第四十二話 『封印』 2. 封印
深夜、雅が集中治療室に入ると、忍が祈るような格好で夕季の手を握り締めていた。
今にもこときれそうな夕季の手に緑色の石を握らせると、その手を胸の上で重ね、雅が自身の両手で包み込む。
思いつめた表情に過去の記憶が交錯していた。
*
ある夏の日、道端で泣き声をあげる幼い光輔の姿があった。
雅の後を追いかけて転倒し、膝をすりむいたのだ。
傷はたいしたことなかったが、自分の血を見たことで光輔が大げさにわめきちらす。
それを微笑ましげに見つめ、雅は膝の傷口に片手をかざした。
「大丈夫だよ。もう痛くないよ」
数分後、光輔は泣き止んでいた。
雅の笑顔に促され膝に目をやると、傷が跡形もなくなくなっていたからだった。
わけがわからず茫然とするだけの光輔を、雅は楽しそうに眺めていた。
「雅」
振り返ると、後ろに厳しい表情の陵太郎が立っていた。
「いつからだ」
見られたか、という顔になる雅。
「あの時から」
すぐに笑顔に戻り、緑色の石を差し上げる。
陵太郎の目の前で、石がかすかに輝きを失ったように見えた。
何の反応も示さないまま、陵太郎がしばらく雅の顔を見つめる。
やがて心の底からしぼり出すような声を出した。
「このことは誰にも言うな。黙っていろよ。もう二度と使うな。これは俺が預かっておく」
その真剣な顔つきに、まなざしから笑みの抜けた雅が頷いた。
*
口もとを結び、雅は夕季に念を送り続けた。
両手からあふれ出す光が、夕季の全身に浸透していく。
光は暗闇に吸い込まれるように、夕季の体内へと消えていった。
*
やまない大雨に打たれ、すっかり冷え切った身体のまま、雅は病院に足を踏み入れた。
ついさっきまでメック・トルーパーとアスモデウスの戦闘がすぐそばで行われていたとは思えないほどの静粛さがそこにはあり、建物に叩きつけられる雨の音だけがただ騒々しかった。
明かりの消えた通路に、ぼんやりと緑色の光が淡く浮かび上がる。
たどりついた病室の中には、重症を負った忍がいるはずだった。
通り過ぎる声を聞きとめ、いまだ楽観できない状況であることを知る。
「なんとか一命はとりとめたようだな」
「まだわからんよ。かなり体力も低下しているし、容態が急変するかもしれない」
「何かあったらすぐに対処できるようにしておけ」
「助かっても、後遺症が残るかもな」
「場所が場所だからな。歩けなくなるかもしれない」
「あの子もかわいそうにな。いつ目が覚めるのかもわからないのに……」
雅が病室の扉を開く。
ベッドの上には手術を終えたばかりの忍がおり、そこに覆い被さるように眠る夕季の姿があった。
忍の寝顔は苦痛に染まり、まるで死人のようだった。
夕季の表情もそれを見た直後であるのか、悲しみの色にまみれていた。
口もとを結び、眉を切なそうに揺らした雅が、忍の心臓に両手を当てる。
やがて雅の両手から淡い光が漏れ出し、忍の身体に浸透していくと、その苦痛が少しずつ和らぐように穏やかな顔つきにかわっていった。
*
唇を噛みしめ、雅は夕季に念を送り続けた。
おとずれためまいを精神力で振り切り、一心不乱に続ける。
ただひたすら。
*
重症を負った光輔の寝顔を雅が眺める。
夕季の対応によってことなきをえたものの、一歩間違えば蘇生困難な状況であったことを知らされ、込み上げる想いで唇を震わせた。
すうすうと寝息を立てる光輔の顔を、懐かしそうに、いとおしげに見続けた。
「光ちゃん……」
ぐすんと鼻を鳴らし、折れた肋骨に手をかざす雅。
噛みしめた唇は、二度とこの悲しみを繰り返すまいという、強い意志の表れだった。
「大丈夫、痛くないよ……」
*
息を荒げ、今にも倒れそうなほどの疲労感に見舞われる。
夕季を助けるにはまだまだ力が足りなかった。
自身が満身創痍でもある雅に残されていたのは、ともし火程度の力だけだった。
諦めかけ、ふと気がつく。
力を分け与えることに躊躇し、自らの命が削られることを出し惜しみしていたことに。
*
光輔の気配がしなくなり、陵太郎の亡骸に覆い被さっていた雅が、はっと何事かを思い出す。
陵太郎に言われ、封印していた力を思い出したのだ。
理由は定かではないが、自分には人を治癒させる能力があるのかもしれないと、陵太郎から告げられたことがある。ただ力を使用した時は必ず雅自身の身体に疲労が蓄積しており、もしそれを酷使すれば命に関わるかもしれないと危惧されていた。
それが落盤事故のショックによる覚醒なのか、その時手にしていた緑色の石のせいなのかはわからない。
少しでもそのことを忘れさせるために、陵太郎は石を雅から遠ざけることを選択した。
その存在を忘れていくにつれて次第にその力も弱まり、いつしか力を使えることすら雅は忘れるようになっていた。
だがそれは、実は陵太郎を心配させまいと、雅が自らの意志で力を封印していたことにほかならなかった。
陵太郎の鼓動はすでに途絶えていたがまだ完全な死には至っておらず、魂の呼吸ともとれる微弱な波長を察知して心を強く持ち直す。
愛する人間を助けるため、唇を噛みしめ、雅が陵太郎の心臓に両手を押し当てた。
しかし、しばらく使っていなかったせいか、自身もケガを負っていたせいなのか、能力をうまくコントロールすることができなかった。
力を与えるよりも速いペースで、命のともし火が遠ざかっていくのがわかる。
