。
「ねえナターシャ。あなたに紹介したい人たちがいるのだけれど、良かったら会ってくれないかしら?」
「……私に紹介、ですか……?」
「ええ。私の友達なの。きっとあなたにも良くしてくれるはず」
「レイシア様のご友人でしたら、きっととても素晴らしい方々なのでしょうね。でも……私なんかが会ったら、皆さんの気分を悪くしてしまうかもしれません」
「大丈夫、そういう人たちではないわ。あなたの気が乗らないなら無理にとは言わないけれど」
「いえ……! ぜひ、お会いしたいです。楽しみにしています……!」
目をきらきらと輝かせた彼女を見て、レイシアは安堵した。
このままナターシャを孤立状態にさせておく訳にはいかない。レイシアとしては、自分以外にも友人ができたら心強いと考えていた。
ナターシャが他の生徒と仲良くしているところを見せれば、ナターシャが悪い人だという誤解も解けるのではないか。
◇◇◇
数日後のとある休日。
アヴリーヌ公爵邸で、お茶会が開かれた。その目的は、ナターシャを友人たちに紹介するため。彼女の学園内での名誉を挽回していくために、彼女を悪意から守ってやる友人は一人でも多い方がいいだろう。
白いレースのクロスが敷かれたテーブルの上には、所狭しと美味しそうな食べ物が並んでいる。
アプリコットジャムで艶出しされた苺のタルトに、口溶けなめらかなガトーショコラ、粉糖をまぶしたバスクチーズケーキ。それから、野菜たっぷりのキッシュと、サンドイッチ――。
三段のティースタンドには、お菓子と軽食が盛り付けられている。アヴリーヌ家のシェフが用意したアフタヌーンティーセットだ。
一同でテーブルを囲い、ナターシャを中心とした会話に花を咲かせる。
「ナターシャ様って、本当に綺麗な顔をしてるな! 人形みたいだ!」
「え、えっと……ありがとう、ございます……」
「食べちゃいたいくらいだ」
「た、食べ……?」
ナターシャの顔を食い入るように観察している彼女は、シュベット・ハリス。彼女は女性の中では珍しい、皇立学園の剣術学部に所属している、優秀な騎士の卵だ。気さくでざっくばらんな性格をしている。でも、少しだけ鬱陶しい。
「こらシュベット。あんた顔が近いのよ。あと怖い。ナターシャさんが困ってるじゃない。あんたにはパーソナルスペースってもんがないの?」
「わっごめん! ウチったらつい気が回んなくて……」
無遠慮にナターシャの顔を覗き込んでいたシュベットを引き剥がしてたしなめたのは、タイス・ブライスラーだ。侯爵家の令嬢で、姉御気質。人情に厚いが、レイシアよりも気が強く怒らせたら怖いタイプだ。
「ごめんなさいねナターシャさん。嫌だったらあんたもはっきり言っていいのよ?」
「い、いえ……っ。私、こういう賑やかな場に慣れていなくて緊張してしまって。でも、皆さんが親切にしてくださるので、とっても楽しいです……!」
ナターシャの花のような笑顔に、一同は和やかな気分になった。――しかし、メンバーの一人で、商会社の社長令嬢リリアナ・フィギスのひと言で場の空気が凍りつく。
「こんなにも愛らしくて素敵なお人柄なのですから、ユーリ様や皇太子殿下に慕われるのも納得ですね」
「…………」
ナターシャ・エヴァンズといえば、その二人の寵愛を受けていることで、令嬢たちから嫌われている。ナターシャ本人も気にしているはずで、そう易々と触れていい話題ではないことは確かだ。しかし、リリアナはいつもおっとりしてマイペース。そして少々空気が読めないところがある。
(悪気がないのは分かってるけど、リリアナ。それはタブーよ。ほら、ナターシャの顔がめちゃくちゃ引きつってるじゃない)
侯爵令嬢ポリーナ・エーメリーが、ひっそりと耳打ちする。ポリーナはレイシアの友人たちの中では最も気配り上手で、相手の感情の機微に聡い。
「リ、リリアナちゃんってば、その話をするのはちょっと無神経だよ」
ポリーナの苦言に、リリアナは慌てて弁解した。
「ご、ごめんなさい……! 悪気はなかったのですが、お気を悪くしてしまったようなら謝ります……っ」
一方、ナターシャは苦笑を浮かべながら首を横に振った。
「いいえ、どうかお気になさらないでください。私が学園の皆様に嫌われてることは自覚しているんです。……そのせいで、マティアス殿下にも、ユリちゃん――えっと、ユーリ様にも迷惑をかけてばかりで……」
ナターシャは誰かに謝るべきことなんてしていない。彼女が嫌われ者になっているのは、小説のストーリーの上で必要な過程だからだ。ナターシャの疎まれ方は、普通ではない。シビアな嫌がらせを受けることが物語では必要な要素であったとしても、彼女にはあまりに過酷な状況だろう。
レイシアは小さく息を吐いた。
「自分に恥じることをしていないなら胸を張って堂々としていなさい。学園にいる限りは、私が必ず守るわ。……シュベットにタイス、リリアナ、ポリーナ。あなたたちも、ナターシャのこと気にかけていてほしいの」
「承知した! いいよ、ウチらに任せな」
調子良く即答したシュベットに続き、他の三人も頷いた。ナターシャは感激し、また瞳を潤ませていた。