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日出ずる国の物語 - 神話編 -  作者: 羊の口龍の耳
第1章 イザナギとイザナミ
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第2話 「黄泉の国」

 誘波いざなみが死んでからどれくらい経ったのだろう。

 ふらふらと立ち上がった誘凪いざなぎは、誘波いざなみ亡骸なきがら出雲いずもの国と隣国の境にある比婆山ひばやまに埋葬して墓を造った。


「会いたい・・・、もう一度、誘波いざなみに会いたい・・・」

 誘凪いざなぎは、こぼれ落ちる涙をぬぐいもせず、ただ立ち尽くした。


 しばらく呆然ぼうぜんとしていた誘凪いざなぎは、ある考えを思い浮かべた。

「そうだ、黄泉よみの国へ行こう」


 どうして今まで思いつかなかったのだろう。

 これから黄泉よみの国へ行って、誘波いざなみを連れて帰ればいいじゃないか。


 しかし、死者が黄泉よみの国の食べ物を口にしてしまったら、もうこの世界には戻れないという話を聞いたことがある。

 

(急がなければ・・・)

 誘凪いざなぎはすぐに思いが至らなかったことを悔やんだが、いまさら言っても仕方がない。

 思い立ったら吉日とばかりに、黄泉よみの国行きの決意を固めた。


 黄泉よみの国は、出雲いずもの国のはずれにある黄泉比良坂よもつひらさかを下った奥深い場所にあると言われている死者の国だ。


 誘凪いざなぎは、黄泉比良坂よもつひらさかへと向かった。


 長く曲がりくねった坂を下りると、巨大な岩山の門がそびえ立ち、道をさえぎっていた。

 ここが黄泉よみの国の入口のようだが、扉が固く閉じていたので中に入ることができなかった。


誘波いざなみ誘波いざなみ・・・わたしだ、誘凪いざなぎだよ・・・迎えに来たよ!」

 誘凪いざなぎは、扉の向こう側に聞こえるように大声で呼びかけた。


 しばらくしても、何の反応もなかった。


誘波いざなみ、お願いだ、ここを開けてくれ!」

 誘凪いざなぎは、扉を叩きながら再び叫んだ。


 何度も繰り返して叫ぶと、ようやく扉の向こう側から懐かしい声が聞こえてきた。

誘凪いざなぎ? 誘凪いざなぎなの?」

 間違いない。それは、確かに愛しい誘波いざなみの声だった。


「どうしてここへ?」

 誘波いざなみに尋ねられて、誘凪いざなぎは答えた。

あなたを迎えに来たんだよ。まだ、国づくりは終わっていないじゃないか。一緒に帰ろう」


 しばらく沈黙が続いた後、誘波いざなみ嗚咽おえつが聞こえてきた。

「いまさら遅いわ・・・。わたしは、すでに黄泉よみの国の食べ物を口にしてしまいました・・・。もう、そちらの世界には戻れません・・・。なぜ、もっと早く迎えに来てくださらなかったのですか?」

 誘波いざなみの切なく、哀しげな声を聞いて、誘凪いざなぎの心は締め付けられるように痛んだ。


「すまない、誘波いざなみ・・・。もっと早く迎えに来ればよかったのに・・・。でも、わたしはまだあきらめられない。誘波いざなみを愛してるんだ!」

 誘凪いざなぎは、なおも食い下がった。


「わたしだって、帰れるものなら帰りたい・・・」

 誘波いざなみは困惑していたが、意を決したように言葉を続けた。

「わかりました。あなたがせっかく迎えに来てくださったのですから、わたしをそちらの世界に帰してもらえるよう黄泉よみの国の神々にお願いしてみましょう」

 誘凪いざなぎは、望みをつなぐことができて少しほっとした。


「でも、わたしが黄泉よみの国の神々と相談している間、決して中をのぞいてはなりません。絶対に、わたしの姿を見ないと約束してください」

 誘波いざなみの強い口調に驚きながらも、誘凪いざなぎは約束を守ると誓った。


・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・


(遅い・・・)

 何時間経っているかもわからないまま、誘凪いざなぎは待ち続けた。


・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・


(遅すぎる・・・)

 いつまで待てばよいのかわからないまま、ただ待ち続けるのは辛かった。

 誘凪いざなぎは、しだいにイライラし始めた。


・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・


(何かあったのだろうか?)

