転移
空川芽衣は椅子に座ってスマホを操作していた。
ワンルームの家の中では空気清浄機が稼働しており、ゴーゴーという音が、隣人の物音を相殺している。
芽衣はスマホの画面で時間を確認する。時刻は22時を回っていた。
そろそろ、お風呂入ろっかな。
椅子から立ち上がった瞬間、目の前が真っ白になる。芽衣は何が起きたかわからず、呆然と立ちすくんでいる。
「……何? これ」
どこまでも真っ白な空間に芽衣は立っていた。そして、目の前に整った顔立ちの女性が半透明のホログラムのような姿で現れる。
美女は芽衣を見据えて口を開き始める。
「あなたがこれから転移する異世界は、地球とは異なり、信頼度を表すゲージをイメージで具現化できるようになります」
「?……いや、ちょっと待ってください! いったい何なんですか!?」
さも当たり前のように話し始めた美女の言葉がまったく頭に入ってこず、信じられない状況に、ただひたすら困惑する芽衣。
「あなたは異世界に転移する人間として選ばれました」
「何で、私なんですか!? 私、全然特別な人間じゃありませんけど!」
「選定の際にそのようなことは関係ありません。異世界に転移させる者を選ぶ瞬間に、神隠しにあってもおかしくない状況にある人間の中からランダムで選ばれます」
「異世界に転移させる人間を選ぶ瞬間に、芽衣さんはワンルームの家に一人でいる状況にあり、誰かから監視されているわけでもなく、誰とも連絡をとっているわけでもなく、マンションのセキュリティの面でも突然存在が消えたとしても非現実的でない状態にあったので、選定の候補に加えられ、ランダムで選定した結果、運よく選ばれました」
運よく? 何が!?
芽衣は苛立ちを覚える。
「困ります! 異世界になんか行きたくありません。地球へもどしてください!」
必死の形相で抗議の声をあげる芽衣を、珍獣でも観察するかのように美女は見ている。
「地球に帰りたいんですか?」
「あたりまえです! 私は今の生活に何も不幸せなんて感じてないし、親にだって、やっと親孝行し始められると思っていたのに!」
「そうですか。では、地球に帰るためには異世界で1つの条件をクリアしなければいけません」
「その条件とは、3ヵ月以内に信頼度のレベルを100まであげることです。レベルが100になった際に、地球に帰るか、異世界で生き続けるか選べる状況になります。その時に地球へ帰ることを選択しなかった場合や3カ月以内にレベル100になれなかった場合は、芽衣さんは二度と地球へ帰ることができなくなります」
「!? 今すぐ帰してください! こんなの……じ、人権侵害です!」
芽衣は人生で初めて他人に使ったであろう言葉をなめらかには言えなかった。
「人権というものは人間という集団の中で認められているものなのでは? この空間では、そんなものは認めていません」
「……そんな」
芽衣は弱弱しく言葉を発する。
「では、異世界へ転移させますね」
「待ってください! まだ聞きたいことがあります。地球での私は今どうなってるんですか?」
「芽衣さんが異世界にいる3ヵ月間は時間が停止している状態にあります。異世界で3ヵ月経過するか、芽衣さんが地球へ帰られると時間が動き出します」
それを聞き、少し胸をなでおろす芽衣。3ヵ月以内に異世界から地球へ帰れば、また今まで通りの日常にもどれるということだ。
「もう一度、地球へ帰れる条件を詳しく教えてください」
「異世界に転移してから3ヵ月以内に信頼度をレベル100まであげるだけです」
「信頼度っていうのは、どうやったらレベルがあがるものなんですか?」
「誰かから感謝されればゲージが増えていき、ある程度に達するとレベルが1ずつ上がります」
「たとえば、ゲームで敵を倒せば経験値がたまっていき、レベルが1ずつ上がっていくのと同じような感じです」
「そうですか。まだ聞きたいことがあるので、転移させないでください」
芽衣は何を聞こうか思案する。
「残念ながら、もう時間がありません。芽衣さんがこの空間にいる間も地球の時間は止められており、あと30秒以上この空間に芽衣さんが留まった場合、異世界でのタイムリミットである3ヵ月という期間がかなり短縮されるおそれがあります」
それを聞き、芽衣は慌てる。
「じゃあ、もういいです!」
「では、異世界に転移させますね」
美女はにっこりと笑い、片手を芽衣の前にかざす。
芽衣の姿が徐々に半透明になっていく。
「地球へ帰られたいのなら、異世界で会う人と親しくならない方がいいですよ。別れが悲しくなりますから。特に恋人なんかをお作りになられた場合は、切なすぎます」
芽衣は美女を睨む。
「ご心配なく! 私は今までモテたことがありませんし、告白されたこともなければ、誰かと付き合ったことすらない平凡顔ですから!」
美女は、くすりと笑う。
「異世界は地球とは異なった世界なんですよ?」
「?」
芽衣は美女のその言葉を最後に聞いて、疑問に思いながらも、気づけば異空間から異世界へ転移していた。