『ざまぁ』はどうして気持ち良いのか
小説家になろう、及び近縁界隈において一定の勢力を誇る『ざまぁ』小説という作品傾向があります。
その内容を要約すると、不利な立場の主人公が、上位の立場にあったり、あるいは設定的には下位ではあるが周囲がそちらに味方するような立場にあったりする敵役によっていじめられ、過程は割愛するが最終的にその敵役に不幸が訪れるという構成になっています。
敵役に対し『ざまぁみろ』という感情を抱くという意味で『ざまぁ』と呼ばれるようになったという経緯がある作品なわけですね。
これは近年のなろう界隈では悪役令嬢ものと呼ばれる、いわゆる乙女ゲーム的な世界を舞台にした作品に多く見られ、先ほどの例でいえば主人公は高位貴族の子女のため設定上の立場では上になりますが、過去の行い等から評判が悪く、対して敵役(作中作においては主人公)は身分こそ低いですがその純粋な精神性や貴族社会には珍しい庶民的な価値観等が持て囃されているという状況が多く見られます。
また、男性主人公の場合は有名冒険者パーティの中では目立たず、地味だが重要な役割を果たしていた主人公が、敵役となるパーティリーダに追放され、後に主人公の価値が理解される、あるいは何かをきっかけに覚醒して元のパーティメンバたちを見返すという展開が多く見受けられます。
またこれらの時、敵役には徹底的な理不尽さがある場合が多いです。
これを単純に解釈するのであれば『ざまぁ』とは復讐であるように思えます。
しかし、ここには単純な『ざまぁ』=復讐劇では終わらない心理的な働きが隠されているのです。
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ここで一旦話題を変えましょう。
近年、インターネットが広く一般に普及し多くの人がネット上で発言するようになりました。
特にSNSが登場してからは加速度的に増加しています。
それに伴って、有名人の──場合によっては一般人も──炎上に関する問題が多くなって来ています。
最近ではあまり使われなくなって来ましたが、他人の不幸で飯が美味いというセリフを省略して『メシウマ』という言葉が流行っていたほどです。
こうした感情のことを心理学的にシャーデンフロイデと呼び表します。
シャーデンフロイデは「損害」「害」「不幸」などを意味する "Schaden" と「喜び」を意味する "Freude" を合成したドイツ語であり、意味合いとしては「他人の不幸を喜ぶ気持ち」もしくは「人の不幸を見聞きして生じる喜び」をいいます。
英語でもそのまま"schadenfreude"として、借用語として導入されていますが、旧来の英語では「他人の犠牲において楽しむ娯楽」を意味する"Roman holiday(s)"という表現があります。
これはローマ市民たちが、いわゆるコロッセオでの剣闘士の命をかけた死闘や残酷な処刑を見世物として楽しんだことに由来します。
なお、1953年のアメリカ映画『ローマの休日』はそういった血生臭さはなく、オードリー・ヘプバーンの可愛さだけでも一見の価値のある作品です。
閑話休題。
日本でも『他人の不幸は蜜の味』という表現があるように、概念としては全世界共通で認識されていました。
そういった感情に対しシャーデンフロイデと名付け研究が進められた結果いくつかの特徴が発見されました。
1つ目は、他者の不幸が相応と知覚されていることです。
不幸の責任の所在によってシャーデンフロイデの生じやすさは変化し、その不幸が他者自身の落ち度であればシャーデンフロイデが生じやすいが、不可抗力な事態であればシャーデンフロイデは生じにくい(生じない訳ではない)というものです。
2つ目は他者の不幸が深刻では無いことです。
相対的に小さい不幸に対してシャーデンフロイデは生じやすいです。
誰かが死亡するなど、深刻な不幸に対してシャーデンフロイデは生じにくい(生じない訳ではない)です。
3つ目に、他者の不幸に対して受動的であることです。
意図的に相手を不幸に陥れる訳ではなく、たまたま見聞きして幸福感を得る点で、攻撃行動やサディズムとは異なるとされています。
ただし、シャーデンフロイデが喚起される重要な要因には、復讐心があると想定されています。
とある実証実験では、女性の復讐心が妬みに分散するのに対し、男性は自分に不利益や不正を働いたものに降りかかる不幸はシャーデンフロイデに直結することを示しています。
シャーデンフロイデとは何らかの不公正や不平等を感じていた者が、他者が見舞われた不幸によって果たされる消極的な復讐といえるでしょう。
なお、ニーチェはシャーデンフロイデについて「平等性の勝利と回復についての最も卑俗な表現」と述べています。
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翻って『ざまぁ』作品ではどうか、先の例に倣って考えてみましょう。
第1に、敵役は主人公を徹底していじめる理不尽な存在です。
彼らには何らかの報いがあって然るべきという感情を抱きます。
第2に、基本的には彼らが死亡する描写は少ないです。
名誉失墜や国外追放、その後の落ちぶれた生活をしている描写がある程度です。
主人公を苦しめた敵役ですが、流石に殺してしまうまでは……という心理的なブレーキがかかるのでしょうか。
