【完結】小公爵様、死亡フラグが立っています！

〈29〉小公爵様、完全に不審者扱いされています

　秋空が高く澄み渡り、街が赤や黄色に彩られたころ。

　アリーシャ・エヴァンズが王立学園に入学して二週間が経った。アリーシャは頑張って学校に通い続けている。本来彼女は一週間で不登校になってしまうはずだったので、小説のストーリーとは違う展開である。

　レイシアの友人たちも、アリーシャにとって親しみやすいようで、時々笑顔を見せるようになった。友人たちもまた控えめなアリーシャをいじらしく思い、可愛がりながら手取り足取り支えている。

「遠目からレイシアとアリーシャの姿を見たけれど、彼女、随分君に心を許しているみたいだね。君の人心掌握術には時々感心するよ」

「人聞き悪い言い方しないで」

「だいたい君、人に好かれすぎじゃないか？ 数週間剣術学部に通っただけで、どうして剣術学部生たちから『女神』なんて呼ばれてる？」

　ファビウスの稽古に通う内に、他の生徒たちともすっかり仲良くなっていたレイシア。

「好かれてる訳じゃないわ。ファビウスにお礼するついでに食事をご馳走してるだけ。いいカモにされてるだけよ」

「それでも、親しみがなくちゃそんな呼び方はしないでしょ」

　ユーリは足を止めて、むっとした表情でレイシアの頬を摘んだ。

「浮気者」

「はぁ？」

「僕のことだけを見てればいいのに」

「女々しいわね。だいたい私は、私は……」

（ずっと、あなたのことしか見てないから）

　――とは口に出せるはずもなく。レイシアが物言いだけに彼を睨むと、ユーリは意地悪に口角を上げた。

「なるほど、レイシアは僕にベタ惚れなのか」

　図星を突かれたレイシアは、わずかに頬を染める。

「なっ……!?　そんなことひと言も言ってないでしょうが！　というか、この手を離しなさい！」

「だって、そういう顔してた」

「してない！」

　ユーリに両側の頬を引っ張られ、口元がだらしなく横に伸びた。ユーリはレイシアの柔らかい頬を触って弄んでいる。彼はこうしてレイシアのことをからかって楽しむきらいがある。彼の手を振り払おうとじたばた暴れていると、そのとき。

「レ、レイシア様を、離してください……っ！」

　絹糸のような銀髪をなびかせ、アリーシャがユーリをレイシアから引き剥がそうと腕で押した。

（……アリーシャ？）

「どなたかは存じ上げませんが、じょ、女性に乱暴はお止めください……！　彼女が嫌がっています……っ！　それ以上乱暴をしたら――つ、通報します！」

「「つうほう」」

　思わず、レイシアとユーリが復唱する。どうやらここまでのふたりのやり取りを、アリーシャは相当深刻に受け止めていたようだ。レイシアは別に本気で嫌がっていた訳ではないし、ユーリが犯罪者になるのは不本意だ。

　極度の人見知りの彼女が、声を震わせながら必死にレイシアを庇おうとしている。彼女の瑠璃色の目は、今にも涙が溢れてしまいそうだ。

　ユーリは、両手を掲げ、潔白の意を示す。

「ごめん、離したよ。悪意はないんだ」

　ユーリとレイシアにとっては、取るに足らないじゃれ合いだったが、ユーリを敵とみなしたアリーシャはむぅと頬を膨らませ、鬼の形相で彼を睨みつけている。

　彼女は人一倍気弱で臆病だ。普通に人と話すことさえためってしまう彼女。怖くて仕方がないはずなのに、自分を必死に奮い立たせて懸命に守ろうとしてくれた彼女の気持ちが嬉しく思えた。それだけアリーシャが、自分のことを想ってくれるようになったのだ。

