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〈19〉大切な人を守りたいので、物理的に強くなろうと思います(2)

 

「だから、私に体術を教えてほしいの」

「は……? 貴族のお嬢様が、体術……?」

「ええ。具体的には、ナイフを持った人に襲われたときの護身術をね」

「やけにピンポイントだな」


 急に体術を学ぼうと思い立ったのは勿論、ナターシャの妹、アリーシャがユーリに襲いかかった場合の対抗策だ。備えあれば憂いなし、である。


 ファビウスはしばらく黙した後、ぶっと吹き出して笑った。


「あははっ、レイシア嬢は面白いな。……いいぜ、時間があるときに稽古をつけてやるよ」

「本当? 嬉しいわ! あ、勿論講習費はお支払いするわ」

「対価を受け取ったら礼の意味なくなっちまうだろ。あー待った、いや、やっぱお言葉に甘えて、稽古一回につき学食をたらふく奢ってもらうってのはどうだ? オレ、四人前は食うけど」

「ふふ、いいわよ」

「よしきた! 交渉成立だな! さすがは公爵令嬢、気前いいぜ。これからよろしく頼むよ、レイシア嬢」

「こちらこそお世話になるわ、ファビウス様」

「敬称はいい」

「そう? じゃあ、ファビウスで」


 とんとん拍子で決まった稽古の話。横で聞いていたユーリは不機嫌そうに顔をしかめて、レイシアの体を引き寄せた。


「もう話は済んだんでしょ。ほらレイシア、行くよ」

「ちょっ何、ユーリ様、引っ張らないで……っ」


 ユーリは抵抗するレイシアを無視して、手を引いて歩き始めた。ファビウスはそんなユーリに対して、へぇ、と興味深そうに呟いた。


「あ、あの、ユーリ様? いい加減手を離してくださる?」


 しばらく彼に手を引かれ廊下を歩き、レイシアは不満を漏らす。


「…………」


 ユーリはレイシアの手を離し、苦言を呈した。


「君は少し危機感が足りていないんじゃない? 剣術大会のときもそうだけど、無警戒に男に近づいて、何かあってからでは遅いだろ」

「でも、ファビウスは別にそういう感じじゃなかったでしょう? ユーリ様、何をそんなに怒って――」

「――そういうところだよ」


 ユーリはじりじりとこちらに詰め寄ってきた。いつの間にか壁に追い詰められ、壁に背中をつけていた。レイシアは彼の冷たい表情に息を飲む。


 ユーリは、レイシアの細い腕を壁に拘束するように押さえつけ、こちらを見下ろしている。深碧色の瞳は艶美で、目をそらすことができない。


(心臓の音、うるさい……)


 心臓が言うことを聞いてくれなくなり、鼓動が加速していく。


「ほら、こんな風に簡単に押さえつけられて。こうなった後に何をされるか、君にも分かるだろ?」

「……分から、ないわ」

「強情だね」


 ユーリは、感情の読み取れない表情を浮かべ、そっと顔を近づけてきた。

 いつもなら、彼の体を押し離して冗談ぽく受け流していただろう。けれど、彼の囁きに胸の奥が痺れ、抵抗する意思が弱くなっていく。


 口付けされるのだと思い、ぎゅっと目を瞑ったとき――。


「ばか。もっとちゃんと抵抗しなよ」


 ユーリは、レイシアの額をつんと指で弾いた。


「あいたっ」


 鋭くて冷たかった眼差しは和らぎ、いつもの軽薄な笑みを湛えている。

 涼し気な様子で去っていった彼の後ろ姿を呆然と眺め、レイシアはその場にへたり込んだ。


 心臓が波打って、顔が熱くなる。レイシアは、ユーリのからかいにまたしても翻弄されて、熱くなった頬に手を添えた。


(……私……何を期待して……)



 ◇◇◇



「いいかレイシア嬢。刃物を持った奴に出くわしたら、まず第一に逃げる、次に逃げる、その次に逃げる、だ。この基本をよく覚えとくように!」


 講義終わりのとある午後、剣術学部の修練場で、レイシアはファビウスに稽古をつけてもらっていた。


「逃げる以外に選択肢はないのね?」

「ああ。どんなに鍛えてる奴でも、素手で武器を持った相手に対抗するのは至難の業だ。……いや、ほぼほぼ勝てないと言ってもいい」

「…………」


 レイシアは固唾を飲んだ。原作でのユーリは、乱心したアリーシャ相手に刺されて命を落とした。防刃チョッキは仕込むとして、対抗するための手段は多い方がいいだろう。


「試しに、オレがアンタに襲いかかる。逃げるなりなんなりして、対処してみろ」


 そう言ってファビウスは、懐からハンカチを取り出し、縦に丸めて筒の形にした。


「このハンカチをナイフに見立てるぞ。刃先がアンタに触れたらだめだ」

「わ、分かったわ」

「よし。始めるぞ」


 レイシアは両手の拳をぎゅっと握り締める。


 ファビウスはレイシアから数歩離れ、筒状のハンカチを刃物を握るように構えた。そして彼は真剣な目付きで、じりじりと距離を詰めてきた。


 ……もし、目の前にいるのがアリーシャだったとして、隣にはユーリがいたら。


(だめだ、私……)


 レイシアは逃げもせず、襲いかかってくるファビウスのハンカチが腹部に押し当てられるのを真っ向から受け入れた。


「お、おい、どうして抵抗しないんだよ」

「…………」


 実際にそのような状況に立たされたとしたら、抵抗して自らの身を守るより、ユーリを庇うことを優先してしまう気がした。


(いつの間にか私……ユーリ様のことが、自分の身に代えても守りたいと思うほど大切な存在になっていたのね……)


 レイシアは、これまで自覚していなかった彼への気持ちの大きさに、戸惑いを覚えた。


「まーいい。とりあえず、刃物なんかを持った人間に遭遇したら、まずは逃げる。それができねぇなら、周囲に武器になりそうなものを探せ。鉄製の棒なんかがあるといいが、ないなら花瓶や本、椅子……なんだっていいから手に取るんだ。それも無理なら、今から教える護身術で対抗する」


 レイシアはファビウスの言葉を一言一句逃さないように意識を集中させ、相槌を打った。かくして、レイシアとファビウスの体術稽古が始まったのである。

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