第四十二話 『封印』 9. 屈辱
茜は囚われの空間にいた。
暗闇とまどろみの中で己の失策を痛感したが、もう後の祭りだった。
血にまみれた両手を開く。
全身に広がるおびただしい出血を認め、自らの死を感じ取った。
そこに焦りや悲しみはなかった。
ただ受け入れなければならないとだけ感じていた。
何をしてもベリアルにはかなわないと思う。
これは仕方がないことなのだとも。
それを受け入れるのに何の躊躇も感じることなく。
(何故戦うの)
湧き上がる疑問。
それは心の奥から揺り起こされるような問いかけだった。
面倒臭そうに眉を寄せたものの、吸い寄せられるようにごく自然に茜がそれに答えようとした。
「自分の存在価値を示すため。あとは……」
『大切な人達を守るため』
「!」
自分以外の、別の声が聞こえたような気がした。
先の問いかけが、それとは別のもう一つの声であることを認識する。
(大切な人達って誰)
「決まってるでしょ。自分を高めてくれる人達に……」
『すぐそばにいる人達』
「!」
(すぐそばにいる人達って何)
「……」
『一緒に笑ってくれる人達。一緒に悲しんでくれる人達。一緒に喜んでくれる人達。失いたくない人達』
「何を甘いことを言っているの。馴れ合うだけの人間関係は、何も生み出さない。何の意味もないじゃれあいじゃないの。必要ない」
(それは馴れ合いではないの)
「そう言ってるじゃない。馴れ合いだって。私の人生において何の意味もなさない人達」
『違う。馴れ合いではない。たった一つの小さな笑顔が、大きな勇気を生み出すことだってある』
「そんなの偽善じゃない。私は知っている。笑っているだけで何もしない人達を。何もしないくせに、笑って見ているだけで、味方を装う卑怯な人達を。彼らは自分の身が危うくなると、簡単に手のひらを返す。裏切る。そんな人達が、勇気を与えられる存在なわけがない。そんなの、ただの勘違いにすぎない」
(それは勘違いではないのか)
「だから、そう言っているじゃない!」
『違う。勘違いなどではない。確かにそこにある。信じられないのは、その人の心が拒絶しているから』
「違う! そうじゃない! そういうのをお人よしって言うの! 何、さっきから。ちゃんと人の話を……」
(何故拒絶する)
「……」
茜が口をつぐむ。
ようやく気づいたからである。
二人の会話の中に、自分の声が届いていないことに。
『それは心が痛むから』
(何故痛む)
『淋しいから』
(何故淋しい)
『満たされていないから』
(何故)
(何故)
(何故)
(何故……)
『茜さん!』
「!」
呼びかけに茜が目を見開く。
それは夕季の声だった。
『目を覚まして!』
はっ、と茜が我に返る。
気がつけばそこはまだエア・スーペリアのコクピット内で、両脇には心配そうに見つめる光輔と礼也の顔があった。
『茜さん、大丈夫』
次第にはっきりとし出す意識の中に、咀嚼できないやり取りのかけらが漂っていた。
「あれは、いったい……」
視覚に異常はない。
出血も見られず、綺麗なままの両手をわなわなと震わせた。
確かに目の前が赤く染まり、ベリアルの精神世界に引きずり込まれたはずなのに。
『茜さん、しっかりして。まだ終わってない』
「……。私は、どうなっていたの」
『もう少しで精神がベリアルに取り込まれるところだった。あの時の私と同じことになるところだった』
「どうやって……」
茜の疑問に、顎を引きながら答える夕季。
『エア・スーペリアの中に、あらかじめ私の思念体を構築しておいた。攻撃を受ける直前にあなたの気配を隠してすり替えたから、ベリアルは思念だけの私の分身を操縦者だと思い込んで仕掛けてきたはず』
「……」
茜が周囲を見回す。
形はわからなかったが、確かに自分達とは違う別の意識を感じ取ることができた。
『光輔も礼也も気をつけて。少しでも隙を見せれば、今みたいに入り込んでくるから。たまたま茜さんだったからなんとかなったけれど、二人に食いつかれていたら、あたしのダミーなんかには見向きもしなかったはず』
「ああ……」
「夕季はなんともないのか」
光輔の質問に、夕季が眉間に皺を寄せて素直にダメージを認める。
『結構キツい。何度もやれって言われたら、無理かもしれない』
「じゃあ、早くブレイクしないと!」
『まだ駄目。ベリアルが騙されているうちに、大きなダメージを与えないと。もう二度と目覚めたくなくなるくらいの大きなダメージを』
「……はじめて」
かすれた声に、三人が耳を澄ませて注目する。
茜が顔がゆがむほど強く唇を噛みしめていた。
その悔しそうな口もとから、血がしたたり落ちる。
「こんな侮辱、初めて。私はあなたをゆるさない。この屈辱、絶対に忘れない」
それは明らかに夕季に向けられたものだった。
言葉を失う三人。
その時だった。
大地を引き裂く強震をともない、それが現れたのは。
「く!」
「このタイミングで」
すでにグランド・コンクエスタの姿に集束済みのレプリカガーディアンの乱入に、歯がみする礼也と光輔。
「どいつもこいつも、バカにしやがって……」
茜は憎悪のまなざしで、目に映るすべてを睨みつけていた。
ガーディアンを駆る四人同様、司令室でもパニック状態となっていた。
「ここで、来るか……」
桔平のうめきを、一瞥だけでいなすあさみ。
「ここまでね。霧崎君達に戻るよう伝えて」
「はい」
命令を伝えようとした忍の顔が青ざめる。
「大変です。水杜さんが命令を拒絶しています」
「何!」
「おい、やめろ、水杜!」
礼也の制止を振り切って、茜がベリアルをメッタ打ちにする。
『逃げて、茜さん。あいつは危険だから』
夕季の声も耳に届かず、血走ったまなざしで、戸惑い後退するベリアルを切りつける茜。
その豹変ぶりに、光輔は何もアクションを起こすことができなかった。
ただ茜のプライドがひどく傷つけられたことだけはわかっていた。
みるみるうちに崩壊するベリアルの巨体。
手足を砕かれ、大地を這うように逃げ惑う象牙色のガーディアン。天を見上げ弱々しく鳴き上げたその声は、断末魔の叫びそのものだった。
取り憑かれたように口角をつり上げ、とどめの一撃を見舞おうと茜が大きく息を吸い上げる。
それに礼也が待ったをかけた。
「おい、やめろ。あいつとここでやり合うのはまずい。あいつの狙いは俺達だ」
説得にもまるで耳を貸す様子がない茜に、礼也の感情がヒートし始める。
「何焦ってやがんだ。夕季もかなり弱ってるし、今、奴とやっても勝ち目はない。わかんだろ、それくらい。とっとと離脱するぞ」
「離脱。何故」
「は。何言ってやがんだ、てめえ」
「うるさい。やる気がないなら、黙ってろ!」
「はあっ!」
キッと振り返る茜。
その視線の先には、フェイクガーディアンの姿があった。
「うあああああっ!」
ヴァイオレット・ストークを薙刀のように振り回し、フェイクに切りかかる茜。
フェイクガーディアンも臥竜偃月刀で応戦するが、長刀使い同士の遣り合いは、達人クラスの技量を誇る茜に分があった。
振り下ろす偃月刀を足さばきの一歩でいなし、横殴りの打撃で弾き飛ばす。
そのまま振り切るまで待つことなく返した切っ先で、フェイクガーディアンの鳩尾を突き抜いた。
仰向けに倒れ、空をつかむように片手を掲げるフェイクガーディアン。
「邪魔だ、おまえは! 後から来て!」
何かに取り憑かれたように不敵な笑みを浮かべつつ、茜がさらなる追撃を試みる。
その卓越した戦闘センスを目の当たりにし、光輔も礼也も畏怖の表情を差し向けるだけだった。
尻餅をついたまま頭を起こし、防御のためにディープ・サプレッサーへと集束し直すフェイクガーディアン。
それを茜は顔を引きつらせながら、不快げな様子で笑い飛ばした。
「こんなのでよく割り込んでこられたな!」
飛び上がり、ヴァイオレット・ストークを力任せに叩きつけようとする茜。
しかし、茜が着地するより早く、両腕をクロスして攻撃に備えるフェイクを吹き飛ばしたのは、背後から訪れた熱線の束だった。
飛翔する前のエア・スーペリアを狙った攻撃が、偶然フェイクにヒットする形となったのだ。
振り返る茜が見たものは、復活したグランド・コンクエスタの姿だった。
そこにはダメージの痕跡すら見当たらなかった。
色合いの違いはあれど、はからずもガーディアン三種の形態すべてが顔を見合わせる状況となっていた。
それぞれの竜王を十倍に巨大化させ華美な装飾を施した陸海空の三体が、互いを敵として認識し、生き残りをかけて戦い合うさまは、さながら悪夢のようだった。
「ふざけやがって……」
茜がぐっと奥歯を噛みしめる。
ベリアルに欺かれていたことを悟ったからだ。
最初から最後まで何一つ失わない形で、茜達はベリアルの手のひらで踊らされていたのだ。
「このタヌキ野郎! 絶対に許さない」
「やめろ、水杜!」
礼也が茜の肩をつかむ。
「離せ。私にさわるな!」
「もう終わりだ」
「勝手に終わってろ」
「いい加減にしろ!」
「いい加減にするのはおまえだ」目を剥いて、礼也の手を振りほどこうとする茜。「汚い手で私に触れるな!」
殺意のこもる茜のバックブローが、礼也の左目に突き刺さる。
それでも肩をつかんだ手を離さず、片目をえぐられてもまばたき一つせずに、礼也は茜を睨み続けた。
「これ以上続けるなら、俺はおまえを殺す。脅しじゃねえ」
「やれるものなら……」
言いかけた茜が引き返す。
静かに凄む礼也の目の奥に、それまで見たこともない得体の知れない恐怖を感じ取ったからだ。
すう、と息を飲み、クールダウンする茜。
「離脱します。古閑さん、誘導して」
『了解』
「失敗じゃねえ」
顔を正視できず目をそむけた茜に、礼也の声が追従した。
「誰一人欠けずに次につなぐことができた。今度は今よりうまくやれる。必ず」
「……」
「まずはここから引き上げることが先決だ」
ようやく一息つけた光輔だったが、まだまだ緊張の色は消えない。
「こいつらから逃げるのは、簡単じゃないね……」
それにかぶさる夕季の声。
『何かおかしい』
「え」
四人はまばたきすら忘れ、目の前の光景を固唾を呑んで見守っていた。
フェイクの目的は、光輔らの駆るオリジナル・ガーディアンを消滅させることだと考えていた。ベリアルなどには目もくれずに、ひたすら自らが攻撃の対象となることを危惧していた。
そこでベリアルを交えた三つ巴の戦いが巻き起こることも。
が、しかし、フェイクは光輔達の存在すら眼中になく、ただベリアルのガーディアンだけを狙って突進していったのである。
「どういうこと……」
『わからない』
光輔の問いかけに、夕季も意味不明の表情を向ける。
『本来ならばターゲットとなるはずのあたし達を、あいつが守ってくれているようにも感じる』
「もう少し、様子を見た方がいいのかな……」
礼也と茜だけが、何事かを予感した顔をしてみせた。
「おい、俺たちゃ、どっちに味方すりゃいい」
その返事を茜は眉をゆがめて飲み込んだ。
やがて確信が顔中に広がっていく。
漆黒のみで彩られた、新たなる影の参入によって。
『みんな、気をつけて!』
夕季の声に振り返る光輔と礼也。
茜は目線だけで二人に続いた。
そこで彼らは信じがたい光景を目にする。
影のように黒色のみの竜王が現れたからである。
しかも陸海空の三体ずつ、合計九体もの竜王が。
「またレプリカか」
「でもどこか違うような……」
「退却」
歯がみして告げる茜に、光輔が目を丸くする。
「え」
それをじれったそうに睨みつけ、茜が叫んだ。
「今すぐここから逃げろって言ってるのが、わからないの!」
『了解』
咄嗟に成層圏まで距離を取った茜らが、遥か上空から状況をうかがう。
「止められなかった」
その目線の先には、新たな暗色のガーディアンの姿が浮かび上がっていた。
それぞれのタイプの、合計三体の黒いガーディアンが。
「ついにやってきてしまった……」戦慄の表情で茜が溜飲した。「……彼らが」