「ありがとうアリーシャ。でも大丈夫、この方は悪い人ではないの。ちょっとふざけてただけで、乱暴をされていたのではないわ」

「そ、そうだったのですか……!?　ご、ごめんなさい。私、早とちりしてしまって……」

「この人は悪い人じゃないわ。性格が歪んでるだけなの」

「は、はぁ……」

　ユーリは不満げにレイシアを一瞥し、「それフォローしてないよね？」と零した。それから、アリーシャに対して人好きのする笑顔を浮かべて言った。

「初めまして、君がアリーシャ嬢だね」

「……ど、どうして私のことを……？」

「ユーリ・ローズブレイドと言ったら分かるかな」

「！」

　アリーシャは、彼の名を聞いて、元々大きな目を更に大きく見開いて、顔を青白くさせた。

「ロ、ローズブレイド小公爵……様……っ。も、申し訳ございません。まさか、あなたが小公爵様とは知らず、とんだご無礼を……っ」

「いいよいいよ。気にしないで」

「そうよアリーシャさん。元はと言えば誤解を招くようなことをしたユーリ様が悪いんだから」

　アリーシャは少し安堵した様子で、再度「申し訳ございません」と謝罪を重ねた。そして、細い腕に掛けていた紙袋を、レイシアに押し付けるようにして渡してきた。

「――これは？」

「あ、ああの、私から、いつもお世話になっているお礼です……っ。よかったら受け取ってくださいっ！　それでは私……失礼します……！」

　気はずかしそうに言ったアリーシャは、ユーリとレイシアに深々と一礼して去っていった。

「それは？」

「手作りクッキー……みたい」

　紙袋の中から、可愛らしくラッピングされた箱が出てきて、様々な形のクッキーが入っていた。クッキーは、ナッツが入ったものから、絞り出した変わった形のもの、それからドライフルーツが飾られたものなど、色んな種類があった。

　きっと作るのに手間がかかったはずだ。そして、ピンクのメッセージカードが添えられている。

『いつもありがとうございます』

　流麗な筆跡で、そう書かれていた。レイシアが彼女を想っていることが、少しは伝わっているということだろう。レイシアの目に涙が滲む。本当に自分は涙脆くて敵わない。

「良かったね、レイシア」

「ええ。凄く嬉しい。……――ところで」

　レイシアは一呼吸置いて、彼に言った。

「小説では、アリーシャさんはあなたに一目惚れする予定だったんだけれど」

「これが惚れられたように見える？」

「いえ全く。親を殺された仇を見るように睨んでたわよ」

「まぁ、また一つ、君は小説のストーリーを改変したってことだね。僕、不審者扱いされたのは生まれて初めてだよ」

　ユーリは苦笑した。

　アリーシャは至って普通の女の子だった。レイシアたちの愛情に触れて過ごすことで、少しずつ明るさを取り戻してきている。姉や家族とは反りが合わないのか、これまでの関係のせいか苦手意識が強いらしく、家族の話を振るとあからさまに苦い顔をする。

　アリーシャの家族問題に関しては、レイシアにはどうしてやることもできない。それ以外でも、病気のことなどで悩みが絶えないことだろう。彼女が闇堕ちせず、前を向いていけるかは最後は彼女次第だ。しかし、レイシアは彼女の善性を信じていた。

　小説では、アリーシャもまた不幸な未来を迎える。アリーシャに刺されたユーリは、「アリーシャの罪を決して咎めないで。こうなったのは僕に責任がある」――そう言い残してこの世を去った。実際、アリーシャは病的に変貌していた。

　当て馬の小公爵を殺した悪役令嬢には、厳しい罰が待ち受けていた。

　精神疾患が考慮されたため極刑は免れ、マティアスがこの事件が世に出ないよう裏で動いた。――しかし、精神を患ったアリーシャは両親の手に負えなくなり、療養施設に送られた後、生涯を終える。施設の環境は劣悪で、壮絶な最期だった。

　当時の読者からは、嫉妬深い悪役令嬢のアリーシャがざまぁされる展開が痛快だと評価されていたが、レイシアは納得できなかった。

（叶うのなら、ユーリ様だけじゃなくてアリーシャの心も救いたい。……だって、本当は優しい女の子だもの。物語という強制力が、彼女を不幸にしただけで……）

　レイシアは無意識に、拳を固く握りしめていた。