第3に、主人公はあくまでも自身の身の回りの環境を変えたり自助努力をしたりすることに専念します。
その結果として敵役を追い越し、それに焦った彼らが自滅していくというパターンが多いです。
あくまで自身のための努力をしているだけで、他者を追い落とそうというある種の性格の悪さとは違うのだという、一種の自己弁護じみた展開が見受けられます。
そしてこれこそが、自ら積極的に相手を追い込んでいく復讐劇との最大の違いです。
もっとも、最近ではこれらの復讐劇に対して『ざまぁ』であるとの評がつけられることも多いですし、その根底にあるものが近似であることは間違いないでしょう。
そして実は、これらの中に『ざまぁ』を形成する上で最も重要なことが含まれています。
それは、敵役が理不尽なまでに主人公の自尊心を傷つけることです。
何を当たり前のことを言っているのか、またそれは作劇上の一演出──主人公の栄達と敵役の凋落の比較という物語上のカタルシスに向かっての助走に過ぎないのではというご意見があるかとは思いますが、実はこれこそが『ざまぁ』の根幹となる要素なのではないかと思います。
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オランダで行われた実験にこういうものがあります。
その実験では複数の被験者に対し、偽の知能テストを行います。
そして被験者をランダムに2組に分け、一方にはテストの結果として『あなたは平均より知能が劣っている』もう一方には『あなたは平均以上です』という通知をしました。
実はこれ自体は実験の前段階であり、本当の実験はここから始まります。
これらの被験者に対し以下のような新聞記事を読ませ、その感想を書くように指示したのです。
その内容というのが『とある大学生の若者が、大学で行われたパーティで目立つために高級外車をレンタルし、駐車しようとしたところ誤って運河に落としてしまった』というものです。
運河に落ちたというのが何ともオランダらしいと言いますか……まあそれはともかくとして、その記事に対して知能が平均以上に分類されたグループは『気の毒に』『何とも思わない』という感想が多かったのに対し、平均以下に分類されたグループは『ざまぁみろ』という感想が多かったというのです。
ここで注意したいのが、彼らは本当に知能テストの結果によって平均より上か下かで分けられたグループではなく、あくまでランダムに分けた後に嘘の検査結果伝えられたグループであるということです。
つまり、知能が低い人間が『ざまぁ』と他人の不幸を笑う人間なのではなく、知能が低いと思わされた人間がそういう行動を取ってしまったということです。
この実験結果から、自尊心を傷つけられた人間はシャーデンフロイデを感じやすいということが結論付けられたのです。
この実験の補足としてレイク・ウォビゴン効果というものを挙げておきます。
レイク・ウォビゴン効果とは「自分は他の人と比べると、平均以上である」と自己評価を過大に捉えるという心理的な働きのことです。
これに関する実験で学生100人の被験者に『あなたのユーモアのセンスは学生の中でどれくらいありますか』という質問を投げかけたところ、7段階中の6が半数以上を占め、残りも5と7がほとんどで4以下はほとんどないという結果が出ました。
これに対し『あなたの数学の能力は学生の中でどれくらいありますか』という質問には5を中心としたベルカーブ(平均値を中心とする左右対称の釣鐘形)を描く結果となりました(5なのでやや高めですが)。
このとおり、数学の能力のような数値として結果が出る事柄はともかく、ユーモアセンスのような数値化できない、主観的に判断するものについては高く見積もりがちになるのです。
まぁ、日本で『あなたのユーモアセンスは』という質問をしたらもう少し低い結果が出そうではありますが。
しかし、学内と限れば「普段友だちと喋っていても笑わせることがあるし、平均よりも少し上くらいにしておこうか」という人もいるのではないかと思います。
また別の例では「自分は事故に遭わない」「いつでも禁煙・喫煙することができる」「自分は酒に酔わない」など、自分だけにはある状況が当てはまらないと客観的な根拠もなくいうことが当てはまります。
実際、自動車免許を持っている人の90%は、「自分の運転スキルは人並み以上に優れている」と考えており、最近交通事故を起こした人でさえ、自分を高く評価しているなんて話もあるのだとか。
「やろうと思えばいつでも禁煙できる」と言っている人はいつまで経っても禁煙しないし「自分は酒に酔わない」と豪語して他人に迷惑をかける人の何と多いことか。
おっと、恨み節が。
こうして人間というのは、無意識に自身を『平均以上』にグループ分けしているのです。
それに対して『あなたは平均以下です』というテスト結果は彼らの自尊心を傷つけたということになります。
ここで『自分は平均以上』という認知と『自分は平均以下』という現実(偽)の間に歪みが生じます。
こういったところで他人の不幸を知ると、自らとはまったく関係のないことがらでも『ざまぁ』という感情が湧き、認知の歪みを覆い隠すのです。
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有名人の炎上に『メシウマ』と思う感情は、こうして生まれていたのです。
これがさらに進むと、まったくの他者が群がって攻撃するようになります。
彼らは有名人の炎上が間違いなく本人の過失によるものと思い込みたい──先ほど述べたとおり不幸の責任の所在が本人にあるとシャーデンフロイデが生じやすい、それを自ら認めやすい──ためです。
だからこそ、どこまでいっても当人間の問題でしかない不倫などの話題でも『不倫された側の気持ちになったら、こんなひどいことはできない』といったあたかも被害者を同情するかのようなおためごかしが見られるのです。
失礼、熱くなりました。
話は戻って『ざまぁ』作品についてですが、読者諸兄の分身である主人公が、敵役の理不尽なまでの言動によって傷つき、同時に皆さんの自尊心も傷つけられた結果、彼らの不幸に対してより強い『ざまぁ』を感じることができるのです。
個人的な話になりますが、筆者は人類の善性を信じているところがありまして、もし『ざまぁ』作品を読んでいて敵役が意地悪をしてきても「あぁ、作劇上の都合で意図不明なまでに異常なほど主人公を敵視して攻撃しているな」と思ってしまうタイプです。
だからそういう敵役がいると、途中で読むのをやめてしまったり、どうしても感情移入しきれなかったりしてしまいます。
しかし、そんな筆者がこの敵役をどうにかしてやりたいと思った作品があります。
それがアネコユサギ『盾の勇者の成り上がり』です。
正直なところ読んだのが大分前のことなので内容も曖昧なところがありますが、とにかくあの敵役のウザさといったら、間違いなく一級品でしたね。
あの手この手で主人公を陥れようとしてくるその手練手管たるや……。
しかもちゃんと理由があってそういった行動をとっていたということが後になってわかるのも良かったです。
盲目的に主人公を愛してくれるヒロインがいたり、愚かなだけだった他の勇者たちが改心したり、覚醒した主人公の活躍といったイベントがあったような気がしますが、正直あの敵役のウザさの前ではすべてが霞んでしまいました(褒め言葉です)。
そんなキャラクターを描き出せるアネコ先生には脱帽です。
ここまで『ざまぁ』におけるシャーデンフロイデがどのような効果をもたらしているかを考察してきましたが、最後にちょっとおまけをつけておきます。
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不公平実験というものがあります。
霊長類研究で有名なエモリー大学で実施されたのですが、オマキザルというヒトに近く、社会を形成する猿を用いた実験でした。
彼らにアルミに穴を開けた金属板を貨幣として与え、その貨幣と交換に果実を与えると、彼らはたちまちに貨幣という概念を理解しました。
そんな貨幣を理解した猿たちを2匹1組にしてとある実験を行いました。
最初は2匹ともに貨幣を介してきゅうりを与えると両方が喜びました。
好物というわけではないようだが、貰ったら嬉しいということがわかります。
次に2匹ともに貨幣を介してぶどうを与えると両方が喜びました、これは好物らしく2匹とも大いに喜びました。
後に片方にだけ貨幣を介してぶどうを与え、残りの片方にはきゅうりを与えた。
同じ行動に対して不公平な結果を返したのです。
この時、きゅうりを与えられた方は困惑した様子を見せた。
しばらく同じことを続けると、きゅうりを与えられた個体は怒りを発露し、きゅうりを与える人間にそのきゅうりを投げつけた。
最初はきゅうりを与えられても喜んでいたのにも関わらず、不公平な状況ではその価値すら失われてしまうのです。
ここから、猿にも不平等に対する嫌悪感が存在することがわかります。
なおこの実験は2匹ペアにした場合に限られ、群れに対して同じことをしても同じ結果は得られませんでした。
眼の前の1匹と自身の比較はできるが、群れという大きな抽象的な存在を認知できないようです。
一方、我々ホモ・サピエンスはこの抽象概念の共有ができたからこそ繁栄してきたともいえます。
それまでの生物が多くても100匹という群れしか形成できなかったのに対し、例え個別に知らない個体に対しても『同じ群れの仲間』と認識できることで、大人数での狩りや採集等ができるようになったからです。
しかし、良いこともあれば悪いこともあるもので、ホモ・サピエンスはその代償として、大きな群れと自分という比較が生まれてしまったのです。
その結果としてシャーデンフロイデ等の様々な心理的働きを得てしまったのです。
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ちなみに貨幣を与えた群れはオスがメスに求愛した際に、メスが断った後にオスが貨幣を渡して交尾をしようとしたらしく、世界最古の商売は娼婦であるという言葉が知られているが、その話を聞くにそう遠い話でもないのかと思ったり。
また貨幣の価値を理解した猿の中には、きゅうりのスライスの光沢が貨幣の光沢と似て見えたのか、きゅうりの真ん中に穴をあけて貨幣のように使用しようとしたのだとか。
売春の次に手を出すのが贋金とは……。
筆者は心理学が専門ではありません。
本稿は岡田斗司夫氏の動画に触発されて書きましたので、誤りがあれば忌憚なくご指摘ください。




