第四十二話 『封印』 3. 強くなるということ
「いや~、マジで焦ったぜ。本当に死んじまうんじゃねえかってな。心配させんな、バカ野郎」
まるで嘘のような出来事に、距離感すら忘れ、手放しで喜ぶ桔平。
なんとなくくすぐったく、居心地の悪い夕季が、思わず憎まれ口で返した。
「本当は一緒にケーキを食べにいってくれる人間がいなくなるのが心配だったくせに」
「夕季!」
たしなめる忍に、申しわけなさそうに夕季が身をすくませる。
しかしそんなことにもまるでおかまいなしの桔平は、ただただ夕季の無事を喜ぶのだった。
「クソ生意気でも何でも生きててくれりゃいいってことよ。いや、ホントよかった。もう心配させんじゃねえぞ」
「……うん」
「これ以上しの坊がフケっちまったら、おまえも困るだろ」
「う!」
「……」
「授業参観とかでもすっかりお母さんで通っちゃったりしてな。がっはっはっは!」
「……てめー」
「……」
「しっかし、何がどうなってんだろうなあ。本当は、今朝にも死亡確定だって言われてたのにな」
「桔平さん……」
忍の渋い表情に桔平が、しまった、という顔になる。
「……いや、もう、また突然容態が急変しました、とかは、ねえよな……」
「……」
「やっぱり、竜王のなんらかの力があってのことですかね」
「なんらかって?」
「いえ、わかりません。ですから、なんらかって言ったんですけれど」
「だったらそもそも、なんであんな大ケガしたんだってことだが」
「そんなこと私に言われても……」
「ん?」
忍の顔色が悪いことに気づく。
「おまえの方が死にそうな顔してるぞ」
「またそういうことを言う!」
「いや、冗談抜きだ。ずっと気ぃ張ってたんだろ。飲みすぎで今にもゲロ吐きそうな顔してるぞ」
「吐きませんて」
立ち上がった途端に、めまいに襲われふらつく忍。
「あ、気持ち悪い。なんかすごく気持ち悪い……」
それを受け止め、桔平がやれやれという顔をしてみせた。
「よれよれ、今度はしの坊かよ」
「少し外の空気を吸ってきます。……今、よれよれって言いました?」
「無理すんな。俺もついてくわ」嬉しそうに夕季に顔を向ける。「すぐ戻ってくるから、ちょっと待ってろ」
「もう大丈夫だよ」
「そうはいかん。おまえは目を離すとすぐ死にそうになるからな」
「赤ちゃんみたいに言わないで……」
「ほれ、いくぞ、しの坊」
「すみません」
「おまえはおばあちゃんみたいだな。よれよれして」
「またそういうことを……。あ、本当に吐きそうです」
「おい、ちょっと待て、もうちょっとガマンだ!」
「ばい、ガマンしまぷ~……、くぷっ!」
「おい、待て、ちょっとタンマだ!」
桔平に付き添われ部屋の外に出ていく忍。
二人が出ていった後で、毛布の中で隠れて握り締めていた拳を夕季が開く。
手のひらを複雑そうな表情で眺めていた。
「おお、みずぷーじゃねえか!」
「あ、ひいらりさん」
桔平の大声とともに室外から近づいてくる声に気づき、慌てて手を隠す夕季。
「ゆうちゃん、今、いっちゃっても大丈夫ですか」
「おう、ピンピンしてる。わざわざありがとな。あ、待て、しの坊、まだタンマだって言ったろ! ああああ~!」
桔平らと入れかわりにやってきたのは、みずき達だった。
「あ……」
夕季の顔を確認した途端、笑顔を硬直させるみずき。
みずきや茂樹らは、夕季が生死の境をさ迷っていたことを知らない。光輔も詳細を伝えてはおらず、昨日の大ケガの件を心配して訪れたのだった。
それでもみるみる笑顔を崩壊させ、あふれ出る涙とともに、みずきが夕季に抱きついていった。
「ゆうちゃん!」
「う!」
「あ、ごめん、痛かった?」
「大丈夫……」
「じゃあ、あらためて。んんんんんっ! ゆうちゃん!」
「う!」
「あ、やっぱり、ごめん」
「……」安堵の笑みを浮かべていた夕季が、ふいにせつなげに眉を寄せる。「みんな、無事でよかった。……本当に、よかった……」
「ああ、穂村君が連絡してくれて、あの後すぐにメガルの人が助けに来てくれたんだよ。なんだっけ、あの人達」
「メック・トルーパーだろ」
茂樹を指さし、みずきがピンポンというジェスチャーをする。
「そ、メック・トルーパーの人。ほんと、ありがたかったよ」
「光輔が……」
