〈26〉アリーシャのままならない日々(2)
「アリーシャは今日、何をしていたのかね?」
夕食の時間。食卓での父の言葉に、アリーシャは憂鬱な気分になった。都市の屋敷に帰ってから数週間が経ったが、都市に来てもアリーシャの暮らしぶりは少しも変わっていない。両親が過剰に心配するため活動も制限されており、そもそも遊ぶような友達もいない。
「別に、いつもと変わりません。本を読んで、刺繍をしていました。それくらいです」
「そ、そうか。本を読むのは結構なことだよ」
アリーシャがつまらなそうに淡々と呟くと、父はきまり悪そうに眉尻を下げた。
「それで、ナターシャはどうだい? 楽しく過ごして来たか?」
「えっと……」
心優しいナターシャは、退屈に過ごしているアリーシャを差し置き、楽しかったことを語るのを躊躇った。そんな気遣いをされても、自分が余計に惨めになるだけだ。
「お姉様。私に遠慮せずお話してください」
ナターシャは遠慮がちに頷いた。
「楽しかったよ。お友だちと学校で授業を受けて、帰りにカフェでスイーツを食べたの」
「いいね。友人は大切にしなさい」
「う、うん。……お父様」
ナターシャはこちらの顔色を伺うように一瞥した。それから、また控えめに言う。
「あのね、アリーシャちゃん。……明後日って空いてるかな?」
「予定は特にありませんが、それがどうかなさいましたか」
「その……アリーシャちゃんに紹介したい人がいるの」
「紹介? 私にですか?」
「うん! レイシア・アヴリーヌ公女様だよ。アリーシャちゃんに一番最初に会わせたい私の大好きなお友達なの!」
レイシア・アヴリーヌの名に、アリーシャはフォークとナイフを動かす手を止めた。
彼女は、ナターシャの手紙にも頻出する人物。公爵家の令嬢という高貴な身分にもかかわらず、気さくで優しい素晴らしい友人だと、ナターシャがいつも大絶賛していた。
そして――彼女こそ、過保護な父と母を説得して、田舎の生活からアリーシャを解放してくれた恩人だった。
「レイシア様はね、いつもアリーシャちゃんに会いたいっておっしゃってるんだよ。あ、でもね、アリーシャちゃんが気乗りしないなら無理はしないでって言ってたんだけど……どうする?」
「……私なんかでは、レイシア様をご不快にさせてしまうかもしれません」
「ふふ、彼女に限ってありえないよ。大丈夫。きっとアリーシャちゃんに良くしてくださるから」
本当は、親切にしてくれたレイシアに直接お礼がしたかった。この機会を逃したら、二度と会うことはできないかもしれない。
いつもはほとんど自己主張しないアリーシャだが、なけなしの勇気を振り絞り、震える喉を鼓舞して言う。
「お、お会いしたいです……! 私……っレイシア様に、会ってみたいです……!」
◇◇◇
アリーシャは、そわそわした心持ちで、レイシア訪問の当日を迎えた。この一週間、レイシアに会う日をまだかまだかと指折り数え、昨夜は緊張して眠れなかった。
屋敷の者たちは、公爵家の令嬢を迎えるということで、忙しなく歓迎の準備をしていた。
「公女様。アリーシャお嬢様のお友だちになってくださるといいですね」
「お友だちだなんて……恐れ多くて……」
「ふふ、公女様のことは、ナターシャお嬢様から耳にタコができるほど伺っておりますが、とっても素敵な方だそうですよ。私も、以前お屋敷にいらしたときにお見かけしましたが、使用人たちにも親しくしてくださる気のいい方でした」
人当たりがよく気さくな令嬢。まるで自分とは正反対だ。そんな素敵な令嬢ならば、尚更自分とは友人になってくれるはずがないだろう。
(嫌われてしまったら、どうしましょう……)
友人付き合いなどしたことのないアリーシャ。メイドの言葉に不安を煽られ、スカートをぎゅうと握った。
アリーシャはレイシアの訪問に備え、念入りに着飾っている。本邸の使用人たちは、皆親切だった。「一人で支度してください」などと横柄なことを言う者はいない。
アリーシャは着替えてから、姿見の前でくるりと身を動かした。
フリルの付いた華やかな薄桃色のドレスに、美しく編み込まれた長い髪。小ぶりの宝石が連なるネックレスもドレスによく合っている。公女を出迎えるのだ。それなりの装いをするのが礼儀だろう。
(緊張しすぎて胸が苦しいです。……大丈夫でしょうか)
アリーシャは、ナターシャと共に応接室でレイシアを待った。緊張のあまり口から昼に食べたものや心臓が飛び出しそうになっては手で唇を抑える、を繰り返した。ちょうど予定の時間通りに到着した彼女が応接室に案内され、部屋の中に現れた。
(この方が……レイシア・アヴリーヌ公女)




