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第四十話 『カタストロフィ』 5. 誰かの呼ぶ声


 

 多国籍軍によるデリー総攻撃は秒読みの段階に到達していた。

 総勢五十万を超える関係人員と、一万両以上の車両を中心とした陸上兵力、三千機以上の航空機、五百隻もの艦艇が、テロの巣窟とされる地域に向けて展開していた。

 その戦力差は、大量殺戮兵器の可能性を加味しなければ、たった一人の凶悪犯を逮捕するために完全武装した国中の全警官を導入すると揶揄されるほど徹底的なものだった。

 言うまでもなく、惜しみなく投入された米国主力部隊が目指す先には、メガル・デリー支部があってのことだった。


 みずきから離れて通り抜けていく夕季の後ろ姿を、曽我茂樹が静かに目で追う。

 いつもとは違うその様子を、少しだけみずきが気にかけてみせた。

「どうかしたの」

「ん」と、振り返る茂樹。「いや、なんかさ。古閑さん、ますます美人になったなって」

「うわ、キモ」

「自分で聞いといてさー! もーさー!」は~、とため息をついてから、やや自虐気味に笑った。「なんかさ、前はちょっと話しかけても、あんま嬉しそうじゃないっていうか、無理やり笑ってくれてるみたいなさ、なんか困ったようにっていうか……」

「嫌そう」

「嫌そうでもいいけどさ! ……いっしょ懸命話を聞いてくれてるのは嬉しいんだけどさ、なんかやっぱ無理してる感じがありありでさ」

「何が言いたいの」

「だから! ……なんか最近、自然に笑ってくれてるような気がして。気のせいかもだけどよ」

「気のせいだよ、ぜったい。ぜったいだよ、きっと」

「ぜったいでもきっとでも、別にいいんだけどよ!」少しだけ照れたように続ける。「やっと友達だって思ってくれるようになったのかなって」

「そんなのぜんぜんだってば。ぜんぜんだよ。間違いないよ」

「いやいやいや、そうとも言い切れませんぜ!」

「だっておこがましいよ。曽我君ごときが。おかしいと思わない?」

「ひゃー! なんのためらいもなく言い切った」

「なんのためらいもないよ」

「しかもそんな純粋な瞳で見つめて」

「ほくろから毛が出てるから」

「知らないんだな、そんなこと言ってる間にどんどん二人の距離が接近していることを。え? マジで出てる? どこ」

「何かあったの。んっとね、鼻のとこの」

「……食べる? って、アメくれた」

「ええ~、ショック!」

「なんで!」

「わかんない!」

「いや、抜かなくてもいいから!」

「だって!」

 苦笑いの茂樹を、みずきがまじまじと眺める。

 それからほんの少しだけ気遣う素振りを残しつつ、ずばりと言い放った。

「もう、あきらめたら。ゆうちゃん、好きな人いるんだよ」

「!」

 カッと目を見開いてから、また茂樹が自嘲気味に笑う。

「そっか。なんか安心したよ。古閑さん、男なんて興味がないのかって思ってたから」

「……」

 口もとに手を当て、引き顔になるみずきに、茂樹が慌てて補足する。

「……あ、いや、そういう意味でなくって、まだってこと。古閑さん、忙しそうで、友達と遊んだりする暇もなさそうだから……」

「ふ~ん……」

「ふ~ん、って……」

 みずきが、うん、と頷く。

「ねえ、もしゆうちゃんと穂村君がつきあっちゃったらどうかな」

「好きな人って、光輔なんかよ!」

「もしだから」

 それは自分自身に言い聞かせるふうでもあった。

 しかし、それを理解するまでもなく、茂樹はごく自然にみずきと同じ表情になった。

「……。しかたなねえかな、あいつじゃ。……う~ん」

「しかたねえよね……」

 みずきも少しだけ淋しそうに頷いた。


「柊副司令。緊急通達よ」

 司令部で進藤あさみに声をかけられ、険しい表情で桔平が振り返る。

 表向きの呼び名である副局長でなく、副司令を使用したことがひっかかった。

「最優先事項だから、そのつもりで」

 極めて真剣な表情であさみがそれに続けていった。

「ついに始まったわ」


 夕季がメガルの異変に気づいたのは、桔平の態度によってだった。

 いつもなら顔を見るなり、シモネタを織り交ぜたダジャレの連発で失笑を買うはずの桔平が、一瞥のみでやりすごそうとしたからである。

「桔平さん」

 夕季に呼びかけられ、ようやく顔を向ける桔平。その表情は夕季があまり見たことのないものだった。

「夕季か」

 いかにも気づかなかったと言わんばかりの物言いに、確認する余裕すら失せていたと夕季が理解する。

「何かあったの」

「いや……」何かを噛みしめ、気持ちを改める。「例の多国籍軍の件だ。またアメさんが資金援助を要求してきやがった。政府としても断る理由がないんで、こっちにもいくらか負担させようってハラらしい。これから緊急会議だ」