「穂村君やゆうちゃんのこと、すごく褒めてたよ。あいつらは俺達の命の恩人だって。こっちはもっとです、って言ったら、笑ってた」
「……」
感極まり、言葉が出ずに、夕季はひたすら握りしめた両拳を見つめるだけだった。
かすかな物音がして、夕季が部屋の出入り口に目を向ける。
涙でくしゃくしゃになった顔で、みつばが立ちつくしていた。皆と同じ空間に踏み入ることを躊躇しているようだった。
それに気づき、みずきがみつばの手を引っ張って夕季のそばまで連れてくる。
「こっち来なよ。この子ね、ずっとゆうちゃんのこと心配してたんだよ」
「う、ぐ……」
「ありがとう、みつば」
言葉の出ないみつばに、夕季が小さな笑みを差し向ける。すぐに真顔に戻って、心配そうにたずねた。
「お母さんは」
「……あい」
「大丈夫、だった」
「うん、ぐ……。……はい……」
柔和な表情になる夕季。
「よかった。ごめんなさい、つらい思いをさせて」
途端に堰を切るようにみつばが号泣し始めた。
「ああああああん! あああああん! ああああああん!」
「うわ、声でっかちゃん」
「羽柴君!」
耳を塞いで顔をゆがめた祐作をギッと睨みつけ、みずきがみつばの肩に手をかける。
「ほら、言ったじゃん。ゆうちゃん、怒ってないって。ね」
「ああああああん! あああああん!」
「泣かなくてもいいってば。ゆうちゃんもたいしたことなかったんだからさ。あ、実はたいしたことあったかも」
困惑するみずきの声も届かず、天井を見上げてわんわん泣き続けるみつばを、祐作や茂樹も穏やかな表情で見守っていた。そこに軽症ですんだ隆雄や祥子も加わり、よかった、よかったの合唱がやまない。
しかし夕季の表情は晴れなかった。
複雑そうな顔で目を細め、陽がかげり冬の風が吹く窓の外を眺めた。
みずき達が去ってからも、夕季の顔色は晴れなかった。
窓ガラスを揺らす木枯らしに目を向け、また目を細める。
人の気配に振り返ると、入り口付近に立ちつくす光輔の姿を認めた。
「光輔……」
元気がない様子だった。
常ならばみずき達と一緒に、先の集団の中心となっていたはずなのだが、その場にい合せなかったことを夕季も不思議に思っていた。
「どうかしたの」
夕季に問われ、申しわけなさそうに頭を垂れながら光輔が近づいてくる。
しぼり出した第一声は、後悔の念だった。
「俺のせいなんだよな。俺が勝手なことをしたせいでこんなことになった。夕季をこんな目に合わせてしまった。ほんと、救いようのないバカだな、俺って……」
「ありがとう、光輔」
はっとなって光輔が顔を上げる。
夕季は笑いながら光輔の方を見つめていた。
「光輔のおかげで、みつばのお母さんを助けることができた。みんなが助かった。あたしの判断では、誰も助けられなかったと思う。光輔のおかげだ。ありがとう」
「そんな、俺は……」
ふと夕季が向けた視線を光輔が追う。
光輔の背後に礼也が佇んでいた。
その神妙な様子を、二人は真顔で見つめることしかできなかった。
「……」
言葉も出ず、苦痛にゆがむ礼也の顔に、夕季が注目する。
夕季にはわかっていた。
礼也が何のためにやってきたのか。
何を告げにきたのかも。
顔をそむけ、夕季が窓の外に目をやる。
ガタガタと揺れる窓ガラスを眺めながら、生気のない声をしぼり出した。
「あたしはあの時、死ぬべきだったのかもしれない。あの時、絶対にベリアルを倒さなければいけなかった。何かを犠牲にしても、そこですべてを終わらせなければならなかった。たとえ死んだって。そう思っていた。もう二度と誰とも会えないことも覚悟していた。でも……」
礼也は何も言わずに夕季の一言一言に耳を傾けていた。
次の夕季の言葉で、自分が何をすべきかを決めるために。
一つの間を置き、夕季が少しだけ声を上ずらせて先につなげた。
「でも、今ここにいられることが嬉しい。生きていることや、みんなにまた会えたことが嬉しい」振り返り、笑ってみせた。「ありがとう、礼也」
穏やかな笑顔だった。
それを眩しそうに眺め、光輔が固く口を結ぶ。
「俺、強くなるよ。もっとちゃんとみんなを守れるように。夕季のことも、夕季にこれ以上つらい思いをさせないためにも、もっともっと強くなるから」
「必要ない。光輔は充分強い。礼也もみやちゃんも、他の人達もみんな」
「……でも」
「強くなければいけないのは、あたしの方だ」
