第四十四話 『残されたモノ達』 10. たった一つ
「桔平さん」
司令室を出て行く桔平を見かけ、夕季が声をかける。
何か言いたそうなその様子を察し、桔平から笑いかけた。
「水杜って子、いなくなっちまったんだってな。でもおまえが無理する必要はないからな」
「あたしなら大丈夫。戦える」
「まだ駄目だ」
「もう全然大丈夫なのに……」
「バカ野郎。おまえは本当なら半年以上寝てなきゃならないような重症患者なんだぞ。今ここでこうしていることが不思議なくらいだ。だからよけい不安なんだ。いつコロッといっちまうか、見当もつかん。とにかく俺がいいと言うまでは、竜王に近づくことも禁止だ」
「桔平さん」
「駄目だ」
夕季の言葉を察して、桔平が先手を打つ。
「おまえらは俺達の切り札なんだ」
「でも……。……切り札って、戦力としてだよね」
「他に何がある」
「……別に……」
「奇麗ごとを言っていていいような時期は過ぎた。自分達を守ることに執着することが、俺達が生き延びるために必要な選択だ。今の俺達には世界中の人間を守る力はない。おまえが大切だと思う人間を守ることに集中しろ。その上で少しでも被害を減らす選択を考えるんだ。そう聞かされてなかったか、光輔から」
「……」
「俺達にとっての勝利はこれ以上誰一人欠けることなく、この世界に平穏を取り戻すことだ。おまえはそのための大事な切り札だ。おまえだってもうしの坊や友達の悲しそうな顔を見たくないだろ。そのために俺達は全員戦力であり続けなければならない。みんなを守るためのな」
「……」
「とにかくおまえはメガルで待機していろ。水杜茜は俺が探し出す。いいな」
その真剣なまなざしを真正面から受け止め、夕季は了承せざるをえなかった。
曇天の空の下、外敵の急襲を告げる警告サイレンが遠く彼方まで鳴り渡り、メガルは臨戦態勢へと突入する。
怪神達が一斉に押し寄せると告げられた暗雲立ち込める海岸に立ち、桔平はしけったタバコに火をつけようとした。
その目が見据えるものは未曾有の脅威でも世界の終焉でもなく、たった一人の存在だった。
小さな世界に光を照らした、たった一つの笑顔。
*
自分がいない世界など何の意味もないと思っていた。
自分の存在しない世界など何の価値もないのだと。
自分こそが世界そのものだと思っていた。
その外にあるものは、すべて中心にある自分にひざまずくただの衛星にすぎないのだと。
ある時、自分以外の世界があることを知った。
それが進藤あさみとの出会いだった。
「柊君っていうんだ。変わった名前だね」
その笑顔の前では、己の存在などちっぽけなものだと感じるほどだった。
自分の存在などどうでもいいとさえ思えるほど大切なものがこの世にはあることに気がついた。
自分がいなくなったとしても守りたいと思える特別な世界が。
別々の高校に進学し、卒業を前にあさみは桔平のもとから姿を消した。
父と兄を事故で失った後で母親も病気で亡くなったため、知り合いに引き取られていったらしかった。
桔平に別れを告げる時もあさみは笑顔だった。
一人その場に残され、懐から取り出した写真を眺める桔平。
そこには木場とあさみと桔平が、仲良さげに写っていた。
桔平は木場の後を追うように、高校卒業後、自衛隊に志願した。
何年かの後、あさみから手紙が届く。
凪野の養子となり、メガルの手伝いをしているというものだった。
父と兄が果たせなかった夢の実現に向け、桔平にもそれを手伝ってほしいという内容だった。
桔平はその申し出を断った。
あさみのいる世界を守る力が今の自分にはないことを痛感していたからだった。
三雲の件で除隊が決まっていた木場が、桔平に笑いながら告げた。
