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第四十五話 『ずうっと』 1. 待たせたな

 


 ベリアルの痕跡すら追えぬまま、怪神(けしん)マルコシアスとバルバトスがメガルに迫りつつあった。

 浮かび上がる方角こそ違えど、ともに日本を見据える海域にまで到達したとの報告を受けていた。

 進軍を阻止する手立ては何もなく、通過線上にある当該および周辺国は脅威を黙って見過ごすことしかできなかった。

 破壊の矛先を向けられぬため、刺激せずにじっと息をひそめたまま。

 他の怪神達もこぞってメガルを目ざし集結しようとしていた。

 いまだその地にベリアルが潜んでいることを知っていたからに他ならない。

 或いは、それこそがメガルを陥れるためにベリアルが仕組んだブラフなのかもしれなかった。


 メガルの臨時避難所の敷地内で、みずき達は率先して避難者達の受け入れ誘導をしていた。

 誰に頼まれたわけでもなく、数千人を超える外部からの避難者達を地下シェルターへと正しく導く手伝いをするために。

 光輔達のために少しでも役に立とうと考えたからである。

「そっち終わった」

 みずきから問われ園馬祥子が手を上げる。

「終わったみたいだよ。たぶんだけど」

「あたし、確認してくる」

「いいけど、一人でどっかいっちゃ駄目だからね」

「わかってる。建物の裏の方を確認したら、すぐ帰ってくるから」

 そう告げて、みずきが建物の周囲を見回す。

 他に人影は見当たらず、あとは自分達が避難するだけだった。

 その時何かが動いたような気がして、みずきが足を止める。

 広大な駐車スペースの片隅に一台の軽乗用車が置き去りにされており、その車内に人の気配を感じたのである。

 おそるおそる近づき中を覗き込むみずき。

 途端にその表情が変わった。

 後部座席に樹神雅の姿があったのだ。

 雅はシートにもたれるように身体をうずめ、眠っているようだった。

 息を飲んで見守るみずきの眼前で、雅が苦しそうに顔をゆがめ、うっ、とうめく。

 それがみずきの呪縛を解き放った。

「大丈夫ですか!」

 ロックされていないスライドドアを開き、雅の手を取ろうとした。

 すると倒れかかるようにみずきへと抱きつく雅。

 きょろきょろと周囲を見回し、みずきは振り返って大声をあげた。

「しょーこー! こっち来てー!」

 それから携帯電話を取り出し、光輔を呼び出した。

「穂村君、大変なの。今……」


「本当なの、夕季」

 司令室特設スペースで連絡を受け、小田切ショーンと三田隆治が耳をそばだてる。

 桔平とあさみが抜けた今、司令部の中枢には忍を含めたその三人の姿しかなかった。

 通話を継続しながら、忍が三田の顔色をうかがう。

「樹神雅が見つかったそうです」

「本当か!」

 いきり立つショーンを制し、三田が冷静に事を受け止めようとする。

「彼女の様子は」

「はい、かなり衰弱している様子で、とてもコンタクターが務まるような状態ではないそうです。今、医務室で処置を受けています」

「そうか」

「それから……」

 難しい顔で思案する三田に、忍が続けてうかがいを立てる。

「夕季が出撃の許可を求めています。真偽は不明ですが、彼女が言うにはガーディアンへの集束自体はコンタクターがいなくても可能なのだそうです」

 それに三田は答えようとせず、黙って忍の顔を見つめるだけだった。

 三田同様困惑の表情を浮かべる忍には、三田が何を言わんとしているのかがわかっていた。

 今回のミッションはこれまでとは比較にならないほど高密度でタフなものになる。ただ集束するだけではとても勝算など見込めたものではないからだ。ましてやコンタクターのいないガーディアンに過度な期待が持てようはずがないことは誰の目にも明らかだった。

 それを夕季に告げたところで黙って従わないことも。


 夕季は医務室で寝入る雅の様子をまばたきもせずに見守っていた。

 その頬はげっそりとこけ、今にも息絶えんばかりの重病人のようだった。

 夕季は複雑な胸中のまま、ただ雅の顔を見つめていた。

 夕季にはわかっていた。

 己が死のふちから再び戻ってこれたのは雅のおかげであることを。

 それを問いただすことも確認する気持ちも一切ない。

 せめて感謝の気持ちを笑顔で表したいがために、目覚めの時まで見守りたかったのである。

 だが今の夕季にはその猶予はなかった。

「ゆうちゃん……」

 振り返り、心配そうに見つめるみずきに微笑みかける。

 みずきのそばには園馬祥子もおり、二人は雅の看病を引き受けてくれていた。

「みずき、ありがとう。園馬さんも」

 それに二人が頷いた。

 みずきには医務室から出ようとする夕季に言わなければならないことがあった。

「いっちゃうの、ゆうちゃん」

 黙って夕季が頷く。

「まだ身体の調子よくないんだよね。それでもいかなくちゃいけないの」

「あたしなら大丈夫。みやちゃんに助けてもらったから」

 寝息を立てる雅の方へ顔を向ける。

「あたしはあの時死んでいてもおかしくなかった。それなのに今こうして生きていられる。それがどれだけありえないことなのかくらい、誰だってわかっているはず。奇跡なんかじゃない。あたしに命を吹き込んでくれた人がいるから。信じられないかもしれないけれど、それができるのはそこにいるこの人だけなんだとあたしは思う。みやちゃんのおかげで、あたしはまたみんなと会うことができた。みんなの笑顔を見ることができた」

