第四十四話 『残されたモノ達』 9. 無責任な男
「どうするつもりだ」
朴の目を見つめたまま、桔平が顔に焦りの色を浮かべる。
「だからそれをずっと考えてたんだけどね」
朴が桔平の眉間をポイントした。
「昨日火刈さんから、桔平さんを殺せって電話があった。桔平さんもあの人から命令されてるんでしょ。進藤さん殺せって。正直、他にも問題が山積みでいっぱいいっぱいなんだけど、上の言うことには従わなくちゃね。ま、一つずつだね」
「だったら、今俺を殺したらマズイだろ。誰があさみを処分する」
「またまた、どうせそんな気もないくせに。上の人達だって最初からそんなのあてになんかしてないよ。桔平さんが局長さんを殺せるはずがないってことは、あの人だって最初からわかってたはずだよ。できっこないよね。愛しちゃってるんだから。たぶん桔平さんが裏切るだろうからって言ってたよ。だから僕に桔平さんを殺せなんて言ってきたんだよ。まったく迷惑な話。まあ、この際あの人のことだってどうでもいいんだけどね。一応スポンサーでもあるから」
「殺す必要がないだろ。あいつはもう用済みだ」
それまでと変わらない口調で続けながら、朴は再び大画面のモニターの前に向かった。
「だよね。でもいられると困るみたいだよ。火刈さん、凪野博士の持ってたものが欲しかったんじゃないかな。だけど彼女はそれを渡す気がないみたいだし、あの人もソレイマンに関わってる以上、そういうとこしっかりしとかないとヤバいんだってさ。たぶんだけど、それも言い訳で、本当は浮上島のことを黙っておきたいんじゃないかな。信じてないのか、仲が悪いのか、ソレイマンには浮上島のことを知られたくないんだよ。でも進藤さんが浮上させようとしているから、殺せってことで。本当はそれ桔平さんの仕事なんだけど、桔平さんがやらないから全部僕にまわってきちゃうんだよね。ほんと、いい迷惑」
「一つ教えてくれ」
「何」
「浮上島には何がある。あんたがいう、切り札ってのはなんなんだ」
「ソレイマンが欲しがっていて、絶対にソレイマンには渡しちゃいけないものってとこかな」
「それをあんたはソレイマンに渡そうとしているってわけか」
「ピンポン。約束だからね」
「凪野博士が使わなかった理由は」
「たぶん、使っちゃいけないものだからだろうね。使うと本当にこの世界そのものがなくなっちゃうかもしれないとか」
「わかんねえな」
「何が」
「そんな凪野博士が最後まで使うのをためらったような危険なものを、なんで俺達に使わせようとするんだ」
「どうだろうね。もうどうでもよくなったのか、桔平さん達なら使いこなせると思ったのか、死んじゃった人の考えることなんてわからないよ、僕には」
「……」
「あ、冥土のみやげにいいもの見せてあげるよ。さっきも言ったけど浮上島の起動操作って超絶難しくて、博士以外の人間がやろうとするとまず失敗するようなシステムになってる。仕方ないね。もともとは自分達以外の誰かに触らせるつもりだってなかったんだから。それ自体がハッキング対策の迎撃システムになってるようなものだろうね。博士達以外の他の人間だとほぼ絶望的。ていうか、誰がやってもまず無理。それくらいシビアな操作が求められるの。成功確率は一パーセントはるかのはるかのそのまたはるかの未満ってところだろうね。そこで登場するのがこれ」
大き目のスマートホンのようなものを二つ差し出す。
「浮上島の制御システムに擬似的に博士ともう一人の人だって思わせる装置。僕が作ったの。これを使えば、成功確率を五十パーセント近くまで上げることができる。とはいってもシステムが勝手にキーの保持者だと勘違いしてくれるのを期待するだけなんだけどね」
「なんでそんなものをあんたが作れたんだ」
「分散システムのメンテナンスプログラムの一部を構築したのが僕だからだよ。ある人に頼まれてね。その時にある程度トレースしておいたのが役に立った。それでもシステムを改めて根幹から解析するのはかなり難儀だったけどね。やっとこ、それだけの確率になった」
「それでも半々か」
「そ。一か八か。仕方ないよ。それと、二人の息がぴったり合ってないと駄目だけどね。たとえば局長さんと桔平さんとかね。息、ぴったりでしょ。疑われてもしょうがないよね」
「……」