「桔平、おまえこの先どうする気だ。ここに残るのか。それもいいだろう。俺はメガルに入る。進藤に誘われたんだ。いずれ妹も引き受けてくれると言ってくれた。ありがたい話だ。俺達も二年前に母親を亡くしてからは兄妹二人きりだしな。そうそうまともな就職先だって見つからないだろう」
木場の父親はひどい男で仕事もせずに酒を飲んでばかりだった。母親や木場に暴力を振るい、幼かった妹の杏子はいつも泣いていた。その心労がたたり、母親は若くして鬼籍にはいった。
葬儀場にまで金の無心のために現れた父親を木場が力任せに殴りつけたことが、決別の決め手となった。
「彼女にはずっと世話になりっぱなしだからな。少しでも力になれればいいと思っている。いくら感謝してもしきれんが、俺はその借りを少しずつ返していくつもりだ。あいつはそんなことこれっぽちも思ってもいないだろうがな……」
その眩いばかりの笑顔を、桔平は言葉もなく眺めるだけだった。
木場の除隊後、あさみの消息をたどって訪れた桔平を見つけ、木場がメガルに誘う。
桔平はその申し出に応じた。
光輔が例の事故を起こした直後のことだったが、特秘事項であるその詳細は存在ごと抹消されており、新参の桔平はおろか木場達内部の人間にすら知らされることはなかった。
一旦はメガルに入ったものの、多忙なあさみとは顔を合わせる機会もなく、電話でやりとりをするのがせいぜいだった。
そしてみるみるかわっていくあさみの姿に眉を寄せた。
しばらく静観していた桔平だったが、仲良さげに笑う三人の写真を眺めながら強く思った。
『俺はもっと強くならなければならない。どれだけ強くなれば、俺はこいつを守ることができるのだろうか……』
と。
やがて二人の前から桔平が姿を消す。
メガルに巨大な黒い影が迫りつつあることを知り、再び自衛隊へと戻ったのだ。
特殊部隊へ志願し直したのは、必要な情報を得るためだった。
あえて凪野親子の抹殺指令を受けるために。
目的を違え、二度目にメガルの人間となった桔平の前に、樹神陵太郎の姿があった。
「俺の弟分だ」
木場から紹介され、陵太郎が笑顔で桔平を迎え入れる。
「よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
なるべく人との関わりを持たないよう心に決めてきた桔平だったが、ほどよい鈍感さを持つ木場が勝手にずかずかと踏み込んでくる。
「陵太郎、こいつは強いぞ。俺が唯一手を焼いた男だ。おまえではまるで歯がたたないだろうな」
「話になりませんよ」
「何」
陵太郎の発言にはっとなったのは、木場だけではなかった。
「この人は強いですよ。見ればわかります。俺なんかとは背負っているものが違いますから」
突如として、陵太郎の胸倉をつかむ桔平。
それを木場が焦って止めに入った。
「やめろ、桔平!」
桔平に渾身の力で締め上げられても、陵太郎は抵抗すらせずに笑うだけだった。
桔平が陵太郎を解放したのは、その笑顔に調子を狂わされたせいだけではなかった。瞳の奥の悲しみを感じ取っていたからだった。
初めて苦笑いを見せる陵太郎。
「ほらね。もういろいろと見透かされたみたいです。俺なんかじゃ逆立ちしたって勝てませんよ」
「何がほらねだ!」
「あっはっはっは!」
木場が大声を張り上げると同時に、桔平がおもしろそうに笑い始めた。
それは何かを吹っ切ったような豪快な笑い声だった。
「食えねえ野郎だな。ガキのくせにしっかり見抜いてやがる。何が背負ってるものが違うだ」陵太郎を見るまなざしは、それまでとはまるで違った優しげなものだった。「何でもかんでも、てめえ一人で抱えてんじゃねえぞ。こいつはバカのゴリラえもんだが、墓ん中入っちまった奴よりゃ話しがわかる方だ」
陵太郎もバツが悪そうに後頭部をかいた。
「かなわないな。ずばっと見抜かれてるのはこっちの方ですね」
