第1話 「国産み・神産み」
「互いに誘う凪と波の命よ」
天の御中主が誘凪と誘波の心に直接呼びかけた。
御中主の姿は見えないので、一種のテレパシーのようなものだろう。
「そなたたちに使命を与えよう」
御中主は、厳かな声で言った。
「葦原の中つ国は、いまだに水に浮かぶ海月のように漂っている。この地を固め整えて、国をつくりなさい」
「国をつくる? それはどうすればできるのですか?」
誘凪は、戸惑いながら問い返した。
「この天の沼矛を授けよう。これは、神聖な矛なので役に立つだろう」
誘凪は、突然目の前に現れた矛を受け取った。
その矛は、美しい珠飾りで装飾されていた。
「わたしたちにそのようなことができるのでしょうか?」
誘波は、不安そうに尋ねた。
「そなたたちは、そのために生まれたのだ。必ずや成し遂げることができるだろう。励みなさい。ムフッ」
最後に意味深な言葉を残して、御中主の声は消えた。
誘凪と誘波は天の浮橋に立ち、雲の合間から下界を見下ろした。
そこには脂のようなものが浮かび、白く濁った海が広がっていた。
「ねぇ、誘凪、わたしたちどうすればいいのかしら?」
誘波は、首を傾げながら上目遣いで誘凪の顔を覗き込んだ。
「コホン!」
誘波に見つめられて、誘凪は少しドギマギしながら小さく咳払いをした。
「えっとー、そうだ、この天の沼矛を使ってみよう」
誘凪と誘波は矛を抱え持ち、とろとろした海に突き刺してこおろこおろと搔き回した。
矛を引き抜くと刃先から潮水が白い雫となってぽたぽたと滴り落ちた。
その雫が積もり、凝り固まって一つの島ができた。
その島は、オノゴロ島と名付けられた。
誘凪と誘波は、オノゴロ島に降り立った。
そして、神力を使って高天原に届くほどの大きな天の御柱を立て、一緒に住むための御殿を建てた。
誘凪と誘波は、天の御柱の前で見つめ合った。
「あのー、ちょっと聞きたいことがあるんだけど・・・」
誘凪は、意を決して切り出した。
「誘波のからだは、どんな風になっているのかな?」
唐突に聞かれて誘波はちょっと驚いた表情をしたが、頬を赤く染めながら答えた。
「あのねぇ、わたしのからだは出来上がっているんだけど、裂けて窪んだところが一か所あるの・・・」
「そ、そうなんだね。我のからだも出来上がってるけど、一か所出来すぎて矛のように出っ張ったところがあるんだ」
誘凪は、ここは押しどころとばかりに勢い込んで続けた。
「我の出っ張った矛で汝の窪んだところを塞いでみてはどうだろう?」
「えっ、なに? それって、つまり・・・わたしとしたいっていうこと?」
いきなり直球で迫られた誘波は、顔を真っ赤にしてジト目で誘凪を見返した。
「ち、違うんだ。別に邪な考えで言ってるんじゃなくて・・・。天の沼矛を使ったらこの島ができただろう? だから、自分の矛を使って同じようなことをすれば国づくりができるかなと思って・・・」
誘凪は、誘波にドン引きされそうになったので慌てて言い訳した。
「そ、そうね。そうかもしれないわね・・・。わかったわ、そうしましょう」
誘波は少し思案していたが、こくりと頷いた。
「それじゃあ、これから結婚の儀式をしよう。こういうことにはケジメが必要だからね。汝はこの神聖な柱を右から廻って、我は左から廻って出会うことにしよう」
誘凪は、ただやりたいだけだと誤解されないように提案した。
誘凪と誘波は背中合わせに立ち、天の御柱の周りをそれぞれ左回り、右回りで歩き出し、柱の反対側で巡り合った。
「まぁ、なんて立派な男神なのでしょう」
誘波が顔を紅潮させながら言葉を紡いだ。
「あぁ、なんと美しい女神なのだ」
誘凪は、自分のほうが先に声を掛けなかったことを気にしながら言葉を発した。
お互いに称え合う言葉は言霊となり、誘凪と誘波とが夫婦神となる契りが結ばれた。
それから、女神は男神を寝所に誘った。
誘凪は、自分の矛で誘波の窪んだ場所を塞いだ。
誘波は、頭のてっぺんからつま先まで電気が走るのを感じた。
女神の聖なる泉から潮水の雫が湧き出し、女神の陰なる門が男神の矛を柔らかく、温かく包み込んだ。
誘凪は、自分の矛から精気がほとばしるのを感じた。
ここに至って、誘凪と誘波は御中主が「励みなさい」と言った意味を悟った。
その言葉に従って、夫婦神は子づくりに励んだ。
誘波はすぐに身ごもったが、最初の子は流産してしまった。
もう一度同じように交わってみたが、今度もうまくいかなかった。
「ごめんなさい・・・。わたし・・・、わたしの・・・」
誘凪は、憔悴して泣きじゃくる誘波に寄り添って優しく肩を抱いた。
「誘波のせいじゃないよ。何が良くなかったのか、御中主様に相談してみよう」
誘凪と誘波は高天原に赴き、御中主に事の次第を伝えた。
(婚儀も執り行っているし、あっちのほうのことは誘波に手ほどきしてあるから問題ないはずだが・・・)
御中主は、心の中で考えを巡らせた。
実のところ、御中主は子づくりのための行為について、女神である誘波に事前にレクチャーしていた。いわゆる性教育を施していたのだ。
しかし、御中主自身は性別のない独神なので実体験がない。いわゆる耳年増だった。
(経験に基づかないウンチクと実際の行為では違いがあるのだろうか?)