 みずきが頭を振る。

「信じるよ。後から穂村君からもいろいろ聞いてびっくりした。竜王の力なんじゃないかって言う人もいたけど、だったらゆうちゃんがそんなことになるはずがないもの。あたし達にはわからないけれど、ゆうちゃんのことをどうしても助けたかった誰かがそうしたんじゃないかってみんな言ってた。穂村君も」

「光輔」

「うん。穂村君にはわかってたみたい。きっと樹神先輩なんじゃないかって。ゆうちゃんには言わないでって言われてたけど」

「……。みやちゃんはあたしをまた死なせるために助けてくれたわけじゃない。でもあたしがどうするのかもわかってたはず。それでも助けてくれた。今度はあたしがそれをしなければいけないと思う。あたしみたいに、みやちゃんがまたみんなの笑顔を見られるように」


 桔平は母、詠江からの連絡を受け取りながら、荒れ狂う白波の彼方に目線を向けていた。

「待たせたな、お袋。ちょっと立て込んでてよ」

『今、大丈夫かい』

「ああ。そっちはどうだ。大丈夫か」

『こっちの方は今のところはなんともないよ』

「兄貴達は」

『いろいろ後始末が忙しいから連絡は控えるって言ってたよ。二人とも元気そうだった』

「そうか……」

『……。桔平……』

「ああ、大丈夫だ。この回線は独自のものだから」

『そうかい……』

「正月、奴らも連れてそっちにいくって言っちまったがやっぱ無理そうだ。悪い」

『そんなのいいよ。大変なんだろ』

 取り立てて気にかける素振りも見せず、常なる調子で二人が会話を続ける。

「ん、ああ。ちょっとな。たいしたことはねえがな。今のごたごたが落ち着いたら、また一度帰るわ」

『ああ、待ってるよ。しっかりやんな』

「ああ。……。またな……」

 ふいに口ごもる桔平。

 それを何事もなく受け止め、詠江はまるで目の前に笑みが浮かび取れるほどの包容力で桔平に返した。

『あさみちゃんや忍ちゃん達も連れといで。みんなの分もだら焼き作っておくから』

「ああ、頼む。……じゃあな」

『ああ……』

 それが互いに最後の会話になるだろうということを薄々感じ取りながら。

 続けざま、忍からの緊急連絡を桔平が受け取る。

「なんだ」

『郊外のエリアに大量のインプの反応を確認しました。メック全部隊はいつでも出撃できます』

「インプだけか。ベリアル本体は」

『今のところインプだけです。当面こちらには影響がないようですが、数が尋常でない上に出現範囲がかなりの広域に渡っています。すべて殲滅は困難かもしれません』

「メックには人命救助を優先させろ。無理に戦う必要はない。状況を掌握したらすぐ戻るように伝えてくれ」

『はい。光ちゃんと礼也もスタンバイしていますがどうしますか』

「メックにだけいかせろ。奴らはここの最後の砦だ。大一番の前にゃベストな状態でいさせたい」

『夕季のことですが、まだ……』

「三田さんにも言っといたが、今の戦力を最大限に活かすためにはコンタクターの存在が不可欠だ。夕季にはコンタクターに専念してもらう方がいいだろ。あいつにもそう言っとけ」

『そのことなんですが、さっきみやちゃんが見つかりました』

「何、本当か。どこにいた」

『基地のはずれの駐車場です。自分の車の中で気を失っているのをみずきちゃん達が見つけてくれたんです』

「そこなら何度も探したはずだろ。みっちゃんの車だってずっと動いた様子はなかった。今までどこにいってたんだ」

『はい……』

「まあいい。で、どんな様子だ。気を失ってたって」

『それがかなり疲弊しているみたいで、まだ目も覚まさない状態です。とてもコンタクターが務まるコンディションではないかと』

「そうか。やっぱり夕季に頼るしかないってことだな。わかった」

『ですが、水杜茜とは依然として連絡が取れません。どうしたらいいですかね』

「そりゃそうだろ」

『はい?』

「なんでもない。そっちは俺にまかせてくれ」

『はい……』

「とにかく夕季やみっちゃんには絶対に無理はさせんな。いいな」

『はい。三田さんにかわりますか』

「いや、いい。必要なことはすべて伝えてある。おまえ達は三田さんの指示に従って動いてくれ」

『わかりました』

「頼んだぞ」

 通信を終え、辟易した表情をそむけた。

 司令塔の役割を三田に任せ、桔平は一人別の方角を見据えていた。

「ゴモリーを除くバケモノ全部がここにやって来ようとしている。一体だけとはいえ、足止めしてくれてるメガと綾っぺ様々ってとこだな。さて、と」

 荒れ狂う海上と鈍色の空を見渡し、振り向くことなくそう告げる。

 そこに誰がいるのかを知るように。

 振り返り笑いかける先には、表情もなく立ちつくす水杜茜の姿があった。

「待たせたな」




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