命の傷口
彼女は僕の方に近づいたよ。
ほんと、初めて会ったばかりだっていうのに、恐ろしいくらい距離をつめて僕に近づいたんだ。
その時、気が付いたんだよね。あ、この子すごい美人だ。って、
すごくドキドキしたよ。呼吸が早くなっていたせいなのかもしれないけど、病院の消毒液の匂とか、薬っぽい匂いとかそういう匂いが、その時はよく感じとれた。
いや、ごめん。今はそんな話はどうでもいいんだ。実のところ彼女の容姿が良かろうが悪かろうが、どうでもいいんだ。
これから僕が、彼女に見せられたものからすると、ぜんぜん関係ない話だね。
そうそう彼女、僕に近寄ってから、手首の包帯を取ったんだ。
手に怪我でもしたのか?
って最初は思ったんだけどさ、彼女のその傷を見たときハッとしたんだ。
こんな僕でも、それは知っていた。
彼女の傷口は、リストカットの跡だったんだ。
話には聞いたことがあったけど、まさか実物を見ることになるなんて。
僕はそう思ったんだけどさ、でも決めつけるのは良くないよね。
彼女が本当に自分自身で、手首を切ったのか、なんて分からない。
もしかするとさ、イジメられてやられた傷かもしれないじゃないか。
だから僕は聞いたんだ。
「それ、君が自分でやったの? それとも誰かにやられたの?」
って。僕は聞いたんだ。それでもし、誰かにやられたんだとしたら、僕の怒りはきっと収まらなかったに違いないさ。
でも彼女の答えは、案の定だったんだ。僕が予想した通りだった。
「そうだよ。これ、私がやったの」
しばらく僕たちは黙っていたね。だってさ、何て声を掛けたらいいか分からないじゃないか。
相変わらず叫ぶ患者はいるしさ、痰を取るチューブの音は聞こえるしさ、そして西日はオレンジ色だ。
でも目の前の女の子は可愛かった。
まるでさ、まるで、この施設の中で僕たちだけが違う世界にいるみたいな気がしたんだよ!
そしたら、女の子のほうから、話しかけてくれたんだ。
「あのね、あのね。私ね。保険の授業で習ったの。これをしないと私、死んじゃうんだって」