「このデバイスを使っても成功させるのは極めて難しい。ま、実際難しいのはどちらか片方で、主導する方に合わせるのがシビアって感じかな。でも息の合った二人ならなんとかなるかもしれない。それが一番の悩みどころだったんだよね、ほんとに。最後の最後までね。桔平さんがいなくなると淋しいよ。これ、ほんとだよ」
「……ああ」
「じゃあ、そろそろってことで」
「……。最期に一服くらいさせてくれよ」
「しょうがないね。でもいいか、最後くらい」
朴が懐から取り出したタバコを桔平にくわえさせ、自らも一本くわえて火をつける。
「おい、火」
「自分でつけてよ」
「ふざけるな」
うまそうに紫煙を噴き上げてから朴がおもしろそうに笑ってみせた。
「本当にしょうがないね、桔平さんは。やれやれだよ……」
ふいに朴が部屋の入り口に向けて発砲する。
五発の発射音のうち、中間の三発は反対の方向からのものだった。
椅子ごと崩れ落ちる朴を横目で眺めつつ、桔平が立ち上がる。
何の制約も受けない機敏な身のこなしで、傍らに置かれたサブマシンガンを室外目がけて撃ち放った。
気配が途切れ、出入り口を確認した時は、すでに刺客の影は跡形もなかった。
「桔平さん……」
うめき声に気づき、朴へと駆け寄る。
抱き起こした朴の腹部からは大量の血液が流れ出て、青白い顔に脂汗を浮かべていた。
「もうちょっとだったんだけど、しくじった。装置をキャンセルした途端に撃たれるんじゃないかって思って、あれこれ考えすぎちゃったせいかもね……」
「もういい、しゃべんな」
応急手当の止血を施すも、出血が止まる様子はなかった。
「ごめん、一緒にいけなくなった」
「気にすんな」神妙な様子で朴を見つめる。「どうしてだ」
その問いかけに、苦しみながらも朴は笑ってみせた。
「どっちにしようか最後まで迷ったんだけどね。桔平さんが生きてた方がおもしろいかなって思って」
「最後まで迷ってんじゃねえよ。こっちゃ、迷わずあんたの息の根止めるつもりだったんだから」
「やっぱり悪人だね、桔平さんは。途中から桔平さんがぴくぴくし出したから焦っちゃってさ。どういう肉体構造してんの。変態だよ。おかげでこのざまだよ」
「すまん。外で気配がしたんで俺も余裕がなくなってた」
「ほんと、残念。桔平さんとなら息ぴったりだったんだけど。ここだけの話、ジョージとドロシーってできてたんだって」
「気色悪いこといいなさんな」
「僕もそう思う。僕は奥さんひとすじだからね」震える指先で、テーブルの上を指す。「やり方、あそこのファイルに書いておいたから。間違ってはないと思うけど、失敗しても僕のせいにしないでね。あくまでも五分五分だから」
「ああ……。ありがとう、朴さん……」
桔平の腕の中で、朴が満足そうに笑う。
見えざる何かを見据え、桔平が目を細めた。
その時、プログラムの急襲を告げる緊急警報が場内に鳴り響いた。
「三田さん、後は頼む」
桔平に頭を下げられ、三田が難しそうな顔を向けた。
「わかっているのか。私では、我々では君のかわりにはなれない」
それをおもしろそうに笑い飛ばす桔平。
「かわりになれなんて言ってない。あんたはあんたのやり方でやってくれ。最初から全部丸投げするつもりで俺はあんたを選んだんだからな。わかってるくせに」
三田にタバコを手渡し、自らも一本くわえた。
「無責任な男だ」
受け取ったタバコを三田がくわえる。
「だから引き受けたんだろ。あんたじゃなきゃ駄目だってわかってたから」
「都合のいい解釈だな」
「どうとられたってかまわねえさ。これであんたとは上司でも部下でもない。敬語もさんづけも禁止だ」
「そうか、わかった」
三田のタバコに火をつける桔平。
「頼みましたよ。三田さん」
「敬語は禁止だと今言わなかったか、柊」
「いや、それは俺の方が……」
「ならば私の解釈違いだ。話を受け取るのは保留とさせてもらう」
「わかったよ。頼んだぜ、三田さん」
「さんづけも禁止だ」
「そりゃおかしいだろ……」
苦笑いの桔平。
それから二人同時に、ぷふうと紫煙を吐き出した。
「後は頼んだぜ」
「あいわかった」
格納庫にずらりと並んだパワードスーツを眺め、木場が嘆息する。
三田の部下達が、綾音から譲り受けてきたものだった。
実戦で使用するのには、まだ準備不足だった。
雅の所在は依然として不明だった。
水杜茜との連絡も取れないため、夕季をコンタクターにしての集束も望めない。