「おい、なんだ陵太郎。何を一人で抱えてるんだ。わからんぞ。俺にもわかるようにちゃんと説明しろ」木場が大事なことに気づく。「て、おい、桔平、ゴリラえもんってすごく久しぶりに言ったな! 十年ぶりくらいだろうが! 貴様! 許さんぞ!」
桔平と陵太郎が顔を見合わせて笑った。
それは桔平が知らないあさみの顔だった。
父と兄を失い、悲しみにくれながら母親もこの世から去っていった。
それでもあさみを知る人間には笑顔だけがあった。
何かが彼女を変えてしまうまでは。
「私からすべてを奪った人間を許さない」
一人ぼっちになり凪野に引き取られてからのあさみは、以前とは別人のようになっていた。
それが火刈聖宜のせいであることを桔平は承知していた。
『いつから歯車が狂いだした。それとも最初からそうだったというのか。俺達の出会い自体が……』
「彼らの懐に入り込んで殺せ」
それが火刈が桔平に下した命令だった。
「俺達の関係を知っていてか」
その問いに火刈は躊躇することなく、そうだ、と答えた。
「何故あの女まで殺さなければならない。あんたの部下だろう」
「裏切ることがわかっているからだ。そしていつか必ず凪野博士を継ぐ人間となる」
「それがわかっていながら利用するのか」
「そうだ」
「もし断ったら」
「すべてを知った貴様に断る権利はない」
それで腹が決まった。
「二年待ってくれ。それが駄目なら、今すぐ俺を殺せばいい」
殺せるものならというすごみを加えた桔平の覚悟を、火刈は意味ありげな笑みを持って受け止めた。
「わかった。二年待とう。そのかわり、必ず私が納得する答えをだせ」
「火刈がいなけりゃ、俺なんざ、とっくに潰されてただろうよ」
木場の前で桔平はそう言うのだった。
「国のトップ達をまとめて丸呑みするような輩ですら、一睨みで震え上がらせるのが、あの男火刈聖宜だ」
その神妙な顔を木場があきれたように眺める。
「そのバケモノにおまえは真っ向からケンカを売ろうというんだな」
「……。そんな気はさらさらなかったがおまえが手伝いたいって言ってくれたから……」
「言ってないな! 一度も!」
いずれにせよ、政府を巻き込んだ火刈が強制手段に出ることは、桔平にもわかっていた。
火刈にはめられたことを、進藤あさみ本人が承知の上でメガルに残ったことも。
あさみの背中を見つめる桔平の目には常にそれが見えていた。
表面上は強がりながらも、去って行く背中が桔平に助けを求めていたことを。
『助けて、助けて……』
と。
桔平があさみに絶縁状を叩きつけたのも、すべてを覆すためだった。
火刈が多数の組織と密約を交わしていることは周知の事実だった。
大国から竜王を渡すよう催促されているだけでなく、メガルそのものをも受け渡そうとしていたのだ。
オリハルコンの呼称で知られていたメガリウムの謎。精製技術。それらを得るために、凪野を失脚させる必要があった。
その見返りに世界連合の最高統括者の椅子を約束されたことも桔平は知っていた。
はなからの計算に織り込みずみである、邪魔になったあさみを殺そうとすることまで含めて。
それを知りながら、あまんじて受け入れる理由が桔平にはあった。
あさみの背中は遥か彼方に遠ざかりつつあった。それはいくら強く思っても、近づくことすら困難なほど高く厚い壁となって、二人を引き離そうとしていた。
天と地ほどの立場を一足飛びに引き戻す方法は一つだけ。
暗殺者となって、ターゲットに近づく以外方法はなかった。
あさみの命を守るために、その命を奪う立場となってつけ狙う。
己の命と引き換えにする覚悟で。
*
横殴りに叩きつけるように降り出した雨の中、これからやってくる最大の厄災を前に、荒れた海原を見据えた桔平がタバコの煙を吐き出す。
ふと目を細め、投げ捨てた吸殻を黒いブーツの底で踏みつけた。
*