「え」
「みんながあたしの未来を変えてくれた。だから今度はあたしが、……変えてみせる」
明かりの消えたロビーの椅子に、放心状態の礼也が身体を投げ出すように座る。
わずかな物音に反応し、顔も向けないまま、それが誰だかわかっているふうに話し始めた。
「心のどこかで、今でも後悔している。あの時夕季を助けなければ、ベリアルを倒せたかもしれないって。俺は間違ってるんだよな、やっぱ……。俺なんか……、こんなのに、ふさわしくねえよな……」
「たとえ倒せたとしても、それですべてが終わるとは限らないでしょ」
楓の声に顔も向けずに、礼也は懺悔を続けた。
「それでも、そうすべきだった。一旦、正義やら平和やらを口にしたのならなおさらだ。結果、俺は別の選択をしただけだった。別の殺し文句を持ち出して、また夕季を利用するために」
「違う。あなたはそんなふうにはできていない。困っている仲間を黙って見捨てられるような人じゃない。それができないって自分でもわかっているから、よけいに苦しむ……」
「おまえに俺の何がわかる!」
激情とともに初めて振り返った礼也を、楓が静かに見つめる。口もとをかたく結び、そして淡々と告げた。
「あなたがどんな選択をすべきだったのかなんて、私にはわからない。ひょっとしたら、これからもっと多くの人達が苦しむことになるのかもしれない。でも、あなたは間違っていなかったと思う」
「奴をしとめる最後のチャンスだったかもしれないんだぞ。それでも間違ってないって言い切れるのか」
「どうしてそんなふうに考えるの。まだチャンスがあるかもしれないのに。勝手にそう決めつけてしまってるだけじゃないの。だけど、命はなくなったら終わりだよ。命をつなげば、明日につながる。諦めない限り、希望はなくならない」
「あまっちょろいこと言ってんじゃねえぞ。んな理屈がとおるわけねえだろ。相手はベリアルだぞ!」
「だから何」
「……」
迷いのない楓のまなざしに礼也が完全に気圧される。
「正義って、平和ってなんなの。そのために犠牲になって笑って死んでいくことが、そんなにすごいことなの。そんなのただの自己満足だよ。私はそんな考えにはなれない。そんな人、そばにいてくれなくてもいい。私は、私が好きな人には、ずっとそばにいてほしい。いつまでも生きていてほしい」
「前と言ってることが逆じゃねえか。どいつもこいつもそんな考えだから、世の中おかしくなっちまうんじゃなかったのか」
「……」
「全部いっぺんにひっくり返されて、考え方かわっちまったのか。おまえも、結局他の奴らとおんなじだったな」
「そうかもしれない……」
礼也に突き刺され、楓が悲しそうに目を細める。
それでも言わなければならないことがあった。
「でも、やっとわかった。本当に信じられるものがあるって。どんなかたちをしていても、かわらないものがあるって。私には何もできない。それでもわかる。あなたは間違っていないって」
「何がだ! 聞いたふうな口――」
「私は、大切な人を見殺しにするような人間に助けてほしいとは思わない。だから、あなたがそうでなかったことが嬉しい」
自分の言葉を遮ってまで貫く楓の強さに、礼也が閉口する。
もう何も言う必要はなかった。
「私、いくね。ずっとお父さんと連絡が取れなくて、弟達が心配しているから。……ジョトのこと、ありがとう。一穂ちゃんにも、ありがとうって伝えておいてほしい」
礼也のはからいによって、ジョトはメガルで一穂が預かることになっていた。
楓の表情に柔らかさが戻る。
「気に触ることばかり言ってごめんなさい。元気を出して、礼也君。私は信じているから。誰が何を言ったって、私はあなたのことをずっと信じている」
どこまでも真っ直ぐな楓から目をそむけ、自嘲気味に笑う礼也。
「俺があいつらに勝てない理由がわかった……」
「……」
「あいつらには迷いがない。だから強い。何もわかってなかったのは俺の方だった。偉そうなこと言って、俺は、迷ってばかりいる……」
背を向けた楓が足を止めた。
あいつらというのが光輔や夕季を指すことはわかっていた。
両方の拳を握り締める楓。
それでも振り返ろうとはしなかった。
「あなたは彼らにかなわなくてもいい。迷いがあることが、あなたの強さだから……」
誰にも届かない声でそう囁いた。