 誘凪いざなぎの心の中に不安な気持ちがき上がってきた。


・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・


誘波いざなみだけで、黄泉よみの国の神々を説得することができるのだろうか?)


(強引に引き止められているのではないだろうか?)


(はるばる黄泉よみの国にまで来たのだから、自分も行って一緒に交渉したほうがよいのではないだろうか?)


・・・・・・・・・・


(そうだ、少し中の様子を見てみよう)

 誘凪いざなぎはとうとう待ちきれなくなって、扉を開けて中をのぞいてみた。


 誘凪いざなぎ誘波いざなみに会いたいという思いが強すぎて、先ほどまでびくともしなかった扉が簡単に開いたことを不思議に思う余裕さえ失くしていた。

 誘波いざなみが戻ってくるのを待つこと自体が、誘波いざなみを連れて帰るための条件として誘凪いざなぎに与えられた試練だったことに気づくことができなかったのだ。


 誘凪いざなぎは、誘波いざなみとの約束を破ってしまった。

 その結果、どのようなむくいを受けることになるのかも知らずに・・・


(暗くて中がよく見えないな・・・)

 誘凪いざなぎは髪を束ねたくしの歯を一本折ると、それに火をともして扉の中に入っていった。

 

 黄泉よみの国には、何かが腐敗しているような異臭がただよっていた。


 誘凪いざなぎは、暗闇の中を小さなあかりだけを頼りに一歩ずつ前に進んでいった。

 足元は凸凹でこぼこでゴツゴツした岩のように固く、至るところに異臭を放つ何かが散乱していて歩きにくかった。

 

 誘凪いざなぎは、ところどころつまずいて転びそうになりながら歩き続けた。

 異臭は、奥に行くほどだんだん強くなっていった。


 ゴツッ・・・


 誘凪いざなぎは、黄泉よみの国のかなり奥まで入ったところで何かに足をぶつけた。


 ・・・?


「ギャァァァァァーッ!」

 足元にある何かを確かめようとあかりをかざした時、誘凪いざなぎ驚愕きょうがくのあまり、それが自分の声とは信じられないほどの悲鳴を上げた。


 そこには、かつて誘凪いざなぎが愛した女神の変わり果てた姿があった。


 腐敗した誘波いざなみのからだにはうじき、頭、胸、腹、股、左右の手足から出てきた八雷神やくさのいかづちのかみ誘凪いざなぎをジロリとにらみつけた。

 誘波いざなみの顔は黒ずみ、鼻がげ、歯がむき出しで、片方の目は落ちくぼんで失われていた。

 

誘凪いざなぎ・・・? どうしてここにいるの・・・? なぜ約束を破ってしまったの・・・?」

 誘波いざなみは残ったほうの目をギョロリと動かし、誘凪いざなぎの顔を凝視しながら恨めし気につぶやいた。


「決してわたしを見ないでとあれほど約束したのに・・・。こんなみにくい姿を見られるなんて・・・。これほどのはずかしめを受けるなんて・・・」


「わたしは今でも誘凪いざなぎを愛しているのに・・・。あなたと一緒に帰れることを楽しみにしていたのに・・・」


「なのに、お前は裏切った・・・。わたしに恥をかかせた・・・。なんと恨めしい・・・」


「憎い・・・。お前が憎い・・・」


「許さない・・・。絶対に許さない・・・」


 誘波いざなみの声はしゃがれて、しだいに大きくなっていった。


「そうだわ・・・。お前も一緒に黄泉よみの国で暮らせばよいのだ・・・」


「お前も死んで、ち果てるがよい・・・。そうしたら許して、あ、げ、る・・・」


「ウフフフッ・・・。アハハハッ・・・。ギャハハハハハッ・・・・」


(く、狂ってる・・・。あれは、わたしが愛していた誘波いざなみじゃない・・・)

 あまりのおぞましさに戦慄せんりつを覚えた誘凪いざなぎのからだは硬直し、足がガタガタと震え出した。

(逃げなくちゃ・・・、逃げなくちゃ・・・)


 誘凪いざなぎは、恐怖におののいたからだにむちを打ってなんとかきびすを返すと、出口に向かって脇目も振らずに走り出した。


「ウヌッ、おのれ、逃がすものか!」

 誘波いざなみは絶叫した。

「おぬしら、あの男を捕まえろ! 絶対に逃がすでないぞ!」

 誘波いざなみは、辺りにいた黄泉醜女よもつしこめというゾンビのような姿をした魔物たちに命令した。


「いやだ、捕まりたくない・・・。く、来るな!」

 誘凪いざなぎは、前につんのめりながらも必死に逃げた。

 しかし、黄泉醜女よもつしこめたちの足は異常に速く、誘凪いざなぎのすぐ後ろまで迫ってきた。


「食い止めろっ!」

 誘凪いざなぎは、黒い蔓草つるくさでできた髪飾りを外して背後に投げた。

 するとつるが勢いよく伸びて葡萄ぶどうの実がなった。

 それを見つけた黄泉醜女よもつしこめたちは、葡萄ぶどうの実にむしゃぶりついた。


 時間稼ぎができると思ったが、黄泉醜女よもつしこめたちは葡萄ぶどうの実をすぐに食べ尽くして、再び追いかけてきた。


「盾になれっ!」

 誘凪いざなぎは、今度は髪にさしていたくしを後ろに投げつけた。

 するとたけのこが生えてきた。

 黄泉醜女よもつしこめたちは、たけのこに食らいついた。


「チッ、この役立たずどもめ! 何をしている、お前たちも行け! 絶対に逃がすな!」

 誘波いざなみは激怒して、雷神いかづちのかみたちと黄泉よみの国の軍勢に命じた。


 新たな追っ手は、すさまじい勢いで誘凪いざなぎに追いついてきた。

「クソッ!」

 誘凪いざなぎは、背中に背負った十拳とつかつるぎを後ろ手で抜いて振り回した。

 聖なるつるぎまばゆい光を放ち、追っ手の目をくらました。


 その隙をついて、誘凪いざなぎは出口まで続く坂のふもとまで戻ってきた。

 そこには桃の木が立ち、邪気じゃきはらう力を宿やどした桃の実がなっていた。


「救い給えっ!」

 誘凪いざなぎは、桃の実を三ついで追っ手に向かって投げつけた。

 すると、桃の神聖な力によって悪霊たちは勢いを失い、ちりじりになって退散した。


わたしを助けてくれたように、人々が苦しんでいる時には助けて欲しい)

 誘凪いざなぎは、桃の木にそう祈った。

 この桃は、後の時代で桃太郎に転生し、鬼ヶ島に鬼を退治に行くことになるのだが、それはまた別の話。

 

 これで一安心と思ったところ、誘波いざなみが自ら追いかけてきた。

「待てーっ! 逃がさんぞーっ‼」

「ゲッ!」

 誘凪いざなぎは足をもつれさせながらも必死になって走り、なんとか出口までたどり着いた。


 誘凪いざなぎは、千人がかりでも動かせないような巨大な岩石を押し転がし、急いで出口をふさいだ。

 

 誘凪いざなぎはようやく逃げ切った安堵感から、ゼイゼイと息を切らしながら大岩にもたれかかった。


 すると、大岩の向こう側から、美しく優しかったころの誘波いざなみの声がした。

「どうしてこんなひどいことをするの・・・。わたしはこんなにもあなたを愛しているのに・・・。お願い、わたしを置いていかないで・・・」


わたしあなたは住む世界が違うんだ。もう一緒に暮らすことはできない。願わくば、誘波いざなみ黄泉よみの国で安らかに暮らすことを祈っているよ」

 誘凪いざなぎは、誘波いざなみさとすように言った。


 すると、ガリッ、ガリッという誘波いざなみが爪で岩を引っかく音が聞こえてきた。

「全部お前のせいだ! お前がわたしとの約束を破ってひどい仕打ちをしたからこんなことになったのだ。許さない、絶対に許すものか!」

 誘波いざなみは、声を荒げて叫んだ。

「そうだ、これから毎日、お前の国の住人を千人呪い殺してやる」


 誘波いざなみ怨嗟えんさの声を聞いた誘凪いざなぎは、強い決意を持って宣言した。

わたしあなたは、御中主みなかぬし様から国づくりをする使命を授かった。だから、あなたが毎日千人殺すのなら、わたしは毎日千五百人の子どもが生まれるようにしよう」

 

 大岩の壁に隔てられた暗闇の中では、誘波いざなみむせび泣く声が響いていた。


************


 双神ならびかみの夫婦喧嘩のあおりを受けて、人は生き死にする運命さだめを背負った。

 これが、この国で最初の愛憎劇の顛末てんまつだ。


 そして、誘凪いざなぎ誘波いざなみの子孫たちによる栄枯盛衰えいこせいすいの物語が始まる。

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