第四十四話 『残されたモノ達』 2. 選ばれた人々
怪神達の進撃はとどまるところを知らなかった。
彼らが通り過ぎた都市は大地がむき出しとなり、いかなる生物の生存も許されず、荒廃した死の世界は、まるで地球外惑星の無機質な表層さえ連想させた。
それでも残された人々は決して希望を失いはしなかった。
何故なら、自分達こそがこの死にゆく世界を救う選ばれた人間だと信じて疑わなかったからである。
怪神バルバトスは中国の主要都市を死の世界へと変貌させた。
徹底抗戦を貫く国家の姿勢に対し、争いを望まぬ人民は、ただひたすらバルバトスが自分達の遥か先を通り過ぎてくれることだけを心から祈った。
平和と平穏を望む心にとって、自滅を招くだけの無駄な抵抗は不要な選択だったからだ。
バルバトスの進路は予測不可能だった。
ごく一部の秘密保持者以外は。
彼らはバルバトスがそこに現れた理由を即座に言い当てていた。
アジアのどこかに実在すると言い伝えられるその場所を、狙い済ましたように均し始めたからである。
他ならぬその地に、アガルタと呼ばれる人類の英知の結晶があるはずだった。
バルバトスが貪りつくした大地が、成層圏からも肉眼で確認できるほどの大穴となって掘り返される。
そこになんの痕跡もなかったことを知った有識者達は、自分達が勝手に絶望と希望のはざまにいたことを滑稽にすら感じていた。
失意のさなか、次に怪神が目指す方角を見定めた彼らは、それがインドのクルクシェートラであることを見抜く。
バルバトスは最終決戦の地となる神に選ばれた国へと赴き、マハーバーラタにおける最終兵器とされた何ものかを破壊するはずだった。
怪神プルフラスは屈強なロシア兵を骨の髄まで沈黙させた。
抵抗すら虚しく、超大国の軍事力はプルフラスの前に膝を屈するだけだった。
誰も彼らを責めることはできない。
折れないロシア兵の心を折ったのは絶望的な支配による恐怖ではなく、プルフラスが見せた幻影によるものだったからだ。
祖国のために人生を捧げ、戦い抜くために己の命をも捨てた彼らが、プルフラスが放った幻惑によって忘れていた幼き日々の光を取り戻す。そこには母のぬくもり、父の厳しさ、そして家族や愛する人々の笑顔があった。
彼らはプルフラスの幻影によって、戦うことの無意味さと、命の大切さを思い知ったのである。
そして祖国を守るために戦い抜くのではなく、祖国を建て直すために家族とともに生きる道を選択した。
それが虐殺による死の間際の甘美な夢だということにも気づかず。
彼らは世界中の誰より残酷な方法で、誰よりも幸福な死を迎えていった。
プルフラスは魅惑の幻影を巻き散らかしながらドゥアトゥンバ文明跡地に歩を進め、それから同じく伝承の秘密基地があるとされる南極の古代文明跡地へと向かった。
その地がプルフラスによって深く穿たれるのに、さほどの時間を要さなかった。
黒きマルファスはブラジル全土を恐怖の縁へと追いやった後で、ある場所を目指して歩を進め出した。
いにしえの黄金都市があったとされる土地だった。
それは未来の世界で穏やかな生活を営む人々にとっては何のゆかりもなく、ただただ言いがかりのようにマルファスによって破壊しつくされていった。
マルファスの放った分身、ハルファスによって、目の前の人間達が次々と操られていく。
そこにいた最大人数の約半数がハルファスとなり、残りの人々に襲いかかる。それがさらに半分となり、また半分となり、最後の一人となった者はマルファス自身に踏み潰されることとなった。
懇願も虚しく、彼らは愛する家族の手によって、ほんのわずかな時間で消失していった。
モラクスはエジプトの主要都市を破壊しつくし、シナイ山を越え、メギドの丘へ到達しようとしていた。
そこにはすでにイスラエル全軍が終結していた。
彼らは、この混乱に乗じて自国への侵攻を開始した他国軍をも放置してまで、この地へと結集していた。
苦渋の決断によって国土を放棄する形となったが、皮肉にもエジプトを滅ぼしたモラクスの手によって侵攻軍は全滅。もろともイスラエル全土も壊滅の運びとなった。
その報せを受けてなお、彼らの心胆は揺るがない。
彼らにとっては、ハルマゲドンであるこの場所を死守することこそが至上だったからである。
神に選ばれし軍隊。
神とともに戦うことを許された軍隊として。
その誇りを恐怖のモラクスが無残にも打ち砕く。
抵抗の爪あとすら残せず、世界最高の軍隊がこの世から消滅させられるのにたいした時間は要さなかった。
モラクスはそこに何もなかったかのごとくただ通り過ぎ、トルコのアララト山へと進軍を続けた。
金色のマルコシアスによるドイツ崩壊の報せを受けても、彼らに動揺の色は見られなかった。
彼らは人類のリーダーとなるべく、神から選ばれたことを自負する集団だった。
ライバルとなる組織が次々と壊滅したことを取り上げ、やはり我らこそが唯一無二の存在であったと再確認する。
この混乱のさなかにあっても自分達だけは必ず生きながらえることに微塵も疑問を抱かず、終末後に世界の再建に心血を注ぐという目的を掲げていた。
他国の惨劇すら一笑にふし、根拠のない希望だけを声高に叫ぶ。
「特別富裕層との話し合いは予めつけてある」
「ついに我々も彼らの領域に到達したわけだな」
「あとは箱舟に赴くだけだ」
彼らは人類が唯一生き残るすべでもある箱舟の存在にたどり着いていた。
箱舟の正体とは、遠く古代のテクノロジーが築き上げたコールドスリープの装置だった。
厄災をやりすごすため、過去の選ばれし人々が作った冬眠装置こそが、箱舟の正体だったのである。
その明確な位置も、科学的な裏づけも掌握していた。
超科学はメガル文明だけではない。
その揺らがぬ自信こそが、彼らの余裕の理由だった。
しかし、後に告げられる報せを受け、その顔色が蒼白となる。
モラクスによってアララト山が消滅したことを知らされたからだった。
アララト山には彼らの希望のよりしろである、箱舟の存在がまことしやかに語り継がれていた。
しかしそこにはそういった痕跡すらなく、ただ広大な平原が残されただけだった。
すべてが様々な思惑に踊らされた、ガセの情報だったのである。
箱舟への移住だけを信じて集まった彼らのモチベーションは、塵一つ残さず霧散しつつあった。
そしてとどめの一撃が、おごれる彼らの息の根を完全に止める。
わずか数時間の後、マルコシアスによって彼らの世界も終焉を迎えることとなった。
アメリカ、ネバダ州の特別指定区域は、多くの富裕層からの出資によって成り立っていた。
地球外生物やオーバーテクノロジーの倉庫とも揶揄される彼らにしても、傲慢な出資者の言いなりとなっていることに対しては憤慨の念を抱き続けてきた。
約束は交わされていた。
ハルマゲドンの暁には選ばれし民達がこの地に一斉に集結し、人類最高峰のテクノロジーとともにアララト山を目指す手はずとなるはずだった。しかしあくまでもここにいる人間達は案内役であって、彼らの従者として箱舟へと導く役割しか与えられていない。
それに不満を抱く輩は、一人や二人ではなかった。
彼らが何一つためらうことなくそれを口にする。
「ここに立ち入る前に殺せばいい」
「奴らを排除することなど造作もない」
そしてたった今届いた報せは、彼らを小躍りさせるに充分なものだった。
「奴らが全員死亡したとの報せが届きました。今現在、一部の反抗勢力を除いて、未曾有の脅威に対抗可能なまとまった組織は、我々だけです」
その報告に、組織を束ねる人物達がにやりとする。
「我々は何一つ手をくだすことなく、世界の中心となった。我々こそが神に選ばれたのだ」
「ここには核の直撃すらものともせぬ強固な防壁と、五百年分以上もの備蓄がある」
その喜びも一瞬だった。
海岸線に沿うように合衆国を焦土化しつつメキシコへと渡ったゴモリーが、ポポカテペトル山やサイレントゾーンと呼ばれる地帯を平らげ、再びアメリカの地に降り立ったのである。
ゴモリーはニューメキシコ州にある地下秘密基地を粉砕した後、ネバダを一命の生物も存在しない空虚なる地へと変貌させた。
次に目指す地は、サンディエゴに本拠地をかまえなおした人類最後の砦、メガ・テクノロジー本社だった。
通路の先で立ち止まった人影に気づき、桔平が視線を向ける。
そこには先に三田の叱責にあった、長沢という男の顔があった。
長沢は一度立ち止まったものの、敵意むき出しの鋭いまなざしで桔平を一瞥して、何事もなかったように立ち去ろうとした。
それに対し桔平も特にリアクションは起こさない。
すると桔平の横を通り過ぎた直後に長沢がまた立ち止まり、桔平に向けて言葉を投げかけてきた。
「私はあなたが嫌いだ。だが三田さんを推挙してくれた英断は評価に値するものであり、感謝はしている」
「その三田さんがあんたのことを選んでくれたからか」
「そんなことは関係ない。私のことはどうでもいい。ゲスなかんぐりはやめてくれ」
「そいつはすまなかったな」表情も変えずに受け答える。「……ま、最初んとこ言わないと気がすまないくらい俺のことが嫌いだということはよくわかった」
「……」
「やっと肩書きに見合った仕事ができたみたいだな。当の本人からは恨み言しか聞こえてこないが」
「……。ありがとうございました」
「なあ、あんた」
立ち去ろうとする長沢を、振り向くことなく桔平が呼び止めた。
「あの人のこと、頼んだぜ」
「それは命令ですか」
「お願いだよ。あんたは俺の部下じゃないからな。ああ見えてあのおっさんもけっこう淋しがりみたいだから、あんたみたいなのが近くにいりゃ退屈しないだろ」
楽しそうに軽口を叩く桔平。
ふいに長沢はきびすを返し、床を踏み抜くほどの勢いで踵を鳴らして桔平の前に立ちふさがった。
直立の姿勢から額が膝に触れるほどの角度で身体を折り曲げ、深々とお辞儀する。
それを見た桔平のこめかみがぴくぴくと痙攣を始めた。
「やめなって。誤解されるから……」
「あ~!」
都合よく、忍の叫び声が響き渡る。
その後すぐに木場の叫び声が聞こえた。
「そこで何をしている、桔平!」
「またパワハラですよ! またですよ、また。絶対そうに決まってます!」
「あのな……」
「信じられない。最低ですよ、ふんとにも~!」




