出会い
人が行き交う街中に芽衣は立っていた。芽衣がその場所に突然現れたことに誰も気づいていないようだった。自然とその場所に初めから芽衣がいたとでもいうように人々は芽衣とぶつからないように避けてすれ違っていく。
芽衣は驚いていた。異世界と聞いたので、中世のような街並みを連想していたのだが、現代の日本とまったく変わらない風景に拍子抜けする。
周りで話している人の会話が耳に入り、日本語を話しているのが聴こえる。そして、外人風の容姿の人もかなり多いが、アジア風、日本人のような顔立ちの人もたくさんいて、芽衣は少し安心した。
芽衣は歩きながらあたり見回していき、看板などに記載されている文字が日本語であることに気づいた。壁にかかっている時計を見かけ、今の時間帯が正午だと知る。
あちこちで外人のような風貌の人が、流暢に日本語で話しているのを見て、そこだけが日本にいるのとは違った印象を受けた。そして今、自分がいる場所が、日本でないことは、地球でないことは、歩いている中、視界に入ったり、聴こえたりする情報で把握できた。
とにかく誰かから感謝されればいいのよね? 親切にすればいい話でしょ?
しばらく歩いていると、ふと気づく。
あれ? 私、お金は?
慌ててズボンのポケットに手を突っ込むが、家の中で財布を身につけていたはずがない。
今、自分が身に着けている服装も家の中にいた時のもので、バッグも持っていない。
あ……私、今日どこに泊まればいいの?
芽衣は頭が真っ白になる。
お金もない、住む家もない、身元を証明するものもない、そもそもこの世界での戸籍がない……どうやって生きていけばいいんだろう?
芽衣は愕然とする。絶望のどん底に叩き落された気分だった。
どうしよう! とにかくお金を稼がなきゃ餓死しちゃう!
危機的恐怖をひしひしと感じ、動揺した表情であたりを見回す。
け、警察に行く? でも何て言うの? お金がないから助けてくださいって言うの? それで助けてくれるの? そもそもこの世界に警察なんてあるの?
芽衣は混乱し、ひどく取り乱していた。
周りを行き交う人々は他人には興味がないという様子で通り過ぎていく。芽衣は不意に泣きたくなった。そして、不安で心が押しつぶされそうになる。
警察に行って、お金がないって言ったら身元を聞かれるよね?
芽衣は警察に行った場合の想像をしてみる。
「お名前は?」
「空川芽衣です」
「住所は?」
「ありません」
「親御さんの連絡先教えて」
「連絡とれません」
「本籍は?」
「……」
「公務執行妨害で逮捕」
想像を終え、芽衣はがちがちと震えた。
戸籍もないのだから、偽名を名乗ったと思われても弁解のしようがない。別の世界から転移してきたなんて寝言が通用するはずがない。
これで逮捕なんてことになったら、誰かから感謝されるどころの話じゃなくなる。
芽衣は途方に暮れた。古びたビルの壁にもたれかかり、手で顔を覆ってうつむく。
どれくらい時間が経っただろう。どうして自分がこんな目に遭わなければいけないのか、など考えても仕方のないことが頭の中を駆け巡っている中、人の気配を前方に感じた。
「あの、何かお困りですか?」
男性の優しそうな声が聴こえ、芽衣はびくりと顔を上げる。
目の前には黒髪の美青年が立っていた。
「大丈夫ですか?」
心配そうな顔をして聞いてくる美青年に芽衣は涙が出てしまう。
「……すいません、ちょっと困ってて」
目から流れる涙をぬぐいながら芽衣は言う。
次の瞬間に美青年の頭上にゲージのようなものが現れる。芽衣は何もない場所に突然現れたメーターのようなものに驚く。
「俺でよければ話を聞きますよ? そこの広場で少し話しませんか」
美青年のゲージにはレベル322とある。
白い空間での美女の言葉が脳裏によみがえった。
――信頼度を表すゲージをイメージで具現化できるようになります。
芽衣は美青年のゲージを見つめる。
……これが信頼度を表すゲージ?