消えていく光を追えない無念に顔をゆがめる。
その時だった。
何もできない無力さと、その強い後悔の念から、再び力が覚醒し始めたのである。
(死なせない)
力を分け与えるには、それと同等の対価を払わなければならない。
誰に言われたわけでもないのに、雅はずっとそう感じていた。
ならば、死にかけた人間を救うためには、分け与える者の命そのものを差し出さなければならないはずだ。
それを知り、なおも雅の心は揺らぐことがなかった。
(必ず助ける)
そして、自分の命と引きかえに、それを行うことに決めたのである。
(絶対に死なせない……)
「やめろ」
そう聞こえた気がして、雅がはっとなる。
それが陵太郎の声だと感じたからだ。
目も口も閉ざされ、決して聞こえないはずの陵太郎の声を、確かに雅は聞いたのである。
『もういい。やめろ、雅』
そこで雅は思い知る。
届かなかったのは自分の力が不足していたせいではなく、陵太郎が拒絶していたからだと。
死してなお、妹の身を案じ、命さえ差し出す覚悟の雅の心を押し返していたのである。
「ごめんなさい、お兄ちゃん……」
すると聞こえないはずの陵太郎の声が、また直接心に響くように聞こえてきた。
『おまえのせいじゃない。これが俺の運命だ。運命はかわらない。だが未来をかえることならできる。おまえはおまえの願いをかなえろ。自分のために、未来をかえろ……』
最後に陵太郎が笑ったように見えた。
*
与える命よりも消えていく命の方が早いことに気づき、雅がさらに願いを捧げる。
流れ出る涙をぬぐおうともせず、一心不乱に想いを込め続けた。
未来をかえるために。
*
雅は多くの笑顔に囲まれていた。
楽しい日常。
大好きな人達。
陵太郎の死を嘆き悲しみ、心からの心配を寄せてくれる仲間達。
しかし彼らと離れ、一人きりの部屋に戻った瞬間に、底知れぬ孤独と不安に押し潰されそうになった。
取り残された心が悲鳴をあげ続ける。
『どうしてだろう。たった一人の人間がいないことが、こんなにも淋しい……』
たった一人しかいない人間に、
二度と会えないことが……
*
これ以上何も失うわけにはいかなかった。
たとえ自らの命を失ったとしても。
『いやだ、もういやだ……』
『私が守りたいのは、みんながいる世界』
『みんながいる未来』
『……私以外の』
夕季の手の中から眩い光があふれ、それが雅の顔に暗い影を作り出した。
「これでいい。これで……」
淡い光に包まれながら、雅の全身が夕季の中にすうっと溶けていった。
*
夕季は暗いトンネルの中を一人歩いていた。
それをトンネルだと認識できたのは、遠くにかすかだが光が見えたからだった。
トンネルは果てしなく続いているようだった。
いくら歩いても光にはたどり着けない。
ふと、後方から差し込む明かりに気づいて振り返ると、そこには眩いばかりに光あふれる世界が広がっていた。
今まで何故それに気づかなかったのか不思議だった。
ただ振り返ればよかっただけなのに。
ずっとそこにあったはずなのに。
手を伸ばせばすぐに届く場所にあったのに、気づかなかっただけなのかもしれなかった。
それに気づけたことに、嬉しそうに頷いた。
手を伸ばし、目の前の光を求めて夕季が一歩を踏み出す。
指先が光に触れかけたその時だった。
「夕季」
誰かに呼ばれ、夕季が振り向く。
声の主は顔を確認させる間もなく、夕季の胸に飛び込んできたのだった。
優しく包み込むような抱擁に、夕季の心が満たされていく。
そして、すべてを受け入れようとした夕季の口から、その言葉はひとりでに流れ出た。
「みやちゃん……」
朝陽の眩しさに夕季が目を覚ます。
強い陽射しに目を細めて手をかざす夕季。
ドアが開く音にも気がつかず、そこで驚いた表情のまま立ちつくす見回りの看護士と目が合った。
「おはよう、ございます……」
あいさつをしてから、身体に覆い被さるように眠る忍の姿を認めた時、自分の置かれた状況を思い出した。
「先生、先生!」
看護士が慌てて部屋から飛び出していくのを、夕季はただ眺めていた。
密閉された室内の薄暗い明かりの下で、桔平とあさみは無言で向かい合っていた。
重い足取りで司令室に戻り、一睡もせずに朝を迎えようとしていた。
やがてあさみが長い沈黙を破る。
「彼女のかわりが必要ね」
その一言が一瞬の内に桔平の心に火をつける。
「よくそんなことが言えるな。誰のせいでこうなったと思っているんだ!」
「私達全員の責任よ。だから二度と悲劇を繰り返さないために、次の手を考えておかなければならない。私達が何もできずにただ悲しみにくれていくことを、彼女は望んではいないはず」
表情も変えずに淡々と発するあさみに、桔平がクールダウンしていく。
それでもおさまらない怒りに奥歯を噛みしめ、拳をテーブルに激しく打ち下ろした。
「あいつに……」
噛みしめた歯と歯の間から漏れるようにそう発した時、緊急連絡用のコールがあさみを呼び出した。
「はい。……。本当なの。……。ええ、ええ。わかったわ。すぐに向かいます」
通話を終えたあさみが桔平と向かい合う。
その血気だった表情を目の当たりにして、桔平は受け入れがたい結末を予感していた。
「夕季が」
一言目で顔をゆがめる桔平。
が、その後のあさみの言葉は予想を裏切るものだった。
「目を覚ましたそうよ……」
言い終えるより早く、桔平は部屋から飛び出していた。




