〈34〉わ、私のために争わないでください!(1)
アリーシャとのピクニックから数日。レイシアは、タイスとポリーナと共に学園の食堂で昼食を取っていた。
「ピクニックは楽しかった?」
「ええ。すごく」
「それはそれは羨ましいこと。今度はあたしたちのことも誘ってくださいな。もう、自由に遊べる時間も長くはないんだから」
タイスはそう言って、寂しげな表情を浮かべた。タイスに釣られるように、ポリーナもため息をつく。
「卒業したら、皆忙しくなっちゃうもんね。ナターシャちゃんなんて特に、王妃になったら気軽に会えなくなるよ」
「そうね……妃教育って物凄く大変だと聞くけど、ナターシャは大丈夫かしら」
「大丈夫だよ。彼女はおっとりしているけど、結構しっかりしてらっしゃるから」
シュベットは卒業後騎士団に所属が決まっており、タイスとポリーナは幼い頃からの婚約者と正式に婚姻を結ぶ。リリアナは、実家の会社を継ぐため現社長の父親の元で学ぶという。
「レイシア様はどうなさるのよ。ユーリ様から求婚されたんです?」
「いいえ」
「ええ!? ユーリ様ったら何をもたもたされてんのよ。レイシア様なら、家格にも問題はないでしょうに」
「声が大きい。周りに聞こえるわ」
ユーリも、レイシアとの将来についてなんの考えなし……ということはないだろうが、結婚というのは当人の気持ちだけでできる訳ではない。結婚は家同士の契約。特に、ユーリの生家ローズブレイド公爵家は事情が複雑であった。
いずれ爵位を継ぐため、父の仕事の補佐をしているらしいが、関係は希薄だった。また、義母にあたる夫人はユーリを毛嫌いしている。正妻である夫人と公爵の間に子どもは授からず、妾の子が後継となるのだ。夫人の気持ちも分からなくはない。
(ま、待って……。ユーリ様と結婚するということは、ローズブレイド夫妻が私の義家族になるってこと……!?)
小説でローズブレイド夫妻がかなり厄介な夫婦として描かれていたのを思い出し、レイシアはくらくらと目眩がして額を手で押えた。
ユーリの口から、結婚の話はおろか、家の話も聞かされたことはない。結婚はまだ遠い話だろう。
「結婚を焦るつもりはないし、結婚という形にこだわるつもりもない。――私、あの人と一緒に過ごせるだけでとっても幸せだから。気長に待つわ」
幸いなことに、レイシアの実家は、ローズブレイド公爵家に遜色ない公爵家なのが救いだ。
レイシアがタイスにそう打ち明けると、後ろのテーブルからくすくすと笑い声が聞こえた。
「ねぇ聞きました? やはり、小公爵様に本気にされていなかったのですよ」
「気長に待つなんて……健気ですわ。待っても無駄でしょうに。ふふ」
それは、明らかにレイシアに向けた嘲笑だった。どうやら、後ろの令嬢たちはレイシアたちの話を盗み聞きしていたようだ。レイシアは聞かなかったことにして黙々とフォークを動かした。こういう悪口は、気にしないのが一番だ。
「行くわよ、ポリーナ」
「うん」
すると、タイスとポリーナは目配せし合い、立ち上がった。
「ちょ、ちょっと二人とも……? 何するつもり……?」
二人はレイシアの制止を無視して、つかつかと後方のテーブル席に歩み――
――バンッ!!
タイスが思い切りテーブルを叩き、テーブルの上に置かれたカップが倒れ、白いクロスが紅茶で染まっていく。食堂内がシン……と一瞬にして静まり返る。タイスは眉間に皺を寄せて、威圧的に令嬢立ちを見下ろした。若い令嬢とは思えない貫禄がある。
「今の発言、取り消しなさいよ。今すぐレイシア様に謝罪しなさい!」
「私たちは、レイシア様への不敬だけは絶対に許さないから」
タイスは腕を組み、ポリーナは拳を固く握りしめながら令嬢たちを睨みつけている。このふたりがこんなに怒りをむき出しにするのを見るのは初めてのことだった。少しレイシアが侮辱されただけで、彼女たちは本気で怒っていた。
「ちょっと二人とも……落ち着いて? 私は大丈夫だから――」
「「レイシア様は黙ってて!」」
レイシアの言葉は怒り心頭の二人にぴしゃりと跳ね除けられる。
(あら、この令嬢。この前転んだところをユーリ様が助けた……)
レイシアの悪口を言っていた令嬢は三人。その内の一人は、以前ユーリが医務室まで運んだ茶髪の娘だった。そのときも彼女に嫌味を言われたのを覚えている。
その令嬢がいぶかしげに言う。
「まぁ。あなたたちこそなんですか? 私たちが無礼を口にした証拠でもあるのですか?」
「そうよそうよ。この方はニア・チェンス侯爵令嬢。家格の序列は、タイス様やポリーナ様のお家より上。無礼なのは、おかしな言いがかりを付けてきたあなたたちの方ではなくって?」
「……」
茶髪の令嬢は、ニア・チェンスというらしい。タイスやポリーナも侯爵家ではあるが、同じ爵位ではあっても細かな序列が存在する。例えば、公爵家の中でもローズブレイド家が別格であるように。
「お騒がせしてすみません。タイスにポリーナも、もう十分だから。食堂をもう出ましょう」
「で、でも……」
ポリーナは悔しそうに顔をしかめた。しかしレイシアは、大事な二人の名誉をこんなことで傷つけたくなかった。レイシアは責任者として悪口を言ってきた令嬢たちに対して頭を下げた。
しかし、大人の対応を取ったレイシアに反して、ニアは大人ではなかった。
「待ってくださいレイシア様。まだ、彼女たちに謝罪していただいてません」
「……は?」
(……なんですって?)
ニアの口ぶりに、さすがのレイシアも腹に据えかねた。
「そうよそうよ! 謝りなさい!」
愉快そうに底意地の悪い笑みを浮かべる令嬢たち。レイシアが声を上げようとした――そのとき。
「――この騒ぎは一体何事ですか」
食堂の外からやって来て、レイシアたちを庇うように立ちはだかったのは――ナターシャだった。
絹糸のように艷めく銀色の髪をなびかせた彼女は、堂々とした佇まいで令嬢たちを見据えている。そこには、かつてみんなから嫌われ、後ろ指を差され、肩を竦めていた面影はない。王妃候補としての威厳があった。
そして彼女は、両脇に筆頭公爵家の麗しの令息ユーリと、王太子マティアスを連れている。
(な、なんというか、画が強すぎるわ……)
レイシアは目を眇めた。
ナターシャは、令嬢たちを冷たく見つめている。整った顔に威圧が乗ると、迫力がある。
後ろに立つ青年二人も、あくまでナターシャに付き従っているという態度。――まるで、本物の魅惑の悪女が彼らを侍らせているようだった。
毅然とした様子で令嬢たちと対峙してはいるものの、小刻みに震えるナターシャの指を見て、レイシアは眉尻を下げた。
(ナターシャ……私を守ってくれようとしているのね)




