救世主
朝になり、芽衣は目が醒め、ベッドから起きあがる。
芽衣は得縷が座椅子に目を瞑って座っているのを見ると、得縷は音に気付いたのか静かに目を開け、芽衣を見る。
「おはようございます、終羽さん」
「おはよう、芽衣さん」
「ご飯作るね」
得縷は台所に向かう。
「ありがとうございます。あの終羽さん……」
「得縷でいいよ」
「え?」
「もう、一夜を共に過ごした仲なんだし、名前で呼んでほしいな」
冗談っぽく得縷は言ったが、誤解を招きそうな言葉に芽衣は赤面する。
「あ、わかりました。得縷さん」
「同い歳なんだから、さん付けじゃなくて、くん付けでいいよ」
「得縷くん……」
一夜を同じ部屋で寝たからか、フレンドリーな感じで話しかけてくる得縷に芽衣は戸惑いながらも得縷の名前をくん付けで呼ぶ。
「何? 芽衣さん」
「今日は、どうしていきますか?」
「今日は事務所を構えるために、別の部屋を借りる契約手続きと、芽衣さんの能力がどれだけのものか実験していくってとこかな。相談所は明日から本格的に営業していくよ」
「得縷さんは別のお仕事とか大丈夫ですか?」
「要人の護衛の仕事をやっているけど、3ヵ月間、休職の申請をしたから大丈夫」
「え? 私のために?」
「気にすることないよ。リフレッシュ期間にもなるしさ、3か月後にまた働き始めればいい」
「何から何まで本当にありがとうございます」
「気にしないで。好きな子と過ごすことができて俺は幸せだよ」
くすくすと笑う得縷を見て、芽衣は赤面し、何と言葉を返していいかわからず、黙り込む。
朝ご飯を食べてから、得縷はさっそくビルの一室を借りる契約をして、明日から事務所として使えるように部屋に机などを配置していった。そして、午後から芽衣と得縷は、芽衣の能力がどれだけ限定的に願いを叶えられるのか実験していった。
どうやら私の能力は複数人が対象となる願いを叶えることは無理なようだ。たとえば、目の前を歩いている2人がくしゃみをするように願っても無理となる。でも、目の前の1人だけに対してくしゃみをするように願えば成功となる。
そして、範囲の広い願いも無理なようだ。お金は札束で目の前にいくらでも出現させることができるけど、雨を降らす願いなどは無理となる。
願いを叶えるには、ゲージを出現させて能力が発動した状態で、いちいち願いを口に出さなければならないということも実験でわかった。
芽衣と得縷は壁の側面に隠れて、前方の車いすに座っている男性を見る。
「あの人の脚が完治しますように」
左手に成功の文字が浮かび上がる。
「あの人が今、脚を動かしたい気持ちになりますように」
左手に成功の文字が浮かび上がる。
次の瞬間、男性は脚をもぞもぞと動かし、驚く。
「え!? わ! ああ!!」
男性は車いすから立ち上がる。
信じられないという様子で歩いたりする。次の瞬間、泣き崩れる。
周囲の人は怪訝そうな顔で男性を見ているが、芽衣と得縷には男性が喜びで震えて泣いている姿だと伝わってくる。
「よかった」
芽衣は男性の姿を見て、涙を浮かべる。
「あの人は3年前に事故で脚が動かなくなって、一生治ることはないって医者に診断された人だ」
「本当によかった」
芽衣の目から涙がこぼれる。
「うん、よかった。芽衣さんの能力は難病を治すこともできるみたいだね。空中に人を浮かすことができるぐらいだから、もしかしたらって思ったけど、本当に凄すぎるね」
……本当に凄まじい。芽衣さんはこの世界の救世主になれる。
「得縷くん! どんどんこの能力を使ってたくさんの人を助けたい!」
芽衣は涙で濡れた目で得縷を見る。
「……うん。明日から本格的に相談所をやっていこう」