メック・トルーパーにできることは、極めて限定的なものに制限されていた。
まなざしに覚悟を宿した木場に、ある声が呼びかける。
「木場さん」
大沼だった。
その顔を確認し、木場がふっと笑った。
「今度こそは、本当に最後かもしれんな」
「……」
「だが俺は最後までメックの隊員であることをまっとうしてみせる」
「木場さん……」
大沼が口もとを固く結ぶ。
絶望するように目を細めた理由は、ついさっき火刈から伝えられた指令によるものだった。
*
その連絡を受け取ると同時に、大沼の全身に衝撃が走った。
ついに恐れていたことが起こってしまった。
『木場雄一を殺せ』
それ以上の火刈からの説明はなかった。
大沼がメガルに配置された理由は、メック・トルーパーの事実上のリーダーである木場を監視し、その存在が許容範囲を超えた場合に排除しろというものだったからだ。
それでも一縷の望みをかけて、撤回を試みる。
「凪野博士なき今、メック・トルーパーは氾濫因子として機能することはありません。むしろ我々にとっての手駒として貴重な戦力となるはずです。その柱であり原動力でもある木場雄一の存在を失えばメック・トルーパーの戦力が明らかに低下するはずです。今、彼を排除することが得策とは私には思えませんが」
火刈に対し絶対服従を貫いてきた大沼にとって、それは始めての進言だった。
その秘められた想いすら見抜いたように、火刈が全否定する。
『すべてが取るに足りない。今必要なのは戦力ではなく、多面的な揺さぶりからの混乱に乗じてメガルを物理的に消滅させることだ。それが最優先であり、その是非こそが明暗を分ける重要なポイントとなる。わかるな、海野』
「……」
曇天を仰ぐ大沼の悲痛な表情は、この世の終わりにも匹敵するものだった。
*
「木場さん……」
振り返った木場が、大沼の思いつめた表情から何事かを感じ取る。
「なんだ、大沼」
「言わなければならないことがあります」
「今でなければならないことなのか」
「はい。もし今言わなければ、もう二度と伝えることができないかもしれません。俺は……」
「言うな」
大沼の声を遮る木場。
それで大沼はすべてを察した。
「いつからそれを」
「ずっと前からだ。尾藤から聞かされた」
「……」思わず絶句する。「そんなに前から知っていたんですね。ならどうして今まで」
「そんなことはどうでもいいことだ」
そう言って笑った木場の顔を、大沼は眩しげに眺めていた。
「何故……」
途切れた空白を繕うように、ようやく木場が重い口を開く。
「それでいいと思った。もしおまえが俺を殺すのなら、それなりの理由があるはずだろうからな。おまえが出した結論ならば、俺は正しいと思っている。俺にとって、おまえがかけがえのない仲間であることに変わりはない。だがこれだけは受け入れてほしい。おまえがそうであるように、俺にもまだすべきことがある。頭のいいおまえならそれくらいわかるはずだ」
大沼が何かを告げようと小さく口を開きかける。
その時、二人の背後から銃撃音が鳴り響いた。
「木場さん!」
木場を押しのけ、大沼が応戦する。
相手もかなりの手だれのようで、なんとか追い払ったものの、大沼も深手を負うこととなった。
「大沼、大沼!」
駆け寄る木場に、大沼が余裕のない笑みを差し向ける。
「……すみません、こんな大事な時に……」
「そんなことはいい。早く手当てを。おい! 誰か、来てくれ!」
「これでいい……」
木場の腕の中で、大沼が嬉しそうに笑い、ゆっくりと目を閉じた。
尾藤秀作は薄暗い通路を一人歩き続けていた。
頬はこけ、目つきは鋭く研ぎ澄まされ、かつてのたたずまいとはまるで異なっていた。
*
一人で入室してきたその影を確認し、火刈はにやりとした。隣に立つ波野しぶきとともに微動だにせず、机の上に片肘をついて口もとだけをほころばせた。
「心は決まったか」
火刈に問われ、その人物がくぐもるような平坦な口調で答える。
「もう一度チャンスを下さるのですね」
「返事はイエスかノーでいい」
「必要ありますか。すべてをわかった上で俺を呼んだのでしょう。あの時と同じように」
再びにやりとし、その男、尾藤を見据える。
「君の純粋な憎しみは何よりの武器となる。ターゲットの誘導はすでにすませてある。あとはその憎しみを開放するだけだ……」
*
殺意を宿したまなざしが見据えるものは、復讐だった。