第四十四話 『残されたモノ達』 4. 風邪をひいた地球
ふいに木場が難しい顔になった。
「問題は、何故奴が我々を滅ぼさんとする勢いで襲ってくるのかだが」
驚いた顔つきで桔平が木場へと振り返った。
「おまえ、いたっけ」
「いただろうが!」
「いや、ぜんぜん存在感なかったぞ。なあ、しの坊」
「確かにおとなしかったですね」
「おまえまで……」
「あ、そういう意味じゃなくて、静かにお話が聞けていたっていうか、お行儀よかったっていうか、ちゃんといい子にしてましたよね!」
「く……」
木場が恨めしげな顔をそむけた。
「難しすぎて聞くのが精一杯だった……」
「人類がベリアルにとってのプログラムのようなものだからじゃないでしょうか」
無意味なやりとりを見事にスルーし当然のように受け答えする三田に、木場が毒気を抜かれる。
「我々の方が、ですか」
「見当違いもはなはだしいな」
「ですよねえ」
「そうとも限りません。我々がプログラムと聞くだけで排除すべき存在だと認識するように、ベリアルも何者かにそう刷り込まれたのかもしれませんし」
「そうきたか。で、何者かって誰だ、三田さん」
「そこまではわかりません」
「だよな!」
忍が神妙な顔になった。
「私達は、そんなにひどいことを彼らにしてしまったのでしょうか。滅ぼされなければならないほどの強い怒りを抱かれるような」
ふと口をついた忍の疑問に、他の面々が不思議そうな顔を向ける。
とりわけ誰より驚いた表情を向けたのは三田だった。
妙なプレッシャーを感じ、焦ったように忍が補足する。
「あ、あの、人類が地球の環境を破壊してしまったから、ベリアルは目覚めたわけですよね。凪野博士達の操作はあったかもしれませんが、遅かれ早かれそうなっていたでしょうし」
「……」
「ほら、こうなったのも私達のせいなんですよね。私達が地球を汚染して、だからそれに怒ったからプログラムが起動したわけで、えっと、このままだと地球が駄目になるって感じたわけですよね! 人類のせいで」
「ベリアルが、でしょうか」
「そうです!」
桔平と忍が渋い顔を向け、こそこそと言い合う。
「なんか間違ってるみたいだぞ」
「ええ、わかってます。でも途中からひっこみがつかなくなって」
「知らねえぞ。怒られるぞ、おまえ」
「どうしたらいいですかね」
「諦めろ。骨は拾ってやるから」
「ええっ!」
突然三田がふき出し、忍が、えええっ! という顔を向けた。
「いやいや、すみません」
「いえ」気になる素振りで見つめる。「何が間違ってたんでしょうか。ずっとそう思ってたんですけど」
やってしまったという表情の忍を、やっちまったなあという顔の桔平が苦笑いで見つめる。
その様子を眺め、ふむと三田が顎を手で撫ぜた。
「柊さんは風邪にかかったことは」
「ある。滅多にかからんが」
「どれくらいで治りますか」
「ものにもよるが一日寝りゃ、たいがいは」
桔平が忍の顔を見やる。
「私もそれくらいです。ひどい時もありますが」
二人が木場の顔に注目した。
「俺は一度かかると三日は治らんな。ひどい時は一週間以上だ」
「おーおー、でっけえずう体して」
「よけいなお世話だ!」
「木場隊長は風邪に弱い体質みたいですな」
「……まあ」
「それで命を落としたことは」
木場が絶句する。目を見開いて三田を見たが、当人は極めて平常な様子で見返していた。
「そういうことなのではないかと私は思っています」
ポカンとなる三人。互いの顔を見比べてみても、答えにはいきつかなかった。
小さく笑い、三田がつけ加える。
「地球にとって、人類の存在もそれと同じなのではないでしょうか。地球を人体にたとえれば、さしずめ我々は風邪のウイルスといったところかもしれません。中には不幸にも命を落とされる方もいらっしゃいますが、どれだけひどい風邪をひいても大抵は何日かで治る。ましてや地球という存在の人生の中においては一秒にも満たないであろう我々の些細な攻撃が、彼の命を奪うほどのダメージを与えられるとは到底思えません。それでも不快であることには変わりないわけですから、病原菌を撃退するために体内が抵抗するのです。プログラムという治療を施して。我々にとっては存亡の危機ですが、地球にしてみれば正常でなくなった自らの身体をリセットするための浄化プロセスの一つにすぎません。おそらく地球にとっては過去幾度となく繰り返されてきた日常の一コマにすぎず、騒いでいるのは病原菌である我々人類だけです」
「すげえ……」
「すげえですね……」
「わからん……」
「寝ているだけで勝手に滅びて治癒するかもしれませんが、体内を蝕むウイルスですから、こじらせれば命を脅かす重病にもつながる。そして我々ウイルスにとっては、プログラムという医者が処方したクスリは、悪魔の攻撃にも等しい。所詮その程度のことだと私は考えています。病気が治る時に一時的に高熱を廃熱するのも、今の我々の悪あがきと同じことかもしれません。差し向けたモノの意向があったにせよ、人類がベリアルにとっての害虫やウイルスに相当し、そう認識されてしまったことはありそうです」
「そうくるか……」
「何かそれを覆す手段とかはないのでしょうか。誤解を解く方法っていうか」
「何言ってんだ、しの坊」
「私達は別にベリアル達に恨みがあるわけではありません。彼らが大人しく引き下がってくれれば、何の問題も……」
「あ~……」
「……ありましたね」
「……」木場が渋い茶をすすったような顔になった。「我々の払った犠牲は決して小さなものではない。しかし、これ以上の悲劇を回避できるのなら、それこそが正しい選択なのかもしれない。どちらかが滅ぶまで戦うことだけが正解だというのなら、俺達には声高に平和を口にする資格はない」
「そう、だな……」
「……すみません」
「何故謝る」
「いえ、なんか、……なんかスンマセンでした!」
「……」
頃合いを見はからい、三田が補足する。
「ベリアルは名だたる悪魔の中でも、もっとも不埒で狡猾な名を冠したモノの一つです。その特性がベリアルという名を表すモノの根幹そのものであるならば、信ずるに値しないものであることは明白でしょう。手を組むことなどもってのほかです。我々にとって、最悪の結果が待っている。懐柔させることは不可能でしょう」
「ベリアルやアスモデウスとは、いったい何ものなんです。やはり悪魔の類なのですか」
木場の疑問に三田が答える。
「少なくとも、多くの人間達が思い浮かべるようなわかりやすい悪魔などではないことは確かです。もちろん、神でもない。古の人々が病気や災害を悪霊のせいにするようなもので、その受け入れがたい力を形容する言葉をもたなかったから、先人達はそう呼ぶしかなかったのでしょう。自然の驚異には抗えない。しかしその力さえ制御してしまえば、それは単なる科学になる」
「……なるほど」
「おまえ、ほんとはわかってねえだろ」
「……」
「桔平さんはわかってるんですか」
「……。なるほどな……」
「……」
恨めしそうな顔を向け合う三人をおもしろそうに眺め、三田がふうむと考えるそぶりをした。
「パルサーをご存知ですか」
「リパルサーじゃなくてですか」
「はい」
「……車、……じゃないよな」
「はい」
「じゃ、なんだ」
「死滅した星の中心核で構成された、中性子でできた天体のことです。マグネターと呼ばれる特別な個体もこれに含まれます。直系わずか数十キロ程度なのに、質量は太陽以上ともいわれています。パルサーは毎秒三十回以上で高速回転し、電磁波を放ち続けます。すでに死んでいるのに、いつまでも動き続けるのです。パルサーの放つ電磁波は強い重力を持っていて、近くにある天体を破壊し続ける。それだけでなく、中には攻撃した星のエネルギーを吸収して、活動し続けるものまである。死滅してなおも他の星を攻撃し続けるのです。ベリアル達もそのようなものだと私は考えています。地球がある、我々がいるから引き寄せられ、意図も持たずに攻撃し続ける。何故なら、それがベリアルという装置だからです。誰が何のために作ったのかすらわからない。ひょっとしたら、まったく別の目的をもって行動するために作られたのかもしれない。作ったものがすでに存在していなければ、その理由は永遠に謎でしょう」
「ほらきた」
「きましたね」
「何が何やらさっぱりわからん」
驚愕の顔を向け合う三人を眺め、三田がふっと笑った。
「昔、反乱部隊の次世代のリーダーとなるであろう少年を暗殺するために、未来から殺人ロボットがやってくるという映画がありましたね」
「はあ……」
「あ~、あれ好きです!」忍がはしゃぎだす。「カッコいいんですよ。最初のは悪役だったんですけど、二作目だと味方になるんですよね。ね、三田さん。でもあれって一作目のはホラーみたいな感じでしたよね。やってる人はカッコいいのに、まるで悪魔を見るような目でみんな見るんですよ。ひどいですよね、ほんとにもう」
「はあ……」
真顔で見つめる三田に、忍が恐縮してみせる。
「……失礼イタました……」
「おっぺけなとこがバレちゃったな」
「なんのことだすか……」
ポカンと見つめる桔平と忍に、三田がおもしろそうに笑ってみせる。
「つまり、そういうことでしょうな」
「何がですか!」
「おまえがおっぺけぺだって、わかってたみたいだな」
「もういいですから」
「それと同じことだと考えればいい」
「どうゆうことですか!」
またもやぽかんとなる三人の前で、三田は自信たっぷりに持論を展開し始めた。
「我々は理解できない未知の領域を目の当たりにした時、簡単にそれを神格化してしまう。ロボットだと知らない人間からしたら、それ自体がモノノケの類でしょう。古代の人達にとってはミサイルや核兵器も、台風や地震と同じです。災いはすべて、神の罰か、悪魔の所業になぞらえてきた。ベリアルは我々を滅ぼそうとする何者かが差し向けた殺人ロボットと同じなのです」
「また……」
「……大胆な発想ですね。あ!」
忍がひらめく。
「それって、もし私達がタイムスリップして、現代の兵器を昔の人達の前で使ったら、それも彼らは神様か悪魔が罰を下しにやってきたって思うんじゃないですかね」
「俺だったら、宇宙人が攻めてきたって思うかもな」
「あ~、それですね! さすが桔平さん!」
「まあな。それほどでもあるがな!」
吸殻を携帯灰皿に押し込み、三田が笑う。
「この世界には神も悪魔も存在しないと私は思っています。だが限りなく神に近い存在と、悪魔そのものと呼べるものならばある。未開の部族が、我々の放った天まで噴き上がるほどの巨大な炎を見たら、彼らはそれを悪魔のしわざだと思うでしょう。大きな音を立てて迫ってくる機械のバケモノに恐れおののき、それを冒涜者に対するおさまらない怒りだと感じるはずです。もしプログラムが自然環境をコントロールできる力を科学的に兼ね備えているのなら、我々はそれを神か悪魔の力と例えるのが当然の流れです」
「で、神でも悪魔でもないなら、ぶっちゃけ、プログラムっていうのはなんなんだ」桔平がコホンと仕切り直す。「できればもっと簡単に説明してほしい。……木場にもわかるように」
「貴様……」
「単なるシステムでしょう。それもパルサー同様、極めて原始的な構造の。あえてわかりやすく例えれば、過去に存在した何ものかが作った破壊兵器というところが妥当なセンでしょう」
「ほお……」
「はあ……」
「ネズミ捕りと同じ原理です。近づかなければ何も起こらないのに、エサに釣られて我々が触れてしまったから、それが起動してしまっただけのことです」
「……」
「……」
「ベリアルは自然のなりゆきの中で、我々を駆除する対象として認識した。その目的を達成させるために持ちうる機能を駆使し、システムとしての努力をしているだけです」
言葉もなく顔を引きつらせたまま三田を見続けることしかできずにいる桔平を横から眺め、忍が同じ顔をしてみせる。
「思いっきりぶっちゃけられちゃいましたね……」
「なあ、ぶっちゃけられたな……」
「……むう」
「プログラム自体は、目標を破壊するためにインプットされた誘導ミサイルの役割です。決してそれ自体が意志を持つわけでもなく、進路を妨害されれば目的を達成するために修正しながら追従してくる。それから逃れるには、到達する前にミサイル本体を破壊するか、無効化するしかない。今の我々に必要なのは、無力感や諦めだけの考えを改め、対抗する意志を示すことでしょう」
「なるほど……」
「なんだかすごく頼もしいですね……」
「実に頼もしいな、忍……」
「ええ……」
肝心なことに気がつく桔平。
「で、結局、ベリアルを倒す方法ってのは」
「わかりません」
「やっぱり! いやいや」桔平がかぶりを振る。「さっきあるようなこと言ってただろ。凪野博士は戦い方を間違えただけだって。それをこの期におよんでありませんってことはないだろ、三田先生よ」
「三田先生って……」
「さっきまで頼もしかったのに……」
「いえ、あります。必ずあるはずです。ですが、現時点ではそれが何かがわからない。それさえわかれば我々のガーディアンでも対抗できるはずです」
「結局、わかんねえんだな」
「はい。そもそも、その答えに我々人類がたどり着けるのかどうかすら怪しいところです。或いはソレイマンと呼ばれる連中ならば、それを知りえていたのかもしれない。それこそが凪野博士の最大の誤算だったのかもしれません」
「また振り出しに戻っちゃいましたね」
「いったりきたりで申しわけありませんが、或いは、本当に我々の方が、ベリアルに対するプログラムのようなものとして、何者かに造られたということも考えられます。これまでのベリアルと先人達との戦いの歴史を振り返れば、その見方もあながち的外れとは言い切れない。ベリアルの静かな眠りを妨げる悪意は、実のところ我々の方なのかもしれませんよ」
「……またわかんなくなってきたぞ」
「私もです……」
「おい、木場、生きてるか」
「頼むから少し黙っててくれ……」
世界の主要都市はほぼ壊滅状態にあった。
怪神達は淡々とノルマを達成するがごとくに破壊活動を終えると、まるで興味を失ったかのようにその場から姿を消していった。
もう一つの、そして本来の目的、ベリアルと接触するために。
中国全土とインドの主要都市を壊滅させたバルバトスが、死霊の軍団を引き連れて東進しているとの情報をメガルが入手する。
陸を進み、海を渡り、空を翔けて移動を始めた他の怪神達も、行き先がほぼ同じ地点で合致するものと予測されていた。
すべてが日本に、山凌市に向かっているというのである。
それはまだベリアルがメガルの手の届く範疇に存在していることを意味していた。
彼 (怪神)らの進軍を止める手立てはない。
メガルと、人類にただ一つ残された鉄壁の要塞を除いては。