その日の授業も終わり、桔平とあさみは下校の道すがら、街を練り歩いていた。
横並びというより、まとわりつくようにあさみが桔平のまわりをうろちょろしていただけなのだが。
「また遅刻して怒られたの~?」
そのからかうような笑顔に辟易したような視線を桔平が差し向ける。
「べらべらべらべらよくしゃべる女だな」
「あたしね、黙ってると顔が怖いんだって。だから無理してべらべらしゃべってるんですけど」
「嘘こけ。好きでべらべらしゃべってるくせによ」
「そうとも言う」
「いうんじゃねえか……」
満面の笑みを向け喋り続けるあさみに対し、桔平は時おりその顔をちらちら見やりながら、心のこもらない相づちだけを繰り返していた。
あさみに引っ張られるように通り道のゲームセンターに入る。
桔平の顔を確認するや、多くの学生達が目を伏せる。中には高校生までもが、一見小学生のように見えなくもない桔平から顔をそむけた。
桔平が、ケッと顔をしかめる。
すると横からあさみの陽気な声が聞こえてきた。
「すごいすごい。柊君、嫌われまくってるね」
「うるせえよ、おま……」
「あー!」
あさみの絶叫に桔平の声がかき消される。
目を輝かせながらあさみは桔平の袖を引いて歩き出した。
「あれ。あれ、取ってよ」
桔平が顔を向ける。
場内の隅にターンテーブルの上にある景品をアームで落とすケースがあった。その中の腕時計をあさみが指さしていた。
「ねえ、お願い」
「ああいうのはな、取れねえようになってんだよ」
「大丈夫。君なら取れる。そういう才能がある。がんばれ」
「どういう才能だ」けっ、と眉をゆがませる。「なんであんなモンがほしいんだよ」
「あたしじゃないよ。あれを必要としている人がこの世界にはいるの」
「どうせどっかのバッタモンだろうし、そんなの貰ったって誰も喜ばねえぞ」
「でも高級腕時計だって書いてある。十年保証って」
「ウソに決まってんだろ」
「う~ん」未練たらたら、首を傾げる。「そうかなあ。きっと喜んでくれると思うんだけどなあ」
「どこのビンボー人だ……」
とある噂を桔平が思い出す。
あさみが上級生の木場雄一とつき合っているらしいというものだった。
桔平が唯一勝てなかった相手でもあった。
「とにかく取って。金は私が出す。がんばってくれたまえ」
「たりまえだ!」
「でも取れなかったら自腹ね」
「なんの自腹だ!」
「あ~いえばこ~ゆ~」
「どっちがだ!」
千円ほどつぎ込んで使ってようやく手に入れる。苦労して手に入れた景品をあさみにぽいと渡した。
「ほらよ」
「わあ、すごいすごい」
複雑そうな表情になる桔平。
それをまるで気にとめることもなく、あさみはたった今受け取ったばかりの自称高級腕時計を桔平へと差し出した。
「はい」
「!」
「プレゼント。柊君、時計持ってないでしょ」
「……」照れ臭そうにそっぽを向く桔平。「こんなモン、すぐ壊れちまうよ」
「壊したら絶交だよ」
「!」思わずむっとする。「てめえみてえな口やかましい女と縁が切れるんなら望むところだ」
「本当に」
それが真顔であったため、桔平の心臓がドクッと音を立てた。
すると、言葉もない桔平を、あさみが楽しそうに笑い飛ばした。
「これからは時間守らなくちゃ駄目だからね」
「……」
吸い込まれるような笑顔を前に、桔平はそれから先のことを何も覚えていなかった。
「いや~、よかったよ。本当は誕生日に二万円くらいの本当の高級腕時計をプレゼントしようと思ってたんだけど、たった千円で手に入った。おかげで……」
*
雷まじりの土砂降りの雨の中、すでに動くことを放棄した時計を物憂げに眺め、桔平が火のつかないタバコの先にライターを近づけカチカチと機械的に鳴らし続ける。
そのまなざしに迷いはなかった。
『俺が守りたかったものは、今も昔もたった一つだけ……』
続く