本当にますます好きになっちゃうな。まあ、最初に出会った瞬間からもうこれ以上ないっていうくらい芽衣さんに恋しちゃってるけど……。
得縷は儚げな表情で芽衣を見る。
次の日、いよいよ相談所の営業開始となる。
芽衣と得縷は路上でビラ配りから始める。
ビラを受け取った中年の女性が文面を読む。
どんな悩みでも受け付けます。相談料無料。あなたのお悩みが解決した場合のみ成功報酬をいただきます。解決しなかった場合はお金を一切いただきません。成功報酬は1万円未満でOK。1万円以内であなたの支払える金額を出していただければ大丈夫です。体の不自由を治したい、体調不良を改善したい、数年前になくしたものを見つけたい等、少しでも困っていることがあるなら何でも相談してください。
「胡散臭いわね」
中年の女性はチラシを公共のゴミ箱に捨てる。
営業時間になり、芽衣と得縷は事務所に帰って訪問客を待つ。
「芽衣さん、朝も言ったけど……」
「うん、わかってる……」
芽衣は朝の得縷との会話を思い出す。
「芽衣さん、その能力はあまり大っぴらにしない方がいい」
「え?」
「昨日、寝る前によく考えてみたんだけど、その能力が知れ渡ると危険な目に遭うかもしれない」
「どういうこと?」
「芽衣さんの能力は、はっきり言って神のような力だ。その能力を都合が悪く感じる者も当然いるはず」
「……都合が悪い人?」
「その能力を使われ、現在の地位や名誉を揺るがされることに強い懸念を抱く人とかかな」
「私、そんなふうには使わないけど」
「実際はそうであっても、芽衣さんの言うことを相手が信じるとは限らない。能力が限定的だってことも知らないし、限定的であっても使い方次第で十分脅威だしね」
「じゃあ、どうすれば……」
「相談所では、その場で問題をすぐに解決するんじゃなく、依頼者に意味のないことをやらせて、その行動のおかげで問題が解決したと思わせていこう。芽衣さんが問題を能力で直接解決したとしないで、芽衣さんはその解決方法を指摘したというような形をとる」
「難しくて、よくわからないけど……」
「たとえば、慢性的な寝不足を解消したい人が来たとしよう。そして、バナナを1日10本食べ、それを2日間続ければ寝不足が解消されると芽衣さんが言う。そうすれば、依頼者はバナナを食べたおかげで解消されたと思う。その方法を指摘してくれた芽衣さんに感謝する。実際は芽衣さんが能力で依頼者がその行動をしたら寝不足を解消してほしいと願ったから解消される」
「……なるほど」
「そうすれば、芽衣さんが巫女的な力を持っているだけで、願いを叶えるような強力な力を持っているとは思われない」
「うん、そうだね」
「あとは、問題解決方法を指摘する条件として、問題が解決したら3ヵ月間はそのことを他言しないってところかな。そして、この相談所がものすごく信用できるということをできる限り3ヵ月間宣伝すること。それらを守らないと問題が再発してしまうと言えばいい」
「そうすれば、芽衣さんが特殊な力を持っていることが広まりにくいし、良い口コミが広まる」
「うん、得縷くんの言う通りにしていいよ」
芽衣は朝の会話を反芻し、得縷と一緒に、最初の依頼者を待つ。
得縷は芽衣の机に水晶を置く。
「何これ?」
「この方が巫女っぽいでしょ?」
「ええ、胡散臭くない?」
「多少オーバーな方がいいよ」
得縷はくすくすと笑う。
「口コミを広めるためにも依頼者に告げる、意味のない行動をする期間はできるだけ短い日数に設定して、効果が早く出るようにしよう。ただし、体の不自由とか重いものは、2週間くらいに設定した方がいい。早く治ってしまうのも不自然だしね」
「わかった」
ドアがノックされる。芽衣と得縷はドアに顔を向ける。
「どうぞ」