「……」口を真っ直ぐに結ぶ。「またケーキ、食べに行く?」

「……」

 面食らったような顔の桔平に、夕季がすかさずフォローを入れる。

「落ち着いてからでもいいけど。気晴らしにどうかなって……」

 夕季の方からそんなことを言うのは初めてだった。おそらくは何かを感じ取っていたであろうことに気づき、桔平もその気遣いを無にしないように繕った。

「今少しばたばたしててよ。来週でいいか」

「……うん」

 目を合わせたままで、夕季がゆっくりと頷いてみせた。


 コンビニエンスストアでたまたま忍と鉢合わせし、夕食用の弁当を買ってもらえることとなった光輔が愛想を振りまく。

 ごきげんのまま店の外に出て、今にも落ちてきそうな曇天を見上げた時、ふと気にかかっていた言葉が口をついた。

「夕季、何かあったの」

「何かって」

 車に荷物を収納しながら不思議そうに振り返った忍の直視に、光輔がやや気後れする。

「なんだか、様子が変だったからさ」うん、と口を結んだ。「自分が死んだらとか言ってたし。あいつらしくないなって思って」

「……」途端に気弱な顔つきに変わる忍。「そんなこと言ってたか、あいつは……」

「うん。どうしちゃったんだろ、急に」

「乗んなよ、光ちゃん。送ってくから」

「え、でも近いし」

「いいじゃん、ちょっとドライブにつきあって」

「夕季、待ってない?」

「あいつなら、今日メガルに寄ってくって連絡があった。雨が降りそうだから、後で迎えにいくつもりだけど。ちょっとだけ、ね」

「うん、いいけど」

 車に乗り込むと同時に、雨がぱらつき始める。

 そこで忍は、それまでのことを光輔に話し始めた。

「え! それって言ったの、夕季に」

「言えるわけないじゃん、そんなの。こっちだって見たくて見てるわけじゃないのに。……あの子が死ぬ夢なんて」忍の表情が曇りだすのに合わせて、降りが強まってきた。「一回や二回じゃないんだよ。毎回パターンは違ってるけど、必ず最後は……。ここまでくると、さすがに何かあるのかなって考えちゃう。自分でも駄目だってわかってるけど」

「……」

「そういうのって、やっぱり何かあるのかな。心の深いところにある心配事とか」

「しぃちゃんはそうなってほしいの」

「!」

 いつになく不快げに、目線だけを忍が向ける。その先にある光輔の顔が真剣だったため、すぐに頭が冷却した。

「そんなわけないでしょ」

「だったらさ、そうなってほしくないって強く思いすぎてるせいでしょ。心配しすぎて、気になってしかたないから。それだけ、しぃちゃんと夕季のつながりが強いってことだよ」

「……。そうだね、きっと……」にっこり、いつもの笑顔に切りかわる。「変なこと言ってごめん。このこと、あの子には言わないでね」

「あ、うん」

 租借しきれない様子で光輔が頷く。

 だが光輔は気づいていた。

 忍が一瞬沈黙の中に逃げ込んだことを。

 そしてそれが二人の共通の憂慮となったことも。

 可能性を捨てきれないため、ないとは言い切れない心配だけが嵩んでいくのだと。

「光ちゃん、誰かに名前呼ばれてる気がしたことない?」

 ふいに発せられた忍からの問いかけに、光輔の目が見開かれる。

「ある」

「やっぱり」忍に驚きはなかった。「あたしも。時々そういうふうに感じることがある。夕季もなの。ずっと前からだけど、誰かに名前を呼ばれているような気はしていたみたい。綾さんも前にそんなこと言ってたな。あれは誰の声なんだろ」

 光輔からの返答がないことが気にかかる。

「光ちゃん……」

 光輔は土砂降りとなった雨空の向こうを、何も言わずにずっと眺め続けていた。


 何もない道の途中でみずきが振り返った。

 急に振り出した土砂降りから逃れるべく、バス停に避難した直後のことだった。

 それを一緒にいた祥子が不思議そうに覗き込む。

「どうかしたの」

「……別に」

 みずきがそう答えたので、腑に落ちない顔つきであったが祥子がまたもとの姿勢に戻る。

 だがみずきはずっとその姿勢のまま、同じ方向を見続けていた。


 海岸沿いに設置された、メガル陸揚げ部所の先端に二人の姿があった。

 木場の顔を確認するなり、桔平がその口を開く。

「ベリアルが発動した」

 絶叫のような大雨が、二人の全身に覆い被さろうとしていた。





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