神とはいえ、男女の営みのエキスパートではないので、本当のところはよくわからなかった。
産婦人科の医者がいる時代でもないので、「太占」と呼ばれる方法で占ってみることにした。
鹿の肩の骨を焼いて、骨のひび割れ具合によって答えを見つけるのだ。
「ふむふむ。なるほど、なるほど」
御中主は骨に走った亀裂を眺めながら、少々もったいつけて言った。
「これは女神から先に声を掛けたのがよくなかったようだ。今度は男神が先に声を掛けなさい」
オノゴロ島に戻った誘凪と誘波は、改めて婚礼を挙げた。
前回同様、誘凪が左から、誘波が右から天の御柱を廻った。
今度は、巡り合った時、先に誘凪のほうから言葉を掛けた。
「あぁ、なんと綺麗な女性なのだろう」
「まぁ、なんて素敵な男性なのでしょう」
見つめ合う目の中には、お互いの姿が映っていた。
男神と女神はしっかりと抱き合い、口づけを交わした。
誘凪と誘波は、再び契りを結んだ。
そして、今回は待望の子どもが次々と生まれてきた。
誘波は、立て続けに大きな八つの島を産んだ。
こうして大八島国が誕生した。
この国が、後に日出ずる国と呼ばれることになる。
国産みがひと段落したところで、誘凪と誘波は神産みを始めた。
家の神、海の神、河の神、水の神、風の神、木の神、山の神、野の神、船の神、食べ物の神・・・
夫婦神が産んだ数多の神々は、オノゴロ島から大八島国へと巣立っていった。
誘凪と誘波は互いに深く愛し合い、多くの子宝に恵まれて幸せな日々を過ごしていた。
ところが、悲劇はある日突然訪れた。
「ギャーッ」
産屋から誘波の悲鳴が聞こえてきた。
誘凪は、慌てて部屋に飛び込んだ。
目の前には、信じられない光景が広がっていた。
火の神を産んだ時、下腹部に大火傷を負った誘波が、苦しさに耐え切れずのたうち回っていたのだ。
誘波の足元では、赤子の形をした炎が燃えていた。
「誘波・・・!」
誘凪は、急いで誘波のところに駆け寄った。
「しっかりするんだーっ‼」
誘凪に抱きかかえられたまま、誘波は嘔吐し、糞尿まで垂れ流した。
誘凪の献身的な看病の甲斐もなく、誘波の容態は悪化するばかりだった。
「誘凪・・・、ごめんね・・・。まだ国づくりは終わっていないのに・・・」
誘波は息も絶え絶えになりながら、辛うじて声を絞り出した。
「何を言ってるんだ。誘波が元気になったら、また一緒に始めればいいさ」
誘凪は、衰弱していく誘波の手を握り締めて励ました。
「わたし・・・、このまま、死んじゃうのかな・・・。死にたくない・・・」
「死ぬなっ! 誘波、逝かないでくれっ‼」
誘凪は、悲痛な叫び声を上げた。
ほどなくして、誘波は息絶えた。
誘凪の慟哭は、幾日も止まなかった。
ふと気づくと、傍らで火の神が不安そうな目をして誘凪を見上げていた。
(誘波との楽しかった日々は、もう帰ってこないのだ)
そう思うと、誘凪の中に、火の神に対する憎しみが込み上げてきた。
「お前さえ生まれて来なければ、誘波は死なずに済んだのだ!」
誘凪は腰に帯びていた十拳の剣を抜くと、突然火の神に斬りかかり、首を刎ねてしまった。
それでも気が収まらず、火の神のからだを切り刻んだ。
愛する妻を失ったことで絶望し、怒りに任せて自らの手で我が子を殺めてしまったのだ。
常軌を逸した己の行動に愕然として途方に暮れた誘凪は、それから長い間、虚ろな目をして佇んでいた。