〈17〉縮まる二人の距離
レイシアは、解放廊下の手すりに手を乗せて、ぼんやりと遠くを眺めていた。草が揺れる音、噴水の水が流れる音が鼓膜を揺らす。彼女のダークブロンドのたおやかな髪がなびく様子は、艶めかしく見えた。
「お待たせ」
「……ユーリ様」
ユーリはレイシアの隣に並んだ。
「これでようやく、過去を精算できた気がするよ」
「…………」
「レイシア?」
「ごめん……なさい」
彼女から返ってきたのは、謝罪の言葉だった。
「どうして謝る?」
「一途に誰かを思い続けることは悪いことではないわ。なのに私は、ナターシャを諦めて前に進むように押し付けてしまった。……あなたの心を尊重する方法が、もっと他にあったかもしれないのに」
レイシアはいつだって、心からユーリのことを考えてくれている。彼女が自分のことで思い悩んでいたのだと思うと、愛おしさに似た気持ちが沸いた。
「いいや。……これで良かったんだ」
ナターシャへの叶わぬ恋心で苦しみ続けてきたが、これでふっと心が軽くなった。レイシアのおかげだ。
彼女の悩ましげな横顔が綺麗で、思わず触れたくなる。しかし、伸ばしかけた手を戻して、平静を装いながら言う。
「ほら、レイシア。僕のことを慰めてくれるつもりじゃなかったのかい? こう見えて、かなり傷ついてるんだけど」
「そういえば、そんなことも言ったわね」
レイシアはユーリの要望を受けて、顎に手を当てながらうーんと思案した。
「そうだわ。少し頭を下げていただける?」
「……こうかな?」
言われた通り身をかがめると、彼女の細くしなやかな手が伸びてくる。レイシアはそのまま、子どもをあやすようにユーリの頭を撫でた。彼女の手つきが優しくて、ふいに胸がきゅうと甘やかに締め付けられる。
「よしよーし。頑張ったわね。偉いわ」
「ふ。これでは僕、子どもみたいだね」
「私が昔飼っていた犬は、こうすると喜んだものよ」
まさかの犬扱いである。レイシアの手の温もりを充分堪能した後で、ユーリはその手を取って自分の指を絡ませた。
「……何、この手は」
レイシアは、繋がれた手を見ながらいぶかしげに言った。彼女はいつもこうだ。ユーリが少女心を揺さぶるようなことをしても、全く動じない。ユーリは、自分が異性として見られていないことが無性に悔しくなった。一体何をしたら、彼女の白い頬が赤く染まるのだろうか。
「――レイシア。その格好、よく似合っている。今日の君はあんまり綺麗で……見蕩れてしまうな」
「お世辞がお上手ね。誰にでも言ってるんでしょ」
「はは、本心なんだけどな」
淡々とした返しに、ユーリはまた苦笑いを浮かべた。
(女性を褒めたのは、君が初めてだよ)
ユーリは、今の実力では彼女を翻弄することはできないのだと観念して、素直な想いを告げた。
「最近気づいたんだけど……僕、君といるときが一番楽しいみたいなんだ。レイシアと一緒にいると、自然体でいられて……なんだか安心できる。こういうのは――初めてだよ」
「…………!」
すると、彼女は琥珀色の瞳を大きく見開いて固まってしまった。
「……レイ、シア……?」
そして、その瞳から涙が溢れ出した。
「急に泣いたりしてごめんなさい。なんだか、感激しちゃって」
涙を拭いながら、嬉しそうに目を細めたレイシアに息を呑んだ。心臓が音を立て、脈が早くなっていく。
「私ね、ユーリ様には、いつも幸せでいてほしいって思うの。これまで辛いことが沢山あったのでしょうけど、辛かった分誰よりも楽しく幸せにって……。本当にただ、それだけを願ってるの」
ユーリは小さく息を吐いた。
(ああ。……これはもう完敗だ。こんなにもひたむきに想ってくれて、心が動かないはずないだろ? レイシア)
ユーリは、自分の心に芽生えだした感情にやっと自覚した。高ぶる胸を手で押さえる。
(好きだよ、レイシア。君も僕と同じ気持ちだって……期待してもいいかな?)
そして、レイシアの自分への想いも、ただの友人を思う友愛の範疇を越えているような気がした。そう感じてしまうのは、自惚れだろうか。




