〈30〉綺麗な人
「マティアス様……お味はいかがですか?」
「とても美味だ。そなたが作ったものは、どんな一流のシェフもパティシエも舌を巻くだろう」
「そ、それは褒めすぎです……っ」
生徒会室の一角で、ナターシャが差し入れたお菓子をこの上なく満足気に頬張り、歯が浮くような愛の言葉を囁くマティアスと、満更でもなさそうなナターシャ。辺りに鬱陶しい花が飛んでいる錯覚さえ見える。完全に二人の世界に入っていた。
レイシアはそんな二人に、半眼を向けた。
(マティアス様、有能な王位継承者であらせられるのに、鼻の下なんか伸ばしちゃって……)
レイシアは沈黙していたが、ユーリは苦言を呈す。
「二人とも、生徒会室でいちゃつかないで。あと鬱陶しい花も飛ばさないで」
(ユーリ様にも見えていたのね……)
ユーリは虫でも追い払うようにパステルカラーの花々を手で払った。現在、生徒会室は後期メンバーで再構成された。マティアスが生徒会長、ユーリが副会長を務めていた代は終わったが、万年人手不足の生徒会室に、ふたりは変わらず手伝いに来ている。
そして、レイシアもまた、書類整理兼雑用係として、ユーリに駆り出されていた。
(……これは一般学部の申請書で……こっちは剣術学部……)
黙々と書類を各団体に分類していく。すると、何やらまとわりつくような視線を感じたので顔を上げると、ユーリがじっとこちらを眺めていた。
「……なんですか?」
「いや、集中している姿がかわいいなと思って」
「余計なことしてないで仕事に集中しなさい」
レイシアは無表情で立ち上がり言った。
「書類を分類し終えたから、届けてくるわ」
机に山積みになった書類を抱え、隣で作業をしていたユーリに背を向ける。
「その量は一人では無理だよ。手伝うよ」
「別に、平気よこのくらい」
威勢よく言ったものの、レイシアは扉の前で立ち止まった。積み重なった書類を両手で抱えているため、扉を開けられない。おまけに扉は引き戸なので、足で押して開けることもできない。
レイシアが立ち尽くしていると、後方からため息が聞こえ、扉が開かれた。紙の束を半分取り上げたユーリが言う。
「変に意地張ってないで素直に頼りな。ほら、行くよ」
「……ありがとう。ユーリ様」
レイシアは、他人を頼ることがあまり得意ではない。ユーリが指摘したように素直ではないのだ。基本的に問題は一人でなんとかしようとするし、悩みも大抵他人に相談しない。ユーリは、そんなレイシアの性格を理解してか、扱いにも慣れてきていた。
書類を各場所に届け終わり、外の道を歩く。道の脇で、植木が秋の色に染まっていた。
「もうすっかり秋ね」
「ああ。過ごしやすくて、秋が一番好きだ」
「私も好きです、秋。冬にかけて日々少しずつ寒くなっていく感じも。でもたまに、不安とか寂しさを感じることはない? 泣きそうな気分になる」
「君の場合年中無休で泣き虫だろ。それは多分、春愁秋思というやつだね。僕もよくあったけど、今年の秋は寂しさを感じない。どうしてだと思う?」
レイシアは立ち止まった。
「それは……私がいるから?」
「うん」
「…………」
手入れの行き届いた秋の校庭を背景に佇むユーリ。そんな彼が綺麗で、レイシアは目を細める。思わず、手を伸ばして彼の頬に添えた。しなやかでシミひとつない乳白色の肌を、指先で撫で、輪郭をなぞる。そしてユーリも、甘えるようにレイシアの手のひらに頬を擦り寄せた。その表情から、レイシアのことが愛おしいという感情が溢れ出している。そしてそれはきっと、レイシアも同じ。
(愛おしいってたぶん、こういうこと……)
秋色に色付く木々より、ずっと魅力的に映るのは、彼がレイシアにとって特別な存在だからだろうか。
「……好き」
「え……」
「あっ、いや……なんでもないわ」
口をついて出た言葉にはっとし、唇を抑える。レイシアはほのかに紅潮しながら、すっと目を逸らした。
ユーリは虚をつかれたような顔をした。
「はは、なんか照れるな。うん、僕も好きだよ」
ユーリは困ったように眉尻を下げる。それからふたりは、再び歩き始めた。