「あ、じゃあ、話を聞いてもらってもいいですか?」
芽衣は美青年の優しそうな顔を見つめて言う。
「よかった。では、そこの広場に行きましょう」
芽衣と美青年は広場にある席に座る。広場の中でも近くに人がいなく、誰かに話を聞かれにくく、それでいて何かあれば遠くの人が気付くような場所だった。芽衣と美青年はテーブルをはさんで向かい合って席に座った。
「終羽得縷と言います。何でも話してください」
終羽得縷の頭上には先程のゲージが浮かんだままである。
「空川芽衣と言います。ありがとうございます」
芽衣は何から話していいかわからず、少し考える。真っ先に地球へ帰るために満たす必要のある条件が思い浮かぶ。
「あの……信頼度を3ヵ月以内にレベル100まで上げたいんですけど、どうすればいいでしょうか?」
得縷は少し不思議そうな顔をする。
「今の芽衣さんの信頼度はどのくらいですか?」
「ふつうだと思うんですけど」
……今までの人生で感謝されたことがまったくないわけじゃないし、平均くらいはあるはずだ。
「ゲージは見せたくないですか?」
信頼度のゲージってどうやって出すんだろ。確かイメージで具現化とかってあの人が言ってたな……。
――信頼度。
芽衣は頭の中で念じながら得縷のゲージを見て、それが出るように思い浮かべる。
すると、得縷は芽衣の顔から頭上へと視線を移し、驚いた表情で言葉を発する。
「……0」
芽衣は耳を疑った。
「0!?」
驚きのあまり芽衣は大きな声が出てしまう。
慌てて自分の頭上を見るが、まぎれもなくゲージにはレベル0とある。
2人は顔を見合わせた。つかの間、沈黙が下りる。
「0である事情って話せますか? もし言いたくなければ話さなくていいです」
得縷は芽衣を見つめる。芽衣は何の理由も思い浮かばず正直に話そうと思う。
「あの、信じてもらえないと思うんですけど……私はこの世界の人間じゃないんです。別の世界からこの世界に転移させられました」
自分で言ってて、すごく滑稽に思える。私だって地球で目の前の人が同じことを言ったら間違いなくやばい人だと思うだろう。
「……異世界から来たってことですか?」
「あ……はい」
私にとってはここが異世界なんだけど……。
得縷は真剣な顔で芽衣を見つめている。
「そうですか。本来なら信じがたい話ですが、本当のことなんでしょう」
「信じてくれるんですか?」
「はい。信頼度が0というのはよっぽど悪いことをして0まで信頼度が下がるか、人生で人と接触せずに過ごしたような人しかならないです。芽衣さんはどちらにも該当するような人には見えない。俺は、人を見る目には自信があります」
「ありがとうございます」
「それで、なぜ3ヵ月以内に信頼度を100まであげる必要が?」
「そうすれば元の世界にもどれるって言われました」
「……なるほど。それは誰に言われたんですか?」
「……」
何て説明すればいいのか芽衣はわからず言葉につまる。
「私、地球っていう世界にいたんですけど、白い場所にいきなり転移させられて、そこで女の人からそういう説明を受けて、今日、この世界に転移させられたんです」
……本当に私の言ってることは頭のおかしい人の話のようだ。
「今日、転移させられてきたんですか?」
「はい、だからお金も住むところもないし、頭が真っ白になっちゃって、あそこで悩んでました」
……やばいよ。私、本当におかしい人みたいだよ。
芽衣は泣き出しそうになる。
「そうですか、わかりました。信じますよ」
得縷は芽衣をしっかりと見つめて言う。
「ありがとうございます」
芽衣は得縷の信じるという言葉と優しい表情に安堵し、涙がこぼれる。
得縷はハンカチを取り出す。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
芽衣はハンカチを受け取り、涙をぬぐう。
「大変な目に遭いましたね」
「はい」
「よければ、俺の家に住んでもいいですよ」
「え?」
芽衣は顔を上げ、驚いた顔で得縷を見つめる。
「不安でしたら、俺は外で過ごして、外で寝るので」
「いや、不安なんかありません。終羽さんなら信頼できます。住まわせてください、お願いします」
芽衣は頭を下げる。
「わかりました。では、今日はもう遅いから家に帰りましょう」
2人は立ち上がり広場から抜けて、得縷の家に向かって歩き始めた。