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〈12〉情が移ってしまったようです

 

 青年たちを前に強気に振舞っていたものの、完全にから威張りだった。本当はとても怖くて内 足はすくんでいた。ユーリが来てくれて安堵したのか、緊張から解かれた体は脱力しきっている。


 ユーリはその場にしゃがみ、困ったように眉を寄せた。


「君のお転婆には驚かされるな。まさか、剣術学部生に喧嘩を売っていたなんて言わないよね?」

「……」

「冗談。何があったんだ?」

「実は……」


 レイシアが事情を話すと、先程の男子生徒たちへの怒りはもちろんあるようだが、レイシアに対しても苦言を呈した。


「レイシアはどうしてそう無鉄砲なんだ? もっと危機感を持って行動しなよ」

「……ごめんなさい」


 レイシアは彼の叱責に肩を竦めた。そのとき、先ほど青年に強く握られた右手首がずきんと痛み、顔をしかめる。


「腕、痛むの? さっき君、『暴行罪』なんて言っていたけど」


 レイシアは赤く内出血した右手首を押さえた。またユーリに叱られてしまう気がして、背中に隠そうとすると、強引に手を引かれ、袖口のボタンが外された。


「……これは……」


 力のある青年に掴まれた手首は、圧迫のせいで痣になっている。別に大した怪我ではないので、心配しなくていいと伝えるが、ユーリは首を横に振った。


「医務室へ行こう。冷やして湿布を貼ってもらった方がいい」

「別に……いいわよ。このくらい舐めれば治るわ」


 ユーリはレイシアの額をつんと指で押す。


「馬鹿。舐めたら治るのは傷だろう? ちゃんと診てもらおう」

「で、でも……さっきの人たちのこと、先生に報告しなくちゃ。顔を忘れてしまう前に」

「僕も覚えてるから大丈夫。後で一緒に報告しにいってあげるから」


 ユーリの声は優しかった。レイシアは、先程青年から取り返したペンダントを胸のポケットにしまう。すると、足元に革製のカードケースが落ちていた。


(学生証……? ファビウス・バウジャン……。剣術学部の生徒みたい)


 レイシアは落し物も一緒にポケットにしまった。ユーリがこちらに手を差し伸べて言う。


「ほら、行くよ」

「…………」


 ユーリに体を起こしてもらい、なぜかそのまま手を繋いだまま、円形闘技場から本校舎の方へ歩いていく。会話はないが、彼はこちらに歩調を合わせてゆっくり歩いてくれた。


(ユーリ様の手、大きくて温かい)


 彼の指は、長くて綺麗な形をしていた。けれど、筋くれだっているところは彼が男性であることを感じさせる。まさか、三ヶ月前の自分は、かの貴公子と手を繋いで歩く日が来ようとは夢にも思わなかっただろう。


(……もう、三ヶ月も経ってしまったのね)


 これから死ぬと分かっている人を見殺しにできない、という良心から全ては始まった。

 ただ同情を寄せているだけの相手だったのに、ナターシャにも、ユーリにも、すっかり情が移ってしまった。


 ――失いたくない。


 近づけば近づくほど、この人が消えてしまう未来が怖くなる。触れている肌は暖かくて、今この瞬間は確かに生きているのに、あと九ヶ月でこの温もりは、命の灯火と共に消えてしまう。


「…………っ」


 レイシアは立ち止まった。


「レイシア、どうして泣いて――」


 彼女の頬に涙が伝っているのを見て、彼は拍子抜けする。


「ユーリ様……どうか、どうかいつまでも元気で、笑っていて……ください……っ」


 レイシアの色素の薄い琥珀色の瞳から、とめどなく涙が流れていく。ユーリは戸惑ったように言った。


「泣かないでくれ。君に泣かれると……なぜか胸が張り裂けそうになる」


 ユーリは懐からハンカチを取り出して、優しい手つきでレイシアの涙を拭った。しかし、拭っても拭っても、彼女の瞳からは雫が溢れていく。レイシアがすすり泣いていると、しばらく間を置いてからユーリが言った。


「――するよ。告白」

「え……?」

「僕が前を向かないと、だめになってしまうんだろ?」


 告白したところで、彼の恋が実ることはない。もし特別な愛情を打ち明けたら、ナターシャとこれまでのような関係でいられるかも分からない。


「どうして……? ユーリ様は、ナターシャとこれまでのようにいられなくなることを何より恐れていらっしゃるでしょう」

「もしそうだったとして……。ずっとこのままではいられないだろ。僕が彼女に執着し続けることは、彼女にとっても負担になる」


 ユーリはレイシアの濡れた頬を撫でて微笑んだ。


「……それに、君は振られて格好つかない僕でも、愛想尽かさずに笑っていてくれる気がして」

「……ええ。いくらでも慰めて差し上げるわ。――だから、思う存分、木っ端微塵に砕け散ってきていいわよ!」

「言い方に微塵の配慮もないのはわざとか?」


 レイシアは、ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、精一杯の笑顔を繕った。


「僕が前に進めば、君の心配事は全部なくなる?」


 ユーリが前に進んだところで、殺されないという確証はない。けれどレイシアは、嘘の笑顔を繕ってこくんと頷く。

 ユーリが頬に添えている手に、自分の手を重ね、ぎゅっと握った。


「物事には潮時があると……思う。辛いと思うけれど、進んだ先にまた別の素敵な縁があるわ」


 来る日のために、ナターシャの妹の悪意からユーリを遠ざけておかなければならない。

 ナターシャの妹、アリーシャの心が壊れていくことをどう変えられるか分からない今。ユーリを救うために、ナターシャへの深すぎる愛情のせいでアリーシャの嫉妬心を煽ることを防ぎたい。


 ――レイシアの頭で思いつくのは、これくらいだ。


 ユーリはそのまま顔を近づけて、甘美に囁いた。


「――レイシアがその相手なのかな?」

「…………!」


 囁きとともに吐息が耳たぶを掠めて、のぼせ上がるように顔が熱くなる。

 彼が言っているのは、彼にとっての新しい素敵な縁――のことだろうか。レイシアは大きく目を見開いて硬直した。


(わ、私とユーリ様が……?)


 ユーリはレイシアの反応を見て愉快そうにくすりと笑い、背を向けて歩き始めた。


 意識をしたらなんだか急に恥ずかしくなたって、レイシアの胸は早鐘を打ち始めた。勝手にどきどきと音を立てて言うことを聞いてくれない心臓を手で押さえ、しばらく立ち尽くすのだった